第7話

「これ、キミのスマホで間違いない?」 


「そうみたいだ。わざわざ拾ってくれたのか」


 風宮凛が手渡してくれた端末、それは間違いなく僕のスマホだった。

 件の三股のわかれ道でケイブハウンドの襲撃に遭い、うっかり取り落してしまった物だ。それを届けてくれるなんて、もはや後光がさして見えるレベルである。


「助けてもらったばかりかスマホまで……本当にありがとう。でもそうなると、ますますわからないな。いったい何を謝る必要があるんだ?」


 彼女が罪悪感を抱く理由に関して、まったく思い当たる節がない。なにせこちらは、命を救われた上にスマホまで届けてもらっているのだ。仮に何かあったとしても大概のことは笑って許せてしまう。


「実を言うと、キミがケイブハウンドに奇襲されたところを見ていたの。位置はすこし離れていたけれど、本当ならそこで助けに入ることもできた」


 彼女は眉尻を下げつつ真相を打ち明けてくれた。

 僕とケイブハウンドが最初にエンカウントした場面を遠目から覗っていたそうだ。しかも形勢不利と見て、即座に助けに入ろうとしてくれていたらしい。


「でも、ごめんなさい……パーティメンバーと協議する必要があって」


 ところが、救援に反対する仲間たちに引き止められてしまい、そうこうしている内に僕の逃走劇が開始されたみたいだ。


「ああ、そうだったのか」


 僕にはやっぱり、彼女に非があるようには思えなかった。

 そもそもダンジョンはある種の無法地帯なので、見知らぬ冒険者と接触する場合には細心の注意を払う必要がある。不用意な接触はトラブルの元だ。


 おまけに要救助者は軽蔑対象の盾持ち。『リスクを負ってまで助ける価値なし』と、仲間たちが判断したであろうことは想像に難くない。


「それでも、君は一人でも追いかけてきてくれた」


「まぁ、そうね」


「おかげで僕は救われたんだ、何も後ろめたく思う必要なんてない。むしろどうやって恩返しすればいいのやら」


 冒険者はダンジョンで死んだところで、本当に死ぬわけじゃない。所謂『ニアデス(疑似死)』というシステムで保護されている。

 とは言うものの、ニアデス時に味わう『死』の苦しみは現実と相違ない。おまけに冒険者の資格まで失効し、二度とダンジョンに立ち入ることができなくなる。


 そう……僕の冒険者生活は、わずか二日目にして危うく幕を閉じる寸前だったのである。それは夢の終焉と同義。

 個人的には、命を救われた以上の恩義を感じていた。しかしながら風宮凛は、その美しい顔を曇らせたまま。


「そもそも、ただの善意で助けに入ったわけじゃない。言ってしまえば、これは『種まき』みたいなものなの」


「種まき?」


 彼女は、どこか遠くを望むような眼差しで言葉を紡ぐ。


「そう、種まき――私には、ダンジョンで絶対に叶えたい願いがある。けれど、それはとっても困難で……だからこうして種をまくの。いつか花を咲かせ、私を助ける何かが実るかもしれないから」


「つまり、情けは人のためならずってやつか」


 いや、ちょっと違うか……ともかく彼女は、己の信念に沿って行動した。だとしたら、なおさら負い目を感じる必要などない。謝罪の必要性に至っては皆無だ。


「何にせよ、君には本当に感謝している。この恩は忘れないし、いつか必ず返す。ていうか、僕にできそうな事があったらいつでも言ってくれ」


「ありがとう。じゃあ遠慮なく――キミは、そのまま強くなって」


「そのまま強く……?」


「私ね、きっとまた『盾を使いこなす冒険者』が必要とされる時が来ると思っているの。だからキミは盾を捨てずに強くなって。それでいつか、私が困っていたら力を貸してちょうだい」


 予想外の言葉をかけられ、思わず面食らった。

 盾を持つことを誰かに肯定されたのは初めてだ。世間の風潮は言わずもがな、僕の師匠ですらあまり良く思っていないほどである。なのに、風宮凛は盾を捨てるなと言った――言ってくれた。


