10. べらのこと

 では、ここで主人公のべらちゃんの紹介しょうかいをしましょう。

 べらの父親ちちおやはアメリカ人のビル、母親が日本人の水木麻里みずきまりで、生まれた時の名前はアラベラ・チエコ・ミズキ・アンダーソンでした。ビルはボストンの大学で、「心理学しんりがく歴史れきし」を教えていました。

 でも、おくさんの心理は全然ぜんぜんわからない人なのでした。


 両親りょうしんの関係がよくなかったといっても、椅子いすを投げたりするようなすごいけんかではなかったのですが、家の空気はいつも戦い《たたかい》が始まる前みたいにピリピリしていました。

 べらはそのうちに大きなばくはつが起きる、ような気がしていました。

 べらが8才の時、ママが「私自身わたしじしんの人生を生きるわ」とアメリカを去る決心をしたのです。ふだんおとなしい人は、ばくはつすると、ちょうこわいのです。そして、いちど決めると、ぜったいに気持きもちを曲げません。


 べらもママと日本に帰り母子ふたりの生活になったらさみしいかなと思っていましたが、小さい部屋でも、空気にピリピリがなくなり、気持ちが楽ちんで、自由で、ふたりでたくさん笑うようになりました。

 ママが仕事から帰った後、突然とつぜんさくらを見に行こうよと出かけたりして、ゆめみたいな日々がありました。べらはママとうでんで歩いたりして、とても幸せでした。

 それに、東京には何でもあります。とくにデパチカとコンビニとテレビアニメは大好きでした。


 ところが、15才の夏にママが病気でなくなってしまい、べらは泣きながらアメリカにもどりることになりました。その時にはパパは2回目の結婚をしていて、奥さんには子供もいたので、その家のお邪魔虫おじやまむしになるのがとてもいやでした。でも、べらとしてはアメリカでがんばるしかないと思いました。日本ではだれも引き取ってはくれないし、アメリカでしか生きる場所ばしょがないのでした。早く年を取りたいと思ったものです。


 でも、うれしいこともありました。

 継母ままははにナタリーというれ子がいて、べらより4才年下ですが、ふたりは本当のシスターのようになりました。はじめてお姉さんになった気分きぶんって、とてもよいものでした。これでなんとかやれる、と思ったら、パパがまた離婚りこんをするというのです。

「べら、さようなら」、ナタリーがわんわん泣いて、家を出ていきました。

 その時のことは、今でもおぼえています。

 でも、しばらくすると、パパは3回目の結婚けっこんをするというのです。

 べらはパパからはなれれたとおいところに行きたいと思いました。

 それで、大学は大陸たいりく反対側はんたいがわのