第21話

 自分は特別な人間だ――荒井孝之にはそんな自負がある

 裕福な家庭の一人っ子として生を授かり、幼少の頃より恵まれた教育環境で育った。その甲斐あって小・中学校ともに学年トップクラスの学力を示した。


 運動も人並み以上にできた。体育祭では一等の常連で、運動部でもレギュラーとして活躍した。


 友達だって多かったし、異性からも人気があった。

 人に囲まれ、人に注目され、人に称賛され、彼は生きてきた。


 それゆえ、いつしか『自分は特別な人間だ』と強く信じるようになり、その思いは日増しに肥大していったのである。


 ところが、高校進学を期に状況は一変してしまう――進学先の私立成明学園高等学校において、荒井孝之は『その他大勢の生徒の一人』にすぎなかった。


 成明学園は都内でも有数の学力水準を誇る。そのため、これまでトップグループに属していた学力はすっかり平均値へ埋没した。

 運動に関しても同様。スポーツ推薦で入学してきた生徒たちに敵うはずもなく、多少優れているものの注目されるレベルにない。


 挙句、冴えない風采のくせに勉強・運動ともにトップクラスの成績を叩き出す一般生徒までいるときた。


 つまるところ、上澄みが集う場所では特別になれなかったのだ。

 荒井の評価は改められ、『その他大勢の生徒の一人』というレッテルが貼られた。

 とはいえ、それで本人が納得するはずもなく。


 急に周囲から見向きもされなくなり、足元が崩れ落ちるような感覚に陥った。取るに足らない人間のように扱われた際には、惨めな気持ちを抱えながら激しく憤った。

 何より許せなかったのは、自身が『蔑視してきたタイプの生徒』が注目を浴びていることだ。


 荒井は己が特別だと強く思い込むあまり、自然と周囲の人間を見下すようになっていた。特に勉強だけが取り柄のおとなしい生徒らを『陰キャ』と呼んで笑い者にし、しばしば優越感を満たす道具として扱ってきた――それにもかかわらず学内では、自分を差し置いてその陰キャどもが注目を集めていたのである。


 理想とは真逆の高校生活送。

 プライドをズタズタに引き裂かれ、屈辱で頭がどうにかなってしまいそうだった。状況を変えたいと強く願った。


 そこで荒井は、ピアスを開けることを思い立つ。勉強や運動で敵わないなら、他のことで目立てばいいと考えたのである。

 彼はこの時、自己顕示欲を満たしたいあまり、意図的に己の価値観をすり替えていた――『特別な人間だから注目されるのではない、注目されるから特別な人間なのだ』と。


 ともあれ、その思いつきは一定の成果を収める。

 初めて左耳にピアスを付けて当校した日は沢山のクラスメイトに声をかけられ、久々に話題の中心となり承認欲求は大いに満たされた。


 だが、耳目を集めたのはわずか数日のことで、すぐに新鮮味は薄れその他大勢へと逆戻り。

 薄々わかっていた。ピアス一つで人気者になれるほど現実は簡単じゃない。なので、荒井はさらに考えを進めた。


『だったら、ピアスの穴をたくさん開けるのはどうだ? 一つでもそれなりに話題になったのだから、穴を増やしている間は注目され続けるに違いない』


 そんな結論に至った日から、一つ、また一つ、と荒井の耳にピアスが増えていった。

 もう止まれなかった。周囲からの関心は、砂漠に降る慈雨のごとく心を潤した。それに思った通り、その間だけは満ち足りた気分でいられたのである。


 そうして、ピアスが限界を迎えた頃。

 今度は髪を短く切って、金に近い茶色に染めた。


 荒井はピアスの一件を通して、外見の変化が手っ取り早く注目を集めることに繋がると気づいたのである。

 もっとも、髪色もすぐに飽きられてしまうことは明白。けれど、問題ない。すでに次の手を考えてある――それは、冒険者になることだ。


 ある日、彼は見た。

 冴えない容貌の生徒が、冒険者というだけでちやほやされる姿を。

 同時に、悟った。

 冒険者になりさえすれば、人気者の地位を取り戻せると。


 むしろ、どうしてもっと早く思いつかなかったのか。昨今のダンジョン人気は留まるところを知らず、素行の悪い冒険者にまでファンがつくような有様だ。盛んにメディアにも取り上げられ、クラス内でもダンジョン関連の話題でもちきりだったというのに。