「……わかった。絶対に強くなって、今度は僕が君を助ける」


「押し付けがましくてごめんね。無理そうだったら忘れて」


「忘れないよ。約束する、僕は絶対に盾を手放さない」


 もとより手放すつもりなんてない。けれど、言葉にしてもらって素直に嬉しかった。

 胸の奥底で熱い何かが灯ったような気がした――この熱はきっと、僕が前へ進むためのエネルギーになる。

 と、そんな確信を抱いたそのとき。


「――おい、凛」


 袋小路へ続く通路から、四人の男女が姿を現した。一行はゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。


「みんな。来てくれたんだ」


 振り返って応じる風宮凛。

 気安い口ぶりから、彼らがパーティメンバーであることが察せられた。

 どうやら五人パーティらしい。男女二人ずつ、そこに風宮凛が加わる形だ。


「探したぜ、まったく。勝手に飛び出しやがって」


「そうだよ、凛。びっくりさせないで」


 面構えから判断するに、みんな同年代かやや年上のようだ。

 各々スタイリッシュな装備を着用し、いっぱしの冒険者のように見える。男二人は腰に長剣をぶら下げており、女性二人は珍しいことに弓と杖をそれぞれ所持していた。


「心配かけてごめんなさい」


「凛が無事ならそれでいい。目的も果たしたんだろ? なら、さっさと帰ろうぜ」


「うん。あ、後ろにいる盾の彼も出口まで一緒にいくから」


「はあ? 本気かよ」


 風宮凛の提案は、僕としては非常に有り難いものだった。せっかく命を拾ったというのに、またぞろケイブハウンドに襲われてはたまらない。

 しかし、会話をしていたパーティメンバーのひとり――とりわけ目つきの鋭い男が強く反発する。


「そんなやつ放っておけ」


「ダメ。せめて2階層までは一緒に行くわ」


「チッ、わかったよ。盾野郎、さっさと行くぞ」


 不承不承ながらも認める目つきの鋭い男。他のメンバーは特に異論なし、というか僕に対する興味自体がなさそうだ。

 正直なところ居心地はよくない……でもまあ、おかげで帰還の目処がたった。出口まで行かずとも、2階層まで戻りさえすれば後はどうとでもなる。


「何から何まで本当にありがとう、カザリン」


「どういたしまして。でも『カザリン』はやめてちょうだい」


 とりあえず諸々の感謝を伝えたはいいが、なぜか風宮凛からジト目を返される。

 なにそれ、ゾクゾクする……あれ? たしか広く浸透している愛称のはずだよな。なに? 本人は気にいってないの?

 そんな疑問はさておき、彼女がさっさと先頭に立つとパーティは帰途につく。


「おい、盾野郎」


「ん?」


 僕が遠慮がちに最後尾を歩いていると、例の目つきの鋭い男が話しかけてきた。ガンを飛ばしながら、やたらとドスの利いた声音で絡んでくる。


「凛に助けられたからって勘違いするなよ。いいか? お前を助けたのは、アイツのちょっとした気まぐれだ。俺らと別れたら二度と話しかけてくるな。こんど近寄ってきたら殺すぞ」


 少し事情を聞いたので勘違いする余地はない……というか、ナチュラルに脅迫された。

 なんというか、獰猛な番犬みたいな野郎だ。もしかしてケイブハウンド(洞窟の猟犬)の親戚か何かですか?


「約束は出来かねます。彼女には命を救われた大恩があり、それを返さないといけないので」


「お前は黙って頷け。口答えするな」


 丁重にお断りすると、ごつっと二の腕あたりを強めに小突かれる。

 理不尽極まりない……どうやら彼、熱烈な『アンチ盾持ちシンパ』のようだ。

 以降も不当なバッシングは続けられ、さすがに辟易した僕は2階層に到着したタイミングで再度礼を告げ、逃げるようにパーティから離脱したのだった。


 ***


 風宮凛に命を救われてから一週間ほどが過ぎた。

 僕はあれ以来、学校に通いつつ放課後・休日はダンジョンに挑戦、という半ばルーティン化された日々を送っている。

 ところが現在、肝心の冒険者活動が完全に行き詰まっていた。


「マジでどうしよう……」


 スターバックカフェ、JPタウン路面店。

 その店内は、午後三時のコーヒーブレイクを楽しむ冒険者たちで賑わっている。皆くつろいだ表情だ。

 それとは対照的に、僕は奥まった端の席でひとり浮かない顔をしていた。


「この一週間、まったく進展なしか……」


 言葉そのまま、自身の冒険者活動はちっとも進展していない。

 ダンジョン攻略階層は2階層どまり。もちろん3階層には一歩も足を踏み入れていない。加えて、ステータスの成長もゼロ。やはり雑魚のゴブリンをいくら討伐しても上がらなかった。


