第29話
「待て、それだけはダメだ……」
撤退案にいち早く拒否反応を示したのはやはり番野だった。
いまだ《咆哮》のダメージは抜けきっていない様子。にもかかわらず気力を振り絞って立ちあがり、僕の胸ぐらを掴み絶え入るような声で嘆願する。
「俺は、凛の叶えたい『願い』を知っている……あいつは、こんなところでニアデスしていいやつじゃない。頼む、夜月……お前が救ってやってくれ……」
現状、フロア内で《咆哮》に抵抗可能な冒険者は僕のみ。ゆえに、助けに入るなら僕以上の適任者は存在しない。他が戦闘に介入したところでいたずらに死者を増やすだけだ。
とはいえ、タンク一人が加勢したところで戦況が好転するとも思えない……スパルトイは竜の系譜に連なる凶悪モンスターなわけで、とてもではないが新人冒険者の敵う相手ではないのだから。
それに何より、ニアデスすればダンジョンへは『立ち入り不能』となってしまう。
とどのつまり、前に踏み出せば絶望しかない。
というか、無駄死に覚悟で命を張るなんて普通できやしない。
こんなことなら、さっさと逃げ出しておけばよかったのだ。他人を犠牲にしようがなんだろうが、とにかく自分たちの生存を優先すべきだった。
けれど幸いにも、今ならまだギリギリ間にあう。ここで直ちに引き返し、僕はこれまで通り夢へと続く道を歩み続けるのだ――とでも言うと思ったか?
番野の手を解き、フロア中央へ向き直る。
一歩前に進み出て腰の剣を引き抜き、声を張りあげた。
「――任せろッ、僕が絶対に救ってみせる!」
もとより『一緒に逃げる』なんて言ったつもりはない。
最初から助けに入るつもりだった。命の恩人を見捨てるくらいなら、いっそ死んだほうがマシだ。ついでに番野たちを先に逃して、ぼっちの盾持ちを仲間扱いしてくれた恩もまとめて返してしまおうと考えていた。
「凛が復調して最下層を脱出するまで、必ずスパルトイを引き付けておく。三人もその間に撤退してくれ」
パーティメンバーを逃した後、僕も脱出できたら完璧だ……が、流石に敵もそこまで甘くはあるまい。自身の生還に関しては望み薄だろう。それでも命を張るだけの理由があり、足を進めるだけの意地がある。
大きく息を吸い込み、己を鼓舞する。
「やるぞ、やってやる……大丈夫、僕ならできるッ!」
「まさか一人で行く――」
いやになるくらい心臓が激しく脈打つ。そのせいで、番野の言葉すらろくに耳に入らない。
その直後、左腕の盾を胸の前に構え、絶望と対峙すべく力いっぱい地を蹴った――かくして、僕の『幽骨の試練』が幕を開けた。
「うぉおおおおおおおおッ、《シールドバッシュ》!」
全速力で駆ければ、彼我の距離は見る間に埋まる。
僕は間合いに入るやスキルを発動。続けて、スキルエフェクトに縁取られた盾を叩きつけるように繰り出して突撃する。
例え生還が難しくとも、それは全力を尽くさない理由にはならない。僕がこいつを討伐する可能性だってゼロではないのだ。ゆえに初手から、相手を叩きのめすべく本気でぶつかった。
ところが次の瞬間、逆に凄まじい衝撃に襲われ全身がきしみを上げる。
「ぐお――ッ!?」
激突時に起きた信じがたい攻防を、依然見えすぎるこの両眼は鮮明に捉えていた――スパルトイは素早く身を翻しつつ長剣を振り抜き、強引に盾撃を弾き返してみせたのだ。
そのうえさらに、こちらは後方へ跳躍することまで余儀なくされる。無理に競り合えば、驚異的な膂力によって左腕をへし折られていたかもしれない。
「ヤバすぎんだろ……」
距離を取った途端、全身から尋常じゃない量の冷や汗が吹きだす。
これが竜の眷属の力……たった一撃受けただけで、遥か高みの怪物である、ということを骨身に沁みて理解させられた。
あわせて凛の凄さが際立つ。一時でもスパルトイと互角に剣を交えるなど、並大抵のことではない。聞きしに勝る実力者である。
ともあれ、目的の方は概ね達成できていた。タンクというロールは、モンスターの気をひきつけることにおいて他職の追随を許さない。追加でもう一つスキル発動すればヘイト固定は盤石となる。
「《タウント》――来いよ、骸骨野郎。僕が相手だ」
魔力の波動が周囲を駆け抜け、スパルトイから向けられる敵意が膨れ上がる。
とてつもない威圧感だ。カッコをつけておいてなんだが、膝の震えは止まらないし、今にも腰が抜けてしまいそう……けれど、後は時間を稼ぐだけでいい。もちろんそれが最も難しいタスクであることは理解している。
僕はチラリと凛へ視線を向けた。いまだ上体すら起こせないようで、顔だけを向けて戦況をうかがっている様子。酷く苦しそうな表情から察するに、動けるようになるまでもうしばらくかかりそうだ。
