第28話

『シャァアアッ!』


 奇声を発しながら、踊るような身のこなしで手近な獲物へ襲いかかる青いスケルトン。

 先ほどの《咆哮》をもろに受け、身動きの取れない冒険者たちの間を縦横無尽に駆け抜ける。


 長剣が振り抜かれるたびに切断された首や四肢が乱れ飛び、おびただしい量の血飛沫が上がり、フロアはたちどころに白銀の燐光が舞い散る地獄と化す。


『う、うわぁぁあああっ!?』


 身にまとうボロ布を翻し、恐るべき骸の怪物はいったん動きを止める。

 その途端、後方に、あるいはフロア外周に陣取る冒険者たちが連鎖的に悲鳴をあげ、雪崩を打ったように逃走を開始した。距離によって《咆哮》の威力が減衰され、先駆けて硬直から開放されたのである。


 凄惨な蹂躙劇を目の当たりにした大勢が理性を失い、恐怖に駆られるまま無秩序に上層を目指したことで場は大混乱へ陥った。

 かくいう僕もパニックを起こしかけたが、隣にゆるぎなく立つ凛の姿を見てどうにか冷静でいられた――その凛がスマホを取り出し、背面のレンズを騒ぎの元凶へ向ける。


 呑気に撮影しているわけではあるまい……多分、『鑑定アプリ』を起動しているのだ。

 冒険者のスマホでのみ機能するダンジョン専用アプリの一つで、その名の通りカメラ機能と連動してモンスターなどの鑑定が可能となる。

 導入には高額な『DP』を要求されるので、言うまでもなく僕は未導入だ。


「スパルトイ……」


「え……!?」


 凛が看破した敵の正体を口にした瞬間、僕は愕然と凍りついた。

 スパルトイ――またの名を、竜牙兵。


 現代ダンジョンには『竜』が実在し、多くの物語同様その力は最強格に位置づけられる。

 そして、そんな竜の牙から誕生する骸骨戦士を『スパルトイ』と呼ぶ。

 つまり、最強の系譜に連なる怪物なのである。序列は最下位にあたるものの、当然ながら新人冒険者の手におえるような相手ではない。


『夜月くんがあっと驚くようなギミックを用意しておくよ。いやあ、実に面白くなりそうじゃないか』


 不意にゲームマスターのにやけ顔と台詞をセットで思い出す。

 もしや、イベントアイテムって竜の牙だったのか? というか、僕があっと驚くギミックとはまさかこれのことかよ!?


「――クソゲーじゃねえかッ!」


 思いっきり顔をしかめながら悪態をつく。

 なんて悪辣な仕掛けだ。雑魚とほぼ同じ外見の凶悪モンスターを混ぜ込むなど、人道にもとる所業である。油断させてから容赦なくどん底へ叩き落としやがって……そもそもの話、難易度設定がめちゃくちゃだ。


 すごく驚いたし、確かにスパルトイならばレイドボスを任せるに相応しいだろう。だがしかし、いくら新人を寄せ集めたって討伐できるはずがない。

 現に、フロア中央では一方的な殺戮が再開されていた。


『キシャァァアアアアアッ!』


 スパルトイの口からおぞましい《咆哮》が放たれ、再び戦慄が体を突き抜ける。

 スタン(硬直)効果が発動し、身動きの取れない近場の冒険者から順に身を斬り裂かれていく。絶えず飛び交う悲鳴と鮮血と肉体の一部、それに舞い散る白銀の燐光がフロアを彩る。


 無論、抵抗の意思を見せる者もいたが、《咆哮》によってろくに機能しない体では反撃もなにもあったものではない。まともに剣さえ握れず、あえなく討ち取られてしまう。


 このままでは遠からず全滅する……すでに最下層に集結していた冒険者の半数が逃走し、残された内の半数以上がニアデスした状態だ。

 手近な獲物を狩り尽くしたら、幸運にも距離があって難を逃れていた者たちへターゲットが移ることは明白。


「どうにか逃げないと……」


 僕は力なく呟く。

 敵は遥か格上、とても勝ち目があるとは思えない……しかし今いる位置からでは、スパルトイの横を駆け抜ける、という大きなリスクを負わなければ脱出できそうにない。


 そのとき偶然にも、他者を突き飛ばして逃げだす荒井の姿が目にはいった。否応なく『誰かを犠牲してでも生き延びる』ということを意識させられた――僕はその流れで、優先して守るべきパーティの面々に視線を向ける。


 彦根と美和さん、加えて番野の三人は顔面蒼白のまま膝を屈していて、まともに走れるかどうかも怪しい。彼らを逃すには、最悪ほかの冒険者を囮にするしかない……このパーティのためなら僕はよろこんで泥をかぶる。手段を選ぶつもりもない。

 ところが、最後に視線を交わした凛の口から予想外の言葉が飛び出す。


「みんな、ここでパーティは解散よ――私はスパルトイと戦う。その間に撤退して」


「バカ言うな……どうやってあんなバケモノと戦うつもりだ。全員で逃げるぞ……」


 即座に反対する番野。だが、撤回されることはないだろう。美しき冒険者の青い瞳には、覚悟を決めた者特有の光が灯っている。


「このイヤリングがあれば《咆哮》のスタン効果を大きくできる。体が動くなら、きっと戦える」


 凛が艶やかな黒髪を耳にかけると、小さな宝石のついた耳飾りがあらわになる。

 道理で立っていられたわけだ……今更ながら腑に落ちた。

 モンスターの《咆哮》に対抗する手段は主に二つ――ステータスの『DEF』値を上昇させるか、専用のアイテムを装備するか。


 僕の場合は前者。このフロアに集った冒険者の中で唯一のタンクであり、恐らく頭一つ抜けた防御値を持つがゆえに耐え抜けた。


 一方、凛は後者。ダンジョンで手に入るドロップアイテムには様々な種類があり、『特殊効果』を付与する装備品なども存在する。どれも貴重で、効果によっては天井知らずに価値を上げる。


 つまるところ、『幽骨の試練』へ挑む最低限の資格を備えている、ということだ。

 スパルトイは《咆哮》を多用しており、格下が立ち向かうのならスタン対策は必須。怠ればただのカカシと成り果てる。


「だが、あの戦闘力はどうする? まともにぶつかって勝てるわけがない……」


 そう……番野の言うとおり。確かに《咆哮》は極めて厄介だが、理不尽なまでに高い戦闘力もまた同じくらいの脅威だ。才気煥発な凛をもってしても勝ち目は薄いと言わざるをえない。


「そうね、負けてニアデスするかもしれない……でも、挑む価値はある。ユニークスキルが手に入れば、私はきっと『自身の願い』に大きく近づける」


 初めて出逢ったときの会話を思いだす。彼女は、何か大切な目的を持ってダンジョンへ挑んでいるようだった――そして今、その願いのため身命を賭す覚悟を示した。

 恐れを抱きながらも一歩踏み出そうとする姿に、僕は憧憬の念を禁じえない……だからこそ、今回ばかりは諦めてほしいと強く思う。


 スパルトイと戦うなんて無茶を通りこして無謀もいいところだ。多分、手も足も出ないまま無駄死に終わる。今はまだ、実力が足りない。


 そうだ。そもそも、ユニークスキル獲得のチャンスは今回だけに限らない。むしろ凛の宿す才能とその成長性を勘案すれば、力を蓄えて次の機会を待つ方がよっぽど現実的だろう。

 けれど残念なことに、説得している時間はないらしい。


『キシャァアアアアアッ!』


 状況はもはやデッドライン目前。

 耳をつんざく《咆哮》に合わせてまた一つ首が刎ね飛び、とうとうフロア中央部に集っていた冒険者の大半がニアデスして姿を消す。


 わずかに残っている者も虫の息で、ほどなく後を追う羽目になるだろう……現時点で死者は三桁を下るまい。

 凛は、そんな鬼哭啾々たる戦場を見据えて言う。


「スパルトイと戦うのは、私のわがまま……だから、ここからは一人で戦う。みんな、ここまで連れてきてくれてありがとう。おかげで試練に挑むことができる。どうか、無事に帰還して」


 まるで別れの言葉じゃないか……僕は唇を強く噛む。

 その直後、冷たい金属音を鳴らして特注のバスタードソードが引き抜かれた。


「待てッ!」


 番野が必死に制止する――だが、凛は止まらない。青の炬火が照らす中、黒髪を揺らし毅然と前を向いて歩みだす。


「――《テイルウインド》」


 美しい声がスキル名を唱え、その均整の取れた体の輪郭を淡い翡翠色の光が彩った。

 彼女が発動したのは、インスタント系に属する『近接バフ(能力強化)』スキル。使用者にのみ作用する追い風を発生させ、一定時間『AGI』値を上昇させる効果を付与する。


 汎用性に優れるため、底なしの需要と抜群の知名度を備えるスキルだ。が、僕の知るそれよりも明らかに放つ輝きが強い。本当に同じものか?