 盾持ち、かつソロであるがゆえのドでかい壁である。色はどんよりした灰色だ。

 僕は鯨のロゴが印刷された紙カップを口に運ぶ。中のコーヒーはすっかり冷めてしまっていた。 


「どうするかな……」


 壁を打破する方策を考える。

 もっとも簡単なのは、いったん盾を手放してどこかのパーティに加入することだ。それで適度にステータスを上げ、しかる後に盾を装備して活動再開すれば当面の問題は解決する。

 友好度によっては、引き続きパーティメンバーとして認めてくれるかもしれない。


「だけどなあ……」 


 だが、それは残念ながら不採用となった。

 理由は、ステータスに付帯する『成長傾向』及び『成長限界』という二つのシステムと、己の抱く理想とが絶望的に噛み合わないからである。


 冒険者のステータスは成長する。ただしその成長傾向は、ほぼオートで決定される――獲得した経験値は、肉体的資質と精神的資質、所持スキル、戦闘行動、他のダンジョン活動など、自身の『パーソナリティ』に準じて各種パラメータへ自動分配され、一定量の蓄積を機にステータスを成長させる。


 続いて『成長限界』についてだが、実は冒険者のステータスが成長する回数は限られている――個人差はあれど、総計で五十回前後とされている。ゆえに『オールS+を目指す』なんてことは不可能。

 どちらも運営(ゲームマスター)から公開された情報なので疑う余地はない。


 そして何を隠そう、僕の目指すステータスの理想形は『防御能力特化型』だ。

 目標である『ダンジョン最高到達階層の日本記録更新』を実現するため、自分なりに考え抜いて導きだした結論である。


 これらの事情を煎じ詰めると、先述の『理想と噛み合わない』理由が見えてくる――とどのつまり、盾を持たずに戦闘を行い、不要なパラメータに経験値を割り振られることを避けたいがための不採用というわけだ。


 わずかたりともリソースの無駄使いは許されない、僕の夢はそれほどまでにシビア。

 可能なら、特定の能力に秀でたスペシャリストでパーティを編成したいとも考えている。

 現代トレンドでは、均等にステータスを成長させる『バランス型こそ絶対正義』と言われているが……正直、そんなの論外だ。 


『きっとまた盾を使いこなす冒険者が必要とされる時が来る』


 不意に風宮凛の言葉が思いだされる。

 もしかしたら彼女は、僕と近いビジョンを抱いているのかもしれない。


 さておき、肝心の現状を打破する方策なのだけど……ダメだ、いくら頭をひねっても何も出てこない。仕方ない、とりあえず体を動かすとするか。


 結局のところ、今日も今日とてダンジョンに向かうことにした。残念なことに、僕の脳みそは八割がた筋肉で構築されているのだった。

 カフェを後にして、ダンジョン最寄り通じる『21番ゲート』を通過する。ややあってダンジョンのランドマークとなっている巨大な純白の戦士像の付近へたどり着く。

 と、そこで異変に気がつく。


「ん? なんだ?」


 道中のちょっとした広場に何やら人垣が発生しており、やけに騒々しい。

 近づいてみると、大勢の冒険者が輪になって『何者』かを取り囲んでいるようだった。

 物見高い僕は混雑の原因を解明すべく、迷うことなく列に加わる。


「いや、困ったなあ。うーん、困った!」


 騒ぎの中心には、高級感のあるスーツに身を包む壮年男性の姿があった。

 すっきりと背が高く、甘い顔立ちに『赤い瞳』を持つ西洋風のイケメンである。が、今は襟足の長いセンターパートの金髪を振りみだし、何やら大声で嘆いている。大勢の冒険者がそれを遠巻きに見物していた。

 ていうかあの人って――


「ゲームマスター!?」


 有名すぎる『異人』にして、ダンジョンを含む異次元空間の創造主。

 人のようで、根本から異なる人外者。

 常に世界の注目を集め、常に世間を騒がせるアンコントローラブルな超越存在。


「本物か……?」


 視線のさきに唐突に、今や世界で最も影響力のある男が現れたものだからつい目を疑う。が、間違いない――見間違いようもない。ダンジョン・シークなどで何度も目にした容姿とそっくり同じなのだ。


「ああ、困った困った! 本当に困ったなあ!」


 渦中の超有名人は、天を仰いだり手を振り乱したりしながら盛大に嘆き続けている。

 それにしても……心配する気持ちがまったく湧いてこないな。多分、仕草が大げさすぎて演技っぽく見えるせいだろう。


「君は新人冒険者か?」


「え? あ、はい……」


「そうか。だったら、あの男には近づかない方がいい」


 ゲームマスターに胡乱な視線を向けていると、横にいた中年の男性冒険者から不意に声をかけられた。僕はまた『背中の盾に関する侮辱か』とうんざりしかけたけれど、それは思い違いのようだ。

 中年冒険者はこちらの返答を待たず、熟練の風格ただよう渋い声音で話を続ける。


「君が長く冒険者を続けたいのなら、なおさらゲームマスターに関わっちゃいけない。ネットなどで拡散されている情報どおり、本当に厄介おっさんだからね」


「ああ、やっぱりそうなんですか」


「そうだ。ヤツはとにかく面倒くさい男なんだ。近づけば間違いなく酷い目にあうぞ」


 このあまりの言われようには、ゲームマスターの極めて厄介な性質が災いしている。

 噂では『自分が楽しければ何でもアリ』の人格破綻者らしく……というか、冒険者をおもちゃか何かと勘違いしているみたいで、どれだけ迷惑を振りまこうがお構いなしなのだ。


 実際にゲームマスターの思いつきと独断で開催される『ダンジョンイベント』では、かなりの数の冒険者がニアデスの憂き目にあっている。毎回、性悪な仕掛けが施されているのだ。


 その悪評たるや、検索エンジンのサジェスト欄にずらっと罵詈雑言が並ぶほど。

 間違いなく、日本ダンジョン界一の嫌われ者だ。そのせいか、周囲を取り囲む冒険者たちからキツイ罵声を延々浴びせられていた。


「何が『困った』だ! わざとくせえんだよ、騙されるかボケが!」


「くたばりやがれ、クソったれゲームマスター」


「ようその間抜けヅラ晒せたな。ほんま目障りや」


「何が『スライムパラダイス』だ! テメーが打ったふざけたイベントで仲間が溶け死んだぞ、どうしてくれんだコラァ!」


 正直、ゲームマスターに対する風当たりはかなり厳しい……が、僕に冒険者としてのイロハを叩き込んでくれた『師匠』から聞いた話では、これでもまだ手ぬるい反応と言えよう。

 そもそも当人は、見る限り罵倒なんて気にも留めていない様子である。


「ご忠告ありがとうございました。僕はもう行きます」


「おう。頑張れよ、少年」


 念願の冒険者になったばかりなのだ、うっかり厄介事に巻き込まれてはたまらない。ベテランですら恐れるゲームマスターの気まぐれを、ソロの新人冒険者が乗り切れる道理などない。


 珍しく盾持ちを侮辱しないナイスガイな冒険者に礼を告げ、僕は騒動の輪から離れるべく足を動かそうとした――ところがその瞬間、元気一杯に嘆き続けていたゲームマスターと不意に視線がぶつかる。


「おや?」


「え?」


 動きを止め、首をかしげるゲームマスター。

 びっくりして、思わず動きを止める僕。

 その直後。

 日本ダンジョン界きっての嫌われ者が、こちら目掛けて猛然と歩み寄ってきた。


「げえ!?」


「うわ、こっち来んな!」


「少年、逃げろッ!?」


 騒然となる周囲には目もくれず、ゲームマスターは一直線に迫りくる。

 僕は突然の事態に唖然と立ちつくす――彼はそのまま息が掛かりそうな距離にまで詰め寄ると、ようやく立ち止まってくれた。


 しかし今度は、その両手でもって僕の肩をがっしりホールドした。驚くほどの怪力。逃げ遅れた哀れな子羊はその場に釘付けとなる。

 そうして、こちらの顔をまじまじと覗き込みながら言った。


「ヒデオくん?」


「えっ……!?」


 とても驚いた――驚かずにはいられない。

 いま僕の視界を塞いでいる世界的重要人物が口にしたのは、七年も前に亡くなっている僕の父の名前だったから。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る