 一年近くも時間を無駄にしてしまった……と、荒井は盛大に悔やんだ。

 しかし、思いついてからは早かった。


 幸い生家は裕福で、冒険者登録に必要な高額費用を賄えなくもない。おまけに両親はひとり息子の彼にすこぶる甘く、難なく同意を得ることに成功したのである。

 かくて荒井孝之は、高校二年への進級目前に冒険者デビューを果たす。同時に吹聴して回り、再び人気者として返り咲くこととなった。


 それからの日々は順調そのもの。学内カーストの頂きまで一直線に登りつめ、同学年でもっとも人気があるグループの一員として迎え入れられた。


 クラスでの扱いにも満足していた。いつも話題の中心には自身がいて、ちょっと陰キャをイジってやれば皆が笑い声を上げる。他のクラスの女子から告白されたことなどをあわせて考えると、むしろ理想以上かもしれなかった。


 いずれにせよ、これであんな屈辱を味わうことは二度とない。

『特別な自分』を取り戻した荒井は、心の底から安堵したのだった。


 ***


(クソっ、俺は特別な人間なんだ……あんな陰キャに劣るはずがない)


 骸骨迷宮の6階層。

 青い炬火が揺れる通路を、荒井孝之は苛立ちを抱えながら歩く。

 現在、決して看過できない重大な問題が生じていた――特別な自分、という自負が再び脅かされているのである。


 この最悪な気分の元凶は明白。

 ギロリと、荒井は前を歩く冒険者の背をにらみつける。

 彼の名は、聖夜月。自身が毎朝のように『聖騎士くん』と呼んでイジっているクラスメイトである。


 黒髪の、平凡な容姿の同級生。背は少し高めとはいえ、評価できるのはそれくらいだろう。

 黒色の、初心者丸出しの装備に身を包み、愚かにも円盾なんかを装備して、馬鹿げたことにタンクを志望しているらしい。


 陰キャのうえに、現代ダンジョントレンドの真逆をいく芋臭いスタイル。

 自身にとって、間違いなく見下す対象である――けれどパーティを組んで挑んだ初戦では、そんな侮る相手に命を救われてしまった。おかげでプライドはズタズタだ。

 荒井は唇を噛み締め、荒れ狂う感情をどうにか抑えこむ。


(こんなはずじゃなかった……)


 相棒の牧浦と、イベントダンジョンを踏破するべく5階層へ再訪してみれば、ふと見知った顔を見つけた。そして思わず声をかけてしまった相手、それが夜月だった。


 荒井は最初、信じられなかった。クラスで笑い者にしているボッチがまさか冒険者だなんて――否、認められなかった。陰キャと蔑む対象が自身と同じステージに立っている姿は、高校へ入学してから味わった屈辱の日々を彷彿させる。


 だから、散々こき下ろして立ち去るつもりでいた。身の程と、立場の違いをわからせてやろうと。

 けれどすぐに考えを変え、パーティに加えてやることにした。夜月に実力を見せつけ、その活躍ぶりを学校で証言させようと目論んだのである。


 自身の名声はさらに高まり、ボッチの聖騎士くんはパーティを組める。何より『格の違いを思い知らせてやりたい』という希望が叶う。荒井にとっては両者ともに損のない提案だった。


 ところが、そのプランには誤算が潜んでいた――聖夜月という盾持ちの冒険者は、予想外の実力を秘めていたのである。


 一般にタンクといえば、『肝心な時に怖気づき情けなく逃げ出す臆病者』といったイメージが定着している。荒井も同様に考えていた。

 根拠は、皆がそう言っているから。あるいはネットにそう書いてあったから。世間の認識も似たようなものだ。


 しかし蓋を開けてみれば、まったく違った――夜月は微塵も恐れることなく強敵に立ち向かったのである。そのうえ自身は足を引っ張るどころか絶体絶命のピンチを救われ、思わず英雄視してしまいそうになったほどだ。


(いや、ありえない……あれは気の迷いだ)


 荒井は頭を振って、脳裏に焼き付く夜月の勇姿をかき消す。 

 見下す相手に命を救わればかりか、一瞬でも憧憬の眼差しを向けたなど絶対に認められない。

 まるで『お前の方が劣っている』と突きつけられるようで……受け入れてしまえばあの屈辱の日々に逆戻りしてしまう、そんな気がするのだ。


 ゆえに本来の実力を見せつけ、どちらが優れているのかを知らしめる必要がある。自らの剣で以って禍根を断ち切り、この自尊心を脅かす重大な問題を解消するのだ。

 だというのに――6階層の攻略を続ける最中。


「僕が敵を引きつける、攻撃は頼むっ!」


 再びスケルトンオークとエンカウントした時、真っ先に飛び出していったのはやはり夜月だった。その背を見送る荒井の脳裏に、先の戦闘における不甲斐ない自身の姿がフラッシュバックする。


