第11話
「夜月、冒険者の方は最近どうなの?」
ゲームマスターとの邂逅から数日後の朝。
僕は登校の支度を済ませ、ダイニングテーブルでコーヒーを飲んでいた。すると対面に座る女性が、「ふと思ったんだけど」といったような軽い口ぶりで問を発した。
「まあ、ぼちぼちかなー」
「そうなの」
佐和秋穂(さわ・あきほ)。
目の前で、黒猫のアニメキャラが描かれたカップに口をつける女性の名だ。
僕との関係性は、居候先の家主にして大恩人。そのうえ親代わり的な存在でもある。
キリッとした顔つきに、上品なミディアムロングの黒髪がとてもよく似合っている。年齢は四十……いや、これ以上の言及は避けるべきだ。
「あんた、何か余計なこと考えてない?」
「いえ、何も」
ほらな。秋穂さんはとても勘が鋭く、しかも年齢の話題はタブーなのだ。あと独身であることに関しても。うっかり口にしたり、考えがバレようものなら強めに頭を叩かれてしまう。
「ならいいけど。それより夜月、あんまり無茶しないようにしなさいよ。冒険者になったばかりなんだからね」
「大丈夫だって。僕だってバカじゃないんだし」
「ソロなのに危険な階層へ行ったりしてない?」
「シテナイヨ……」
「やっぱり無茶してるんじゃない。あんたは英雄くんに似て無鉄砲なところがあるから、天国の香澄だってきっと心配しているはずよ」
秋穂さんは、僕の亡き両親と非常に親しい関係にあった。
母とは幼馴染かつ親友で、その縁で父とも交友があり、当然ながら僕のことも出生時から知っている。
つまり何でもお見通しなのだ、彼女は。3階層で早々に絶望しかけたことは内緒だったというのに……。
「順調といえば順調だからさ、そんなに心配しないでよ」
まったくのウソである。でも秋穂さんには、ウソでも安心してもらいたかった。何しろ親代わりにして大恩人なのだから。
そう、大恩人――言うなれば、救済者。
今より五年前、僕は秋穂さんに救われた。聖家というゴミ溜め以下の場所から、ネグレクトされていた僕を颯爽と連れ出してくれたのだ。
そんなことを考えていたからだろうか。ふと頭の中に、複雑な感情に彩られた過去の記憶が浮かび上がってくる。
――僕は五歳の頃、母を不慮の事故で亡くした。しかし父は冒険者として生計を立てていたので家を空けることが多く、育児との両立は困難だった。
そこで、親交の深かった秋穂さんが手を挙げてくれたそうだ。
以降、父が冒険者として活動している間、僕はこの家に預けられた。秋穂さんは親にも似た愛情を持って接してくれたので、とても居心地が良かったことを今でも覚えている。
それから五年後、今度は父が『無差別殺傷事件』に巻き込まれて他界した。警察から聞かされた話によれば、僕と同い年の少女をかばって犯人に刃物で刺されたそうだ。
後に、犯人は『違法ドラッグ』による錯乱状態中の凶行だったと判明する。この事件により父を含む三人が命を落とし、五人が重軽傷を負った。
こうして僕はわずか十歳にして両親を亡くし、親戚の聖家に引き取られることとなる。
そして、養子先は最低最悪の場所だった――聖家のクソ夫妻は父の遺産だけが目的で、養子の面倒を見る気なんてさらさらなかったのである。
端的に言って、僕は育児放棄された。
家では一切食べ物を与えられず、小学校の給食が唯一まともな食事の機会。服はボロボロの物を一つだけ渡され、ろくに風呂にも入らせてもらえない。
もちろん教師などに訴えはしたけれど無駄だった。聖のクソ夫妻は外面だけは異常に良く、大人はみんな『あの子は両親を亡くして精神不安定なのだ』というヤツらの虚言を信じた。
強い空腹感に苛まれ、近所の雑木林で捕まえた昆虫を食べて飢えを凌ぐ日々が続いた。
しかし、引き取られてから約二年後のことだ。
中学校への入学を控えたある春の日、僕の状況は一変する――鬼の形相をした秋穂さんが弁護士を引き連れ、聖家に突如乗り込んできたのである。
それから彼女は、弁護士と一緒にネグレクトの証拠を突きつけて聖のクソ夫妻を脅し、僕を自身の家に下宿させることを承諾させたのだった。あわせて遺産に関する権限についても奪い返してくれた。