残念ながら番野たちの手を借りることもできない。敵の《咆哮》に抵抗できない以上、彼ら自身が要救助者となりかねないからだ。
そもそも、モンスターの行動ロジックには不可解な点も多い。いくら僕がヘイト集めていようと、戦闘に介入された途端急にターゲットを変えないとも限らない。
現にメインダンジョンの方では、ヘイトを無視した『ランダムターゲット攻撃』なる厄介な特性を持つ個体なども確認されている。
だから結局のところ、今はソロでなんとかするしかない。
やることは至ってシンプル、ただひたすら耐え忍ぶのみ。まさにタンクの本領の見せ所だ――僕はそこで余計な思考を打ち切った。
一筋の剣光が、不意に視界内で閃く。スパルトイは爆発的な踏み込みで間合いを詰め、超高速の斬撃を放ってきたのである。
「くっ!?」
懐から伸びるように迫る長剣を、僕は必死に盾でガードする。
動作も斬撃も恐ろしいまでの速度だった。が、集中していれば対応できなくもない。見えすぎる両目や上昇したステータスなど、ここへ至るまでに得たすべてが支えてくれている。なにより大きいのは、事前に繰り広げられた凛との攻防を観戦して予測が働いたこと。
けれども、やはり桁違いの膂力に関しては如何ともし難い。続けざまに繰り出された連撃を防ぐことにも成功するが、一太刀ごとに盾もろとも大きく弾き飛ばされてしまう。
その後も矢継ぎ早の攻撃に晒され、僕はまるで大人と打ち合う子供のように翻弄された。もはや地獄のダンスである。無論ガードのみでは手に負えず、回避を織り交ぜた立ち回りを強いられる。そのせいで体に刻まれる裂傷は増す一方。
『キシャアアアアアアアアッ!』
身の竦むような《咆哮》が響き渡る。そんな中で僕は必死の形相をうかべ、血と汗にまみれ、火花と剣戟音を撒き散らし、か細い死線の上で踊り続けた。
客観的にみれば惨憺たる有様でも、実際のところはなかなかの健闘ぶりだった。押されっぱなしとはいえ、本来なら多人数で挑むはずのレイドボスをソロで食い止めているのだから。
新人育成イベントゆえにスパルトイのステータスが制限されている点を考慮しても、決して難易度は低くない。
しかしその一方で、己の状況が『詰み』に近いことも理解していた。
なにせこちらは防戦一方。それも、死力を尽くしてやっとのこと。加えてガードごとに吹き飛ばされているため、反撃の糸口すらつかめぬまま徒に疲労とダメージが蓄積するばかり。
このままでは逃走など到底望めず、遠からず僕の命運は尽きる。仲間を逃すという本懐は遂げられたとしても、いよいよ自身の生還は諦めざるを得なくなった。覚悟していたものの無念やるかたない。
この期に及んで命を惜しんだのがいけなかったのか――否、圧倒的強者をまえに思考リソースを戦闘以外に費やすなど愚の骨頂。
『シャァァアアッ!』
「ぐわっ!?」
弛緩した精神を断ち切るがごとく超高速の斬撃がたたき込まれた。
辛うじてガードは間にあうも、ひと際強烈な攻撃に耐えかね大きく体勢を崩す。ここに来て、僕は致命的な失態をおかしてしまう。
当然ながら熟練の戦士たるスパルトイは、その隙を見逃さない。
相手の身にまとうボロ布が翻り、致命の追撃が風を裂いて喉元へ迫る。
あ、マズイ死――
「――なッ、なぁああい!!」
ほとんど無意識での行動だった。
僕は唯一の攻撃リソースである剣をとっさに手放し、両手で盾のグリップを掴む。そして強引にコントロールスピードを上昇させた盾を、間一髪のタイミングで長剣の軌道へ滑り込ませることに成功したのである。
弾ける火花が視界を焼き、一段と派手な金属音が鼓膜を打つ。
「ぐがッ!?」
死地を脱するかわりに僕は猛烈な勢いで弾き飛ばされ、ごろごろと地面を転がった。
無論、ダメージも軽くない。左腕には骨を砕かれたような激痛が走り、猛攻に晒された全身は血だらけで今にもバラバラになりそうだ。
そのうえかつて体験したことのない疲労感に蝕まれているのだから、わずかでも気を緩めれば即座にバッドエンドを迎えてしまう。
それでも、どうにか命を拾った……両手じゃなければ凌ぎきれなかっただろう。土壇場で剣を手放して正解だった。
「……つーか、初めからこうしときゃよかったんだ」
挫けそうな心を叱咤して立ち上がり、口内に溜まった血と一緒にそう吐き捨てる。
タンクの攻撃力など、スパルトイ相手では脅しにもならない。だから、最初から剣を持たず防御に徹するべきだったのだ――つまり、この形態こそ最適解。
僕は両手で盾を構え、再び戦線へ飛び込む。
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