 ともあれ、こんな切り札を隠し持っていたわけか……そしていきなり手の内を晒したということは、すなわち『最初から全力で挑む』という意思表示に他ならない。


「凛……」


 僕には遠のく背中を見送ることしかできなかった。決死の覚悟がにじむ鋭いまなざしに圧倒され、言葉が形をなさなかったのだ。


 それからたっぷり一呼吸ぶんの間を置き、凛は剣を腰だめに構えて強く地を蹴った。

 全身から溢れるエメラルドの燐光をたなびかせ、一陣の風のように疾走する――目指すは、竜の牙より生まれし暴虐の骸骨戦士。


「やぁあああああああッ!」


 ステータスとスキルによって強化された脚力は、信じられないほど僅かな時間で標的との距離をゼロにした。続けて間合いに踏み込むや、裂帛の気合とともに剣が振り抜かれる。

 ぞっとするほど鮮やかで、類まれなる才能の迸りを感じさせるような太刀筋だった。


 ところが、迎え撃つスパルトイは恐るべき対応力をみせる。軽やかに剣を繰り出し、刀身を打ち当てることによって斬撃を相殺したのだ。


 双方の剣が衝突し、火花を散らして跳ね上がる。 

 嘘だろ――僕は驚きを隠せない。


 まさかあの攻撃が、こんなにも簡単に防がれるなんて……致命傷には届かないまでも、手傷くらい負わせられるものだと無意識に思いこんでいた。それほどまでに冴え渡っていたのだ。

 されども凛に動揺は見られない。跳ね上がった剣を上手くコントロールし、流れるように次撃を繰り出す体制を整えている。


 立て続けに剣光が閃く。が、これもスパルトイに容易く跳ね返されてしまう。

 そこで彼女はいったん後方へ飛んで距離を取る。次いで、大きく息継ぎをしてから積極果敢に打ちかかった。


「せやぁあああッ!」


 放たれたのは、目にも留まらぬ連撃――次々に銀閃が奔り、青き骸に牙をむく。

 できるものならこの勢いで仕留めてしまいたい、と必死の形相が物語る。もちろんこの場に残る誰もが同じ思いだろう。


 さりとて竜の系譜の実力は伊達じゃない。スパルトイは同じだけの回数剣を振るい、身に迫る斬撃のすべてを易々と相殺してしまう。


 なんて強さだ……敵の対応からは圧倒的強者の余裕を感じる。まるで刃の届く様をイメージできず、力量差はいっそ絶望的とすら言える。

 それでもなお凛の闘志はいささかも衰えない。素早く立ち位置を変えながらも懸命に攻撃を仕掛け、相手を凌駕すべく剣戟音を奏で続ける。


「綺麗だ……」


 その戦いは、まるで剣舞を見ているかのように美しかった。

 光る翠色の鱗粉を舞い散らして躍動する姿が、実際の風景よりも遥かに強く輝いて見えた。


「くそ……」


 場違いにも嫉妬が胸を焦がす。

 この輝きは、この輝きこそが、才能の発露ってやつなのだろう……だとしたら、きっと日本一の冒険者になるのは彼女のような人間だ。

 その考えに至ったとき、己の不甲斐なさに歯噛みした。


 しかし、すぐに悠長に眺めている場合ではないと改めて痛感させられる。僕らは薄氷の上で踊っているにすぎなかったのだ。


『シャァアアアアアアアアアッ!』


 またも濃密な殺気を伴う《咆哮》が轟く。と同時に、スパルトイの剣速があがった。どうやらまだ本気ではなかったらしい。

 さしもの凛もあまりのスピードに遅れをとりはじめ、次第に劣勢へ追い込まれていく。完全に後手に回るまで、そう多くの時間はかからなかった。


 それからまた幾度か火花を散らした後、凛は苦し紛れに大ぶりの一撃を放つ――これを狙われた。スパルトイは余裕をもって回避し、必殺必中の反撃を繰り出したのである。

 強烈な横殴りの斬撃が、凛の体を容赦なく打ち据えた


「ぐぅ――っ!?」


 幸いだったのは、土壇場で自身の剣を滑り込ませて受け太刀に成功していたこと。

 それでも勢いよく何メートルも吹き飛ばされ、背中から地面に落ちて土埃にまみれながらごろごろ転がった。


「くぅ、うぅぅ……」


 倒れ伏したままうめき声をあげる凛。

 致命傷は避けたとはいえ、楽観視できるようなダメージではなさそうだ。さらに間の悪いことに、効果時間を過ぎたのか身を覆う翠色のスキルエフェクトまでもが消失してしまう。


 善戦はしたが、ここまでか……僕は周囲に視線を走らせ、素早く状況を整理する。

 スパルトイは剣を構えたまま悠然と、呻き伏す挑戦者を見下ろしていた。まるで『立ち上がり向かって来い』と言わんばかりの態度。ヘイトも完全に固定されていて、他は眼中にないらしい。


 それに気がつけば、戦闘を見守っていた冒険者の数も残りわずかに――つまり、この機を逃せば生還の見込みは極めて薄くなる。


「みんな、立ってくれ。脱出するなら今しかない」


 鎮痛な面持ちで凍りついたように沈黙するパーティメンバーに視線を向け、僕は言う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る