当時の僕は、わんわん泣きながらその様子を眺めていた。
何しろ大好きな秋穂さんとは、面会はおろか連絡を取ることすら出来ていなかった。言わずもがな、ネグレクトをチクられたくない聖のクソ夫妻の謀略である。なのに、彼女は助けに来てくれたのだ。
「待たせてごめんね。もう大丈夫、これからは私がちゃんと見ているから」
秋穂さんは、そう言いながら抱きしめてくれた。ぎゅうっと、とてもとても強く。
その時の震えた声を、震えた体から伝わってくる温もりを、僕は一生忘れない。
ところで、ネグレクトの事実をいかなる方法で知ったのか、という話なのだが――後になって教えてもらったのだけれど、なんと秋穂さんは師匠と協力して調査してくれていた。
そもそも彼女は、僕と連絡が取れない時点でかなり心配していたそうだ。おまけに何度かけあっても面会は許可されない。そのため聖のクソ夫妻に対して強い不信感を抱き、近況調査に乗り出すことにしたという。
しかし、生憎と自身の顔は相手方に知られており、聖家の周囲をうろつくには問題がある。そこで師匠に事情を伝え、協力を依頼した。
秋穂さん曰く、二人は僕の父を通じて知り合い、お中元やお歳暮を贈り合う仲だったらしい。加えて、実際に諸々の証拠を集めてくれたのは師匠だと聞いている。
かくて痩せこけた子供が一人、ゴミ溜め以下の場所から救い出された――ゆえに僕にとっての救済者であり、大恩人でもあるのだ。
秋穂さんに至っては、その後もお世話になりすぎて頭が上がらない。
再び親代わりとして面倒を見てもらったり(子供の頃からずっともう一人の母親だと思っている)、師匠に冒険者として弟子入りする段取りを整えてもらったり(僕の夢を知り、弟子入りを嫌がる師匠を説得してくれた)、父の遺産の管理をお願いしたり(使い込まれたうえで数千万円ほど残っていた)。
「――ちょっと、夜月。あんたそろそろ学校に行く時間じゃない?」
不意に、当の大恩人の急かすような声が飛んでくる。
クラゲのように記憶の深海を漂う僕の意識は速やかに浮上した。
「……あ、時間だ。行ってくる」
「こら、ちょっと待ちなさい」
椅子から立ち上がったところで制止される。次いで、秋穂さんはこちらへ歩み寄ってきた。
「ネクタイがゆるゆるじゃないの。だらしないわよ、まったく。図体ばっかりデカくなっちゃって。身長、いくつになった?」
「こないだ測った時は175センチだった。でも、また伸びてるかも」
「成長期ねぇ。あんまり大きくなるようなら制服を買い換えないと」
呆れた様子ながらも、手際よく制服のネクタイを締め直してくれる。
僕は少し恥ずかしかったけれど無抵抗を貫く。こういう場合、抵抗しても無駄だと知っているのだ。
「これでよし、今日も男前よ。さあ、いってらっしゃい」
「親ばか発言はやめてくれって。じゃあいってきまーす」
ネクタイが締め直されると、今度はパンと一つ肩を叩かれる。僕はそれを合図に脇に置いてあったスクールバッグを拾い上げ、玄関と通じる階段を駆け下りる。
ちなみに、居候先は――もとい我が家は三階建だ。
一階は秋穂さんが店主を務める喫茶店で、二階・三階が居住スペース。祖父母から建物ごと引き継いだらしい。
なお、喫茶店はわりと繁盛していたりする。名物メニューがSNSで何度かプチバズりしているのだ。
「よ、っと」
少しかかとの潰れたローファーにつま先を突っ込み、扉を開けて家をでる。
ふと、暮春の空を羽ばたく鳥の姿が目に飛び込んできた。僕はなんとなく気分が良くなり、すっかり緑を濃くした通学路を軽快に歩く。
それからモノレールに乗り、三十分ほどで学校へと到着した。
以降、僕のやることは決まっている。SHRが始まるまでは、日課にしている情報収集の時間なのである。
と、いうわけで。
僕は教室に入るなり、いつもの如く無言で窓際最後方の自席に腰を落ち着ける。鞄は机の横のフックに引っ掛けた。次いでスマホを取り出し、画面を適当にタップしつつクラスメイトの会話に耳を傾ける。
「おっはよー。今朝のダンジョン・シークのトピックス見た?」
「もちろん。新人冒険者限定のイベントやるんだってな」
さっそくクラスメイトの会話が聞こえてくる。しかも、話題は相当に興味深い。
「新人限定イベントなんて初めてじゃない?」
「だよな。しかも日本限定だって」
みんな話題に興味津々な様子で、雑談の輪はあっという間に広がっていく。
内容を要約すると、『新人冒険者を対象にしたダンジョンイベントが開催される』ということらしい。
あれ、なんだか思い当たるフシがあるぞ……そう言えば、今日はまだダンジョン・シークをチェックしていなかったな。
僕はアプリを立ち上げ、真っ先に目に飛び込んできたトピックスニュースを一読する。
『来たるゴールデンウィーク、新人冒険者を対象とした成長支援イベント、その名も〝登竜門〟を大開催! 集え、ルーキー。仲間とともに〝骸骨迷宮〟へ挑み、幽骨の試練を乗り越えユニークスキルを手に入れろ!』
トピックス欄のトップには、デカデカとそう記載されていた。
続けて関連する詳細記事を読む。
・登竜門の開催中、期間限定でイベントダンジョンが公開される。
・該当のイベントダンジョンの名称は『骸骨迷宮』。
・骸骨迷宮は、冒険者登録を行ってから三ヶ月以内の新人冒険者のみが挑戦可能。
・骸骨迷宮を踏破し、『幽骨の試練』を乗り越えし者にはユニークスキルが授けられる。
・関連情報は順次公開予定。
以上が、記事の要点をかいつまんだ内容である。素直にどれも興味をそそられる……が、とりわけ注目すべきは『幽骨の試練を乗り越えし者にはユニークスキルが授けられる』という点だろう。
ユニークスキルとは、特定条件を満たすことによって獲得できる特殊なスキルの総称だ。そのどれもが凄まじい威力を秘めているため、世界中の冒険者が獲得を熱望している。加えて、その名が示すように『唯一無二』のスキルでもある。
ただし、獲得条件には不明点が多い。あまりにも謎すぎて、『奇跡でも起こらない限り獲得不可能』とまで言われている。
ところが今回のイベントでは、驚くべきことにユニークスキル獲得の可能性が示唆されている。
つまるところ、これがゲームマスターの言っていた『冒険者としてうんと成長できる機会』というやつなのだろう。
ならば当然、僕はイベントダンジョンに挑むことになる――そう意識した瞬間、ドクンと心臓が躍るように脈打った。
武者震いならぬ武者動悸だ。英語風に言うとサムライハートビートってやつだ。なんか一曲かけそう。
「おっす。俺ぬきでなに騒いでんだ?」
「お、荒井! おはよう、待ってたぜ」
僕が人知れず興奮していると、いつものように遅れて我がクラスの主役が登場した。
登校そうそう会話の輪に加わった彼の名は、荒井孝之。
新人冒険者として活動するクラスメイトで、大量のピアスとハイトーンカラーの短髪がトレードマークである。
「ダンジョン・シークは見てるだろ? 荒井もこの『登竜門』ってやつ参加すんの?」
「ああ、その話か。参加するに決まってんだろ。ゼッテー見逃せねーよ」
珍しく荒井の発言に同意だ――絶対に見逃せない。いや、冒険者なら見逃しちゃいけない。ユニークスキルの獲得を示唆されている以上、成長うんぬん抜きに是が非でも挑むべきだ。
何しろ、世界をリードする冒険者は大抵がユニークスキルホルダーだ。すなわちユニークスキルとは、トップ冒険者へと至るためのプラチナチケットに他ならない。
仮に所持者から奪えるのなら、『殺してでも奪い取る』のコマンドを選択する者が続出すること間違いなし。
「この俺が、ゼッテーにユニークスキルをゲットしてやるぜ。そんでトップクランの仲間入りってわけよ」
――いいや、ユニークスキルを手に入れるのはこの僕だ。
聞き捨てならぬセリフを吐く荒井の背中に向け、闘志を込めた猛々しい視線を送る。
というか、誰もが似たような意気込みで挑むはず。新人であれど、ユニークスキルを獲得すれば栄誉栄達は思いのままなのだから。
これは……なんだか戦争の予感がしてきたぜ。
その日、僕はもう気もそぞろで授業にまったく集中できなかった。
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