「……チッ」


 いきなり遅れを取り、つい舌打ちを漏らす。

 雪辱を誓ったはずの二戦目は、タンクの突撃によって幕を開けた。


「せやッ!」


『ブルァアアッ!』


 突進の勢いそのままに剣を繰り出す夜月。両手で握った石槌を操り、襲い来る斬撃をたやすく弾くスケルトンオーク。

 すかさず夜月はバックステップで退く。その跡を反撃の石槌が通過して豪快に地を叩き、重い殴打音と粉塵を巻き上げる。


 タンクと豚人の白骨は、二メートルほど距離を維持したままにらみ合う――対峙する両者の姿を、壁で揺れる青い灯火が照らし出した。


「後ろに回る」


「了解、《タウント》!」


 次いで、佩剣を抜き放った牧浦が動き出す。

 呼応する形で夜月がスキルを発動すると、魔力の波動を浴びたスケルトンオークは注意を惹きつけられる。その隙を突いて易々と後方へ抜け出した。


(くっ……!)


 ここでようやく荒井も動き出す。白骨の背を、斜め後方から視認できる位置で剣を構える。

 首尾よく三方から標的を囲う陣形が整った――本来ならこう簡単にはいかない。モンスターにとっても死角を潰すことは当然で、絶えず立ち位置を変えて対処されるからだ。


 けれどタンクが本領を発揮している現状、敵は行動の選択肢を狭められ、味方には行動の自由が齎される。その結果、アタッカー二人は難なく後方へ回り込むことができたのである。 

 先手を譲っていきなり窮地に陥った初戦とは違い、今回は上々の滑り出しを見せた。


「はッ――」


 間を置かず牧浦が仕掛ける。蛇のような身のこなしで背後から獲物に迫り、顔の左に構えた剣を横一閃に振るう。

 直後、甲高い金属音が一つ聞こえてくる。

 虚を突いた鋭い一撃は、惜しくもスケルトンオークに凌がれた。奇襲に気づき、身を翻しつつ石槌を繰り出して相殺したのだ。


「チッ……」


 牧浦が一層顔をしかめる。やはり侮りがたい敵だ、言外にそう告げていた。それでも攻撃の手は緩まない。動揺せずに素早く剣を引き戻し、足を動かしながら激しい連撃を見舞う。


 連続して火花が舞い散り、剣戟音が鳴り響く。またしても攻撃を凌がれた証左である。

 しかし初戦とは違い、スケルトンオークは反撃に移ることができないでいた。逆に牧浦の猛攻に圧され、一太刀ごとに後退していく。


(強い……)


 荒井は身構えたまま、その攻防に目を奪われていた。

 ステータス上昇の影響か、相棒の剣圧の凄まじさはこれまでとは段違いだった。それに何より、前々から非凡だと感じていた技量がより際立って見える。


 間違いなく『鍛錬を積んだ者の剣』だ。自身の、ステータスに任せた素人の剣とは大きく違う。格上のモンスターと戦い、太刀筋を披露する機会が増えた今だからこそより強く実感できた。


 そして、荒井は知っている。このパーティにはもう一人、新人にしては熟達した戦闘技術を有する者がいることを――そのもう一人が動く。


「はあッ!」


 たじたじと後退りしながら攻撃を捌くスケルトンオークに対し、右側から鋭い踏み込みで肉薄する夜月。立て続けに左薙ぎの斬撃が放たれ、ガキン、という破砕音とともに白い右上腕骨の一部が砕け散る。


『ブギィッ……!』


 手傷を負ったスケルトンオークは、挟撃から逃れる手段として迷わず後方へ飛ぶことを選んだ。着地後、口を大きく開けつつ少し仰け反った体勢をとる。初戦でパーティ全体を窮地に陥れた『咆哮』の予備動作だ。


 決まれば形勢逆転の可能性も大いにあり得る――が、それは叶わない。

 夜月が足を止めず敵の懐へ突っ込み、スキルを発動させた。


「――《シールドバッシュ》!」


 間髪入れずスキルエフェクトを纏う盾が叩き込まれる。

 盾撃はスケルトンオークのガラ空きの胴体へ命中し、豪快な破砕音にあわせてぐらりとその巨体が大きく後ろに傾く。さらに一歩、二歩と後退してから尻もちをいた。


 咆哮を発動寸前で潰されたばかりか、致命的な隙を晒す始末。 

 こうなれば、待ち受ける結末はただ一つ。 


「はッ」


 牧浦が短く息を吐きつつ横薙ぎの斬撃を放つ。途端に豚の頭骨は刎ね飛ばされ、山なりの軌道を描きつつ地面に落下して音を立てた。次いで胴体が崩壊し、石槌もろとも黒い粒子となって消失する。


 荒井にとっての雪辱戦は、こうしてあっさり勝負がついてしまう。本人は一度も剣を振るうことなく、不完全燃焼も甚だしい結果となった。

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