20. モッヒとの約束

 その夜、べらは仕事しごとの打ち合わせが長引ながびいたうえ、メトロの事故じこでバスを使わなければならなかったので、かえりがすっかりおそくなってしまいました。

 べらのあたまは、仕事のこと、ゴーちゃんのママ探しのこと、コンテストのことで洗濯機せんたくきの中のあわのようでした。次々つぎつぎとアイデアがかび、消えて、また浮かびました。


 フォーレストヒルのえきにつくと、左手の近道ちかみちを通るのですが、その暗い中で、

「ひめ、だいじょうぶですか」

 という声がしました。

「おばや?」

 べらがきょろきょろしていると、てんとう虫のおしんが、ぴょんとかたりました。

「おばや、びっくりしたわ。っていてくれたの?」

事故じこがあったと聞きましたから」

「だいじょうぶよ。おばやこそ、だいじょうぶ?冬眠とうみんにはいっているはずでしょう」

「うとうとしていたら、ひめがノベンバーさんのことを話したことを耳にしたので、心配しんぱいしていました」

 ノベンバーというのが、ピアノのひとの名まえです。

「おばやには、なにでもわかってしまうのね。わたしは、だいじょうぶよ。ありがとう」

「ひめ、春まで、ひとりで、がんばってくださいよ」

「はい。おばやはゆっくり休んでください。春になったら、またよろしくおねがいしますね」

 べらはいつも見守ってくれているだれかがいることを知って、寒い夜道よみちでも、ほほえみながら歩きました。


「ただいま」

 べらがドアをあけると、みんながぞろぞろ出てきました。

「モッヒがボーカルをおりて、ゴーちゃんが歌うことになりました」

 とクマハチが報告ほうこくしました。

「ぼく、たくさんれんしゅうするよ」

 とゴーちゃんです。

「ぼくだって、コーラスとダンスの練習れんしゅうをするぜ」

 とモッヒが、べらにきつきました。みんなも野球やきゅうチームが優勝ゆうしょうした時みたいに、かさなってきつきました。これがわたしのファミリーだわ、とべらはむねがジーンとしました。


  べらは自分じぶん部屋へやにはいり、木箱きばこのオルゴールを手にして、ふたをあけて、話しかけました。

「今ね、うれしいことが、あったのよ」

 このオルゴールは親友しんゆうのカレンの結婚式けっこんしきにスイスに行った時、ノベンバーが買ってくれたものです。 オルゴールの中には、その彼の写真しゃしんがあります。

 見ている人がつられて、にこにこしてしまうような笑顔えがおの写真です。

「ノベンバー、あなたはのスマイルは特別とくべつだったわ。そのこと、知っていた?」

 世の中には、笑うととたんにその魅力みりょくが3倍にも、8倍にも、10倍にもなってしまう人がいます。でも、10倍というのはあまりない話で、そのまれなスマイルの持ち主が彼、ノベンバーなのでした。でも、出会であったさいしょのころにはスマイルはなかったのよね。今はどう?たくさん笑っている?

「わたしは、あしたから出張しゆっちょうよ」

  

 べらはふだんは自分でツアーを企画きかくしています。

「べらと歩こう、サンフランシスコ」という企画で、12のコースあります。その中で、いちばん人気が、3つの有名なヒル(坂)を歩く10キロのコースです。

 ユニオン・スクエアからノブヒルまで歩いて、グレイス大聖堂だいせいどうとフレァモント・ホテルを見学。そのあと、ロシアンヒルの曲がりくねったロンバード・ストリートを下り、その後はテレグラフヒルのコイト・タワーまで行きます。希望きぼうがあれば、帰りに、リトル・イタリーやチャイナ・タウンのよります。


 でも、時々はツワー会社から仕事を頼まれます。春には、ヨーロッパからの大事なお客さま一行を案内して、カリフォルニア中を回りました。あれはわってしまうのがおしいくらいの楽しいツアーでした。

 明日からの仕事は、4泊5日の出張で、日本からの4人の重役じゅうやく案内あんないして、チャーターの車で、ヨセミテ、ラスベガス、グランド・キャニオンに出かけます。

 最近はまりの仕事はしないようにしていますが、この仕事を担当たんとうするはずの友だちのガイドに赤ちゃんがうまれそうなので、べらがたのまれたというわけです。

 べらもすごく忙しいのですが、まっ、人が困っていたら、やるっきゃないものね。

 それで、スーツケースに荷物にもつをつめていると、ドアが小さくノックされました。だれかなと思ってドアをあけたら、モヒカンのモッヒでした。


「どうしたの、モッヒくん?ねむられないの?」

「うん」

「あったかいミルクでもむ?」

「べら、ぼくはあったかいミルクはのまないです」

「あっ、そうよねぇ」

 モッヒはライオンですから、あたたかいものはのみません。相変あいかわらず、そそっかしいべらです。

「べらちゃん、ぼく、そうだんがあるだ。ぼくね、コンテストが終わったら、アフリカにかえろうと思うんだ」

「どうしたの急に。まずはすわって」


「ぼくね、ラッパーはだめだとわかったんだ」

「そう。歌はだめかもしれないけど、モッヒくんには別の道があるわよ。さがしましょう」

「ぼく、やっぱり長男ちょうなんがあとをつぐのがいいって思ったんだ。べらちゃんが、そう言っていたから」

「わたしが、言った?」

「日本のえらいしょうぐんが、長男がつぐのがいちばんけんかが少ないって言ったって。200年以上、つづいたって」

 べらが天井てんじょうを見上げて、うーんと考えました。そう、たしかに、徳川家康とくがわいえやすの話をしたわね。

 

「ぼくは長男ちょうなんだけど、こんな体格たいかくだし、毛もうすいし、あたまもよくないから、家を出てきたんだ。そのほうが、家のためだし、みんなもしあわせだと思ったんだけど、今、あっちではあとつぎもんだいで、けんかが起きているみたいなんだ。そのトラブルを解決かいけつできるのはぼくなんじゃないかと思うんだ」

「でも、もう長いこと野生やせいらしとはなれているけど、だいじょうぶ?」

「ちがうかもしれないけど、ぼくが帰ったら、弟たちはけんかをしなくなると思うんだ」

 うーん、とべらは考えました。


「わたし、モッヒくんとは話したいと思っていたのよ。前に、言葉ことばにきずつけられたという話をしてくれたでしょ。その時、わたしが心の中を話す日がきたら、一番先いちばんさきにモッヒに話すと約束やくそくしたわよね」

「べらちゃん、それはおぼえていてくれたんだ」

「もちろんよ。約束やくそくを守るオンナだと言ったでしょ」

「ぼく、うれしい」

「でもね、明日あしたからおしごとがはいっているの。だから、かえってきたら、ふたりでビーチに出かけて、モッヒがアフリカに帰ることや、わたしのことなんかについて、ゆっくりと話すというのはどうかしら」

「うん、それがいい」

「それじゃ、帰ってきたら話すことにして、今夜こんやはもうてね。できる?」

「うん。ぼく、べらちゃんが大好きだぜ」

 モッヒが頭の毛をかきながら、ちょっと赤くなりました。





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