第31話

 凛がひときわ目立つ翠色の輝きを撒き散らしながら、スパルトイの左腕を切断した。

 その瞬間の光景を、僕の両眼は気味が悪いくらい正確に捉えていた。何故かスローモーションを見ているように、時の流れが異常に緩やかに感じられたのだ。


 なんというか、骸骨迷宮に挑むようになってからやたら良くなった動体視力がさらに極まったような感覚である。


 もちろん、だからといって早く動けるわけではない。

 しかし意識だけは別だ。色を失い、緩慢に動く世界の中で、僕は通常どおりの知覚処理が可能だった。それはつまり、相対的にみれば『思考スピードの加速』を意味する。


 そのため自分でもびっくりするくらい冷静に、次に取るべき行動を選択できた――思考加速はほんの束の間のことで、世界はすぐに正常な時の流れと色彩を取り戻す。

 間髪入れず、僕は大きくバックステップを踏みながら声を張りあげていた。


「後退してくれ、スキルを打つ!」


「了解!」


 僕が助けに入った意図がわからないほど凛は愚鈍ではないはず。それでもなお剣を手に取ったという事実は、逃げるつもりはない、という意思表示に他ならない。

 何より、燃えるような闘志を宿すそのエメラルドのごとき双眸が、『二人なら絶対に倒せる』と強く訴えかけてくる――いいぜ、こうなったらとことん付き合ってやる。


「《タウント》!」


 スキルの波動が周囲を駆け抜ける。

 モンスターのヘイトは、より高いダメージを与えた者に向かう。現状であれば凛だ。けれど、それは都合が悪い。アタッカーでは攻撃に耐えきれず、深手を負いでもすれば全てが水泡に帰す。順になぶり殺されて全滅は必至――だから、やらせない。


「どこ見てやがる、僕はこっちだぜ」


 スキルだけではなく、声や盾に拳を打ち付けた騒音でも注意を引く。

 狙い通りスパルトイのヘイトは一瞬でこちらに引き戻され、青い頭骨がグリンとこちらへ向き直った。ホラーじみて怖い。


「さあ、いくぞッ!」


『シャアアアアアアアッ!』


 僕は恐怖をはねのけ、盾を構えながら再度敵の間合いへ飛びこむ。

 すかさず剛力を込めた長剣が襲いくる――その途端、またも思考が加速した。世界から色が失われ、モノクロに映る視界内はすべてスローモーションで進行する。

 この状態ならば、ガードするにもそう苦労しない。


「うお、りゃあッ!」


「やあッ!」


 僕が盾で斬撃を弾くのに合わせ、凛が鋭く剣を走らせる。これがまたしても有効打となり、スパルトイの体骨を数本刎ね飛ばすことに成功する。


「退がる!」


「おう、《タウント》!」


 タンクが防ぎ、アタッカーが攻撃を仕掛ける。これを繰り返すと、目に見えて戦闘の流れが変わった。

 スパルトイにとって凛は明確な脅威であり、どうしても対処する必要がある。左腕を刎ね飛ばされているのだけに手抜き出来ないようで、大きな負担を強いた。

 それでも猛攻に耐え忍びながらも抜け目なく反撃へ転じているあたりは、まさにレイドボスの面目躍如たるところ。


 他方、僕は相変わらずガードのたびに吹き飛ばされているものの、おかげで体勢を整えるだけの時間的猶予を得ることが叶う。さらにはガード時に発生する思考加速の効果も相まって防御は盤石。もちろんヘイトが逸れそうになる度にサボらず《タウント》を打ち、戦線を維持することも忘れない。

 こうなれば俄然、勝利の天秤はこちらへと傾きを増す。


『キシャァアアアアアアアアッ!』


 苦し紛れの《咆哮》が轟く――今さら怖気づくものか。

 死角から繰り出される凛の攻撃はたちまち最大効率を発揮するようになり、見る間にスパルトイの体躯にダメージが蓄積していき、十数度の攻防を経てついに決着の刻が間近であることを予感させた。


「いけるぞッ!」


「うん――!」


 声を張りあげ、二人の認識をすり合わせる。

 すると次の激突の最中。横薙ぎに振るわれたスパルトイの長剣を盾で受けきったタイミングで、ヒュッと銀の剣閃がきれいな弧を描く。


 凛が翠色の燐光を振りまきつつ、これまで以上に研ぎ澄まされた鋭い斬撃を放ったのである。

 これがとどめの一撃だ、と僕は勝利を確信した。


 ところが、その刹那――突如、スパルトイの両眼に光が生じる。青い人魂のような火が、暗い眼孔に灯る。

 そして次の瞬間、スパルトイの動きが急加速する。あらぬ方向へ流れていた長剣を素早くひき戻し、自らの首に迫りくる凛の斬撃との間に差し込んで見事に弾き返す。


「嘘だろ!?」


 先ほどから敵の長剣を受けるタイミングに合わせて思考は加速し、体感時間は何倍にもひき伸ばされている。今もそう……だがしかし、そんな僕の目を以ってしても『疾い』と驚嘆せざるをえない神速の剣捌き。


「ヤバ――ッ!」


「きゃっ!?」


 続けざまにスパルトイが横薙ぎの斬撃を放つ。狙いは凛の首。僕は瞬時に足を動かし、盾を構えつつ両者の間に滑り込む。

 直後、猛烈な衝撃を受けて凛ともども数メートルほど吹き飛び、そろって地面を転がった。だが幸いガードが間に合ったことでお互いダメージは軽く、即座に立ち上がることができた。


「くそっ、ここにきてパワーアップとか反則だろ……ッ!」


 口内の血と一緒に愚痴を吐き捨てる。

 見る限り、スパルトイが発動したのは自己強化系の『バフスキル』で間違いない。こっちはすでに満身創痍だというのに、とんでもない切り札を隠し持っていやがった。

 とはいえ、相手もそれだけ追い詰められているという証でもある。ならば、後はやり抜くだけのこと。


「このまま押し切る!」


「きっとあと少しはずよ!」


 お互いに盾と剣を構えなおし、攻勢を仕掛けるべく地を蹴る。

 やることは変わらない。僕が攻撃を捌き、生み出した一瞬の隙を凛がモノにするだけ。恐らく、まともに一太刀浴びせた時点でケリがつく――だというのに、今度はこちらがたちまち劣勢へと追い込まれてしまう。

 眼孔に蒼炎を宿したスパルトイが、あまりに疾すぎたのだ。


「ぐぅ、くそっ!?」


 桁違いのスピードで振るわれる長剣を、僕はかろうじて防ぐ。

 確実に先ほどまの太刀筋を数段は上回っている。加えて、隻腕にもかかわらず一撃の威力も増大している。もともと発揮していた高い技量と相まって、盾で受けられていること自体が奇跡的。謎の思考加速状態でなければ一刀で首と胴が泣き別れしていた。


「だめっ、攻撃が通らない!」


 スパルトイの巻き起こす剣風を掻いくぐり、凛が鋭い斬撃を見舞う。が、それすらも容易くはね返されてしまう。

 あろうことか、僕らはここへきて防戦一方に逆戻り。希望を抱かせてから絶望へ叩き落とすかのようなこの仕打ち。本当に『幽骨の試練』をデザインしたやつはクソッタレ(ゲームマスター)だ。


「――ぐぉ!?」


 僕は超高速で喉元へ迫る長剣をぎりぎりで防ぐ……マズい。体力の消耗が激しく、いよいよもってガードすら遅れ気味になってきた。こうなってしまえば体感時間の遅滞というアドバンテージも意味がない。


 さらに悪循環は続く。盾の芯で受けそこねた斬撃の衝撃がもろに体に伝わり、それは鈍い痛みとなって蓄積した。もはや腕を持ち上げることすら重労働だ。

 特に問題なのは、焼けつかんばかりに熱い肺。呼吸の回転数はもはや限界を超え、いくら喘いでも一向に酸素が足りない。


 くそっ、どうする? 

 このままじゃ逆に押し負ける……限界なんてとっくに超えていて、もはや最後の輝きも消失寸前。勝つためには、今すぐにでも凛の剣を叩き込む必要がある。でもそのためには、どうにかして隙を作り出さないと……。


 苛烈な剣撃に身を晒しながらも、加速する思考を必死に働かせる。

 心ごと断ち切られてしまいそうなこの状況を覆すべく、一発逆転の手を探し求める。

 と、その時。

 僕はあるスキルのことを思い出す――その名も、《ジャストガード》。


『遥か格上の敵にさえ通用するスキルだ。使いこなせれば、どのような劣勢にあろうと必ずや勝機を見出すことができるだろう』


 スパルトイの攻撃に耐え忍ぶ僕の脳裏には、スキルを授けてくれたゲームマスター(クソッタレ)の言葉が想起されていた。


「0.5秒……ッ!」


 あわせて《ジャストガード》の発動条件を思い起こす――敵の攻撃をガードした時点から『0.5秒』以内のタイミングでスキルを起動すること。加えて起動には明確な意思と、攻撃を跳ね除けるという『トリガーアクション』を必要とする。


 発動に成功すればガード時に受けた衝撃をそのまま相手に反射し、ほぼ間違いなく体勢を崩せる――まさに一発逆転を狙うのにうってつけの技だ。


 しかし、大きな問題もある。《ジャストガード》の行使は極限状態で神業を披露するに等しく、これまでの成功率から考えると不発に終わる可能性の方が断然高いのだ。それゆえ頭から抜け落ちていた。


 失敗すれば逆にこちらが隙をさらす羽目になり、ニアデスは免れない。リトライなんて期待できないほどに致命的。


 端的に言って、あまりにリスキーだ――けれど、やるしかない。

 それに、今の僕なら『無謀な賭け』ともいい切れない。理由は不明だが、剣撃を受けるときに限って視界がスローモーションになっているのだから。

 スキルが発動すれば、間違いなくスパルトイに隙が生じる。そうなれば、凛が必ず仕留めてくれる。


 不思議とすぐに覚悟は決まった。

 僕はなけなしの体力と気力を振り絞り、敵の斬撃を弾くと同時に足を動かしていったん間合いを外す。

 続けて、乾坤一擲の大勝負に挑むべく声を張りあげた。


「凛、僕が必ず隙を作る! だから頼んだ!」


 命を託す相手としては申し分ない。

 返事を待たずして、僕の意識は戦闘へ収斂されていく。


「見ろ。敵の動きをよく見て、思考しろ――」


 スパルトイは人型で、ステータス制限の影響か攻撃手段はまず長剣のみ。ゆえにどれほど高速で動き回ろうと、斬撃を放つとなれば構造的に必ず手首が先頭にくる。なら、体は大まかに捉えるだけでいい。そのかわり手首と、そこを支点に繰りだされる刀身の軌道に焦点をあてろ。


 僕は極限の集中を保ちながら《ジャストガード》発動のタイミングをうかがう――そうして、勝負の刻は三度の衝突の末に訪れた。


 スパルトイは鋭い踏み込みとともに袈裟斬りのモーションに入る。

 だが、そこで異変が発生した。相手の眼孔に宿る人魂のような蒼炎がふいに明滅し、その卓越した身のこなしにわずかな陰りを生じさせたのである。

 原因はいくつか思い当たる。もしかしたら強化状態は時限制だったのか、あるいは体力の限界だったのか。


 いや、理由なんてどうでもいい。

 肝心なのは、千載一遇のチャンスが巡ってきたということ。


 見ろ、見ろ、見ろ、みろミロミロミロミロ――集中が深まるのに合わせて僕の思考は加速する。色を失い、緩慢に推移する無音の世界の中で、弧を描きつつある剣閃のただ一点のみに全神経をかたむける。


 すると、僕のこの両眼が反撃の兆しを捉える。

 敵の振るった長剣が接触するや否や、盾の輪郭がかすかに白い光を発したのだ――その瞬間、無我夢中で攻撃をはね除けていた。


「――うぉおおおおおおおッ!」


 そして、賭けは成功する。

 逆境をはね返すべく、鮮やかに《ジャストガード》が炸裂する。

 白光を宿す盾の表層から爆炎の如く衝撃波が奔出。与えられた力をそのまま反射する驚異の奔流は、大気を震わせながら攻撃をしかけたはずの張本人を飲み込んだ。


『ガカ――ッ』


 空気を割るような轟音が鳴り渡る中、盛大に体を仰け反らせて大きく体制を崩すスパルトイ。

 視界が正常な色を取り戻すよりも早く、強く地を蹴ってその場から退く僕。

 今だ、凛――


「――いっけぇえええええ!!」


「やぁあああああああああッ!」


 入れ違うように、凛が翠色の燐光を振りまきつつ稲妻のごとき踏みこみで敵へ迫る。

 間髪入れず、幾条もの銀閃が迸った――斬、斬斬、斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬ッ!

 致命的な隙を晒したスパルトイに、もはや吹きすさぶ剣嵐から逃れる術はない。立ち所に身にまとうボロ布ごと全身の骨を断ち切られ、バラバラになって崩れ落ちていった。


 最後に、ゴト、コロコロと。

 刎ね飛ばされた青い頭骨が放物線を描いて落下し、調子外れの音をたてて地面を転がる。それは、凛の体躯からスキルフェクトが失われるのとほぼ同時のことだった。


 それから数瞬の間をあけ、細断された骨の残骸から黒い粒子が立ち上り始める。

 夥しい数の冒険者を屠った暴虐の戦士は、ダンジョンにおける敗者の理に則りゆっくりと姿を消していった。


「やった……」


 スパルトイの消失――それに伴い何よりも早く僕の脳裏によぎったのは、これまで投げつけられてきた数々の罵倒だった。


 盾持ちというだけで沢山の悪意を向けられ、侮られ、理不尽になじられ、ソロを強いられ、蹴られ、殴られ、ダンジョン内で急にパーティから追放され……タンクだから仕方ないと諦め、茶化してなんてことないフリをしてきたけれど、本当はすごく悔しかったし、とても辛かった。


 でも見たか……見たか、見たか、見たか、見たか、見たか、見たか! 

 僕は、スパルトイを倒したぞッ!

 よっしゃ――


『あぁあああああああああああああああああああああ――ッ!!』


 快哉の雄叫びが二つ重なる。

 僕は腹のそこからこみ上げる激情に蓋をすることなく、声の限り叫んだ。本能のまま拳を握りしめると、飛び散った汗と血がダンジョンの光を受けて輝く。


 凛もまた同じように、戦いの痕を振りまきながら叫んでいた。決死の覚悟のもと戦闘へ挑んだのだ、彼女にとってもこの勝利が特別な意味を持つことは明白だった。


 それから僕らは揃って大声をあげ続け、気が済むといつしか笑顔を浮かべ向かいあっていた。

 かくて『幽骨の試練』は閉幕し、僕は傷だらけになりながらも本イベントにおける目標を奇跡的に達成したのだった。

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