第6話

 冒険なんてするんじゃなかった。

 結果から言うと、僕の選択は裏目に出ていた。


「くそっ、来るなら一体ずつ来てくれ……!」


 ダンジョンの3階層。

 周囲の景観は上階層とあまり変わらず、緩やかに蛇行する灰色の岩窟といった様子だった。その中を四つの影が駆ける。


 先頭の一つは、息を切らしつつ必死の形相で遁走する冒険者の影。それを追い立てるような位置取りで、獣影が三つ続く。


 言わずもがな、先頭の影は僕だ――現在、焦げ茶色の被毛を持つ『ケイブハウンド』という犬型モンスターから逃走している真っ最中。

 どうしてこうなったのか……事の始まりは、今より十数分ほど前に遡る。


 3階層に到達した後、僕は一息ついてから探索を開始した。目的地を定めずに足の向くまま歩く。すると、しばらく経ったところで三股の分かれ道に行き着いた。


 当然の流れとして、僕はマップを確認するためにスマホに視線を落とす。

 と、そこで突如奇襲を受ける――左方の通路に転がっていた大岩の死角から、三体のケイブハウンドが飛び出してきたのだ。


 僕は咄嗟に盾を構え、突出して襲いかかってきた個体の飛びかかりを間一髪で弾き返す。

 二度はない奇跡、そう言って差し支えないような身のこなしだった。思わずスマホを取り落してしまったものの、何とか命拾いすることに成功する。

 

 けれど、その後の展開がマズかった。

 襲いくるモンスターに対し、僕は反撃に移ることができなかったのである。 


 ケイブハウンドは大型犬に近い体格を有しており、なおかつ俊敏性に優れる――強靭な四足で地を蹴り、素早く獲物の喉笛に喰らいつく。とても獰猛で、一度喰らいつけば相手が事切れるまで離すことはない。さらに厄介なことに群れで狩りをする習性を持つ。


 そしてその習性通り、恐るべきチームワークを発揮して襲いくるケイブハウンド。

 低い唸り声を発してこちらを威嚇し、隙あらば喉笛を目掛けて飛びかかってくる。三体が目まぐるしく立ち位置を変えながら、攻撃は間断なく繰り返された。


 まさに『洞窟の猟犬』の名に恥じない猛攻。

 反撃に移るどころか、剣を抜く暇さえ与えてもらえなかった。


 それでも僕は死にものぐるいで盾を操り、どうにか攻撃を跳ね返し続けた。とはいえ、体力の枯渇と同時に喉笛を食い千切られることは明白。

 それゆえ、他に打てる手なんて思いつかなかった――運良く生じた一瞬の隙に乗じて、僕は脱兎のごとく逃げ出した。


 かくて決死の追いかけっこが開始され、今に至る。

 だが、そろそろ潮時らしい。


「ウソだろっ、行き止まり!?」

 

 闇雲に逃げ回ったあげく、なんとも運の悪いことに袋小路に行き当たってしまった。

  

「冗談キツイぜ……」


 突き当りの壁に背を付けた僕を、追跡してきたケイブハウンドの群れが半包囲する。

 そこで改めて敵の様子を視界に収めた。


 見た目はスラリとしたフォルムの大型犬。けれど、まったく可愛げがない。両眼は赤黒く染まり、半開きの口からは鋭い牙がのぞく。おまけに絶えずダラダラ唾液を垂らしており、狂犬病もかくやといったグロテスクな様相だ。


 何でも『カワイイ』と騒ぎ立てる女子高生だって真顔になるに違いない。

 しかも高い戦闘力を有するものだから、余計に可愛くない。

 それが、五体も……増えてやがる!?


『グルルルルッ』


 落ち着け、それで……どうすりゃいい? 

 僅かな時間的猶予を得たので、僕はとりあえず腰の佩剣を抜く。

 刀身が鞘と擦れてか細い音が鳴る。ケイブハウンドは揃って耳を立てつつ前傾姿勢をとり、強い警戒心をあらわにした。


「さあて……」


 ここに至ってようやく剣を抜くことは叶った。が、焼け石に水だろう。三体でも手に負えなかった洞窟の猟犬が、その数を五体にまで増しているのだ。今も隙のないチームワークを発揮しながら、虎視眈々と僕の喉笛を狙っていやがる。


 追い詰められ、絶望的な窮地に。

 撃破するには実力が足らず、再び逃走しようにも包囲に穴はなし。壁を背にした防戦くらいはできなくもないが、ジリ貧なのは目に見えている。


「……ちょっと、ダメそうだな」


 獣のうめき声が反響するダンジョンの袋小路。僕そこで一人、周囲に忙しなく視線を走らせて打開策を模索する。しかし残念ながら妙案は見つからずじまい。

 じくり、失望感が胸中を黒く染めあげていく。


「仕方ない……けど、最後まで精々足掻くとするか」


 代わりに、覚悟は決まった。

 潔くなどするものか。こちとら往生際の悪い性格をしているのだ、生き残れないまでも一体くらいは道連れにしてやる。

 

「いいぜ、来いよ。簡単にやれると思うなよ、駄犬どもッ!」

 

 じりじりと包囲を狭めるケイブハウンドに対し、僕は吠える。

 盾と剣を構え、恐れることなく一歩踏み込む。

 と、その時。


「ん?」


 ケイブハウンドが揃って不審な動きを見せた。忙しなく耳を動かしたかと思うと、包囲を解いてまで即座に位置取りを変えたのだ。それはまるで、後方からの襲撃を警戒するような配置だった。


 ややあって。

 タッタッタッタッタッ――と、袋小路の出口側から走るような音が聞こえてきた。

 続いて、透明感のある美しい声が僕の耳に届く。


「助けは必要ですか?」


 それは、さながら暗闇に差し込む一縷の光。

 間髪入れず、僕は腹の底から声を絞りだす。


「はい、助けてくださいっ!」


「了承しました」


 すかさず心強い返答を得られる――間を置かずダンジョンの薄闇を裂いて現れたのは、煌めくような美貌を持つ少女だった。


 天使の輪の降りる濡れ羽色のミディアムボブが、その足取りに合わせてさらりとなびく。

 続けて目を引かれたのは、白く小さな顔。完璧に整ったパーツが絶妙なバランスで配置されていて、深い輝きを湛えた『エメラルド色の瞳』がとりわけ印象的だった。 


 絶世の美少女、と言っても大げさではない。

 それに加えて、スタイルは黄金の八頭身。こんな場所でなければ、きっとファッションモデルか何かだと思い込んでいた違いない――いや、それもあながち的外れではない。


 彼女はハイセンスな装備品を見事なまでに着こなしている。そこらのモデルと比較しても遜色ない。むしろ、明らかに勝っていた。


 着用するアウターとインナーは、どちらも流行のビッグシルエットウェア。スポーティーかつスタイリッシュなデザインで、白を基調に発色の良い紫が『差し色』として用いられている。

 ボトムスには同じくスポーティー系のミニスカートを合わせており、その裾から覗く長くしなやかな脚は黒タイツによって秘されている。

 足元は膝丈のブーツ。各関節の動きを阻害しない、女性に人気の高い品だ。


 眩いばかりの美貌と相まって、そのままファッション誌の表紙を飾っても何らおかしくない。

 しかし、たった一つ。


 彼女を冒険者たらしめる決定的な要素が、その右手にしっかりと握られていた――それは、一般に『バスタードソード』と呼ばれる類の西洋剣。


 長剣に分類されるが、両手でも片手でも扱えるのが特徴だ。俗に片手半剣とも呼ばれ、昨今の冒険者がこぞって装備しているのも同種の剣である。

 それにしては、彼女の物は刀身がかなり細身に見える。おそらくオーダーメイド製なのだろう。


 ともあれ、どれもこれもが一級品。無論、装備品すべてにダンジョンでのみ獲得可能な『特殊な素材』が合成されており、優れたパフォーマンスを発揮するに違いない。

 そして、それらすべてを差し置いて――真に驚愕すべきは、颯爽と現れた救世主が僕ですら知っているほどの有名人だったこと。 


 曰く、卓越した才能をその身に宿す少女。

 新人でありながら、有名クランに在籍することを許された期待の新星。


 その名も、風宮凛――彼女は『カザリン』という愛称で広く知られる人物で、新人ながらにアイドル的な人気を博す有名冒険者である。


「それで、キミはそこで見ているだけ?」


 風宮凛の問いかけが、僕をつかの間の忘我から引き戻す。

 そうだ……何となく彼女に盲従するつもりでいたけど、これは僕の戦いだったはずだろう? 

 ほら、敵をちゃんと見ろ。多少は混乱しているみたいだが、依然警戒を緩めずにいるぞ。


「――当然、戦います。僕がケイブハウンドの気を引くので、機を見て攻撃を加えてください」


「了解です」


 素早く頭の中を整理して、己の思い描く戦闘プランに沿ったオーダーを告げる。

 その瞬間、どうしようもなく胸が躍った。臨時とはいえ待望のパーティメンバー獲得の瞬間だ、盛り上がらないなんて嘘だ。


「行くぞ、犬っころ――《タウント》!」


 ひと呼吸おき、僕はケイブハウンドの群れの前に身を晒しながらスキルを発動した。すると己の体を中心に魔力の『波動』が発せられ、瞬時に周囲を駆け抜けていく。


 いま発動した《タウント》というスキルは、冒険者登録の際に高い金を支払って習得した『二つのスタートスキル』の内の片方。

 その名が示す通り、波動を浴びたモンスターに嘲りや侮辱といった感情を伝え、怒らせて『挑発』する効果を持つ(らしい)。なにより肝要なのは、発動者の身にモンスターの『ヘイト(敵視)』をに引きつける、ということ。


 ただし、モンスターの攻撃はもっともヘイトの高い者に集中するので、自身を危険にさらすことになる。しかし敵の行動を誘導可能にもなるため、パーティ戦術上とても役に立つ。


『グルァアアッ!!』


 僕か新たに現れた風宮凛か、どちらを優先すべきか迷いを見せていたケイブハウンド。だがスキルの効果を受け、やにわにすべての視線が我が身へ突き刺さる。

 直後。

 先頭に陣取っていた一体がこちらに飛びかかってきた。

 

「はッ――だりゃあ!」


『ギャンッ!?』


 僕は冷静に敵の突撃を盾でいなしつつも、死角から刺突を放って反撃を加える。ただし深追いはせず、浅く傷をつけるだけに留めて素早く剣を引く。既に別の個体が足に喰らいつこうと迫ってきていた。


 瞬時にステップを踏むようにして、足元への噛みつきを躱す。

 お返しとばかりに、すれ違いざまの斬撃を胴へくれてやる。腕の振りだけで放ったコンパクトな一撃は、やはり薄皮一枚を切り裂くのが精一杯。青血が飛び散りはしたものの明らかに決定打に欠ける。


 ――だが、これでいい。

 今は攻撃より防御に比重を置く。合わせて、絶えず周囲に視線を配ることも忘れない。


「うお、ぐっ!?」


 息つく暇もなく別の個体のタックルが迫る。

 盾を体に密着させ、腰をいれ衝突に備える。一瞬の空白を挟み、強烈な突撃を受けてたまらず二歩ほど後退した。が、なんとか持ちこたえた。


 絶対に倒れるわけにはいかない。膝をつけば寄り集まって喰い付かれ、間違いなく僕はそこで終わる。

 けれど立ち続けてさえいれば、ほら見ろ――


『ギャオンッ!?』


 後方から突如として上がる断末魔。

 示し合わせたように戦闘が止まり、場の視線が残らず声の元に吸い寄せられる。


「先ずは、一体」


 視線の先にあったのは、ケイブハウンドの頭部に愛剣を突き立てる風宮凛の姿。

 

「ナイス!」


 実のところ、僕はその一部始終を視界の端に捉えていた。

 挑発スキルによってまとめて注意を引かれ、群れの最後方に陣取る個体がまぬけにも大きな隙を晒していた。そこへ彼女は襲いかかり、強烈な刺突をお見舞いしたのである。


 続けて長剣が引き抜かれると、頭部を穿たれた個体は力なくその場に平伏した。まるで聞き分けのいい忠犬のような有り様。しかしその頭部からは、青色をした命の源がとめどなくこぼれ落ちている。


「もう一度、全体の気を引くッ――《タウント》!」


「了解!」


 僕はすかさずスキルを再発動して魔力の波動を飛ばす。

 単純な話で、群れの一体を撃破した風宮凛にヘイト(敵視)が向かい始めていた。だが、そうはさせない。敵を引きつけるのは僕の役目だ。

 スキルの効果を受け、再びケイブハウンドの視線を一身に集める。


『グルルル……』


「さあ、続けようぜ」


 後は同じことの繰り返しだった。

 矢継ぎ早に襲い来るケイブハウンドの攻撃をどうにか捌き、嫌がらせていどの反撃を繰り出してヘイトを集め続ける。その隙を狙い、アタッカーを担う風宮凛が後方から斬りかかる。


 一匹、また一匹と敵の数は減っていった。

 次第に攻勢は弱まり、僕にも余裕が生まれ始める。

 そして、すべてのケイブハウンドの亡骸が粒子化して消えさると、その場には二人の冒険者だけが残された。

 僕は呼吸を整えながら、誰にともなく問いかける。

 

「終わり、か……?」


「うん。ぜんぶ片付いたみたい」


 鞘に剣を戻しながら応じる風宮凛。その姿がどうにも様になっていて、またしても見惚れてしまいそうになる。


「どうしたの? あ、もしかして怪我?」


 彼女が首を傾げた拍子に黒髪がサラリと揺れた。

 その拍子に我に返り、僕も剣を鞘に戻しながら慌てて口を開く。黙っているなど命の恩人に対して失礼がすぎる。


「いや、おかげで怪我はないよ。君が助けてくれなければ、僕はやられていた思う。本当にありがとうございました」


 僕は少し歩み寄ってから頭を下げ、心よりの礼を告げた。ところがこちらが顔をあげるが早いか、彼女はどこか浮かない表情とともに思いもよらぬ言葉を口にする。


「お礼なんて必要ないわ。むしろ私が謝らなくちゃいけないの」


 言って、ポケットから見覚えのあるスマホを取り出してみせた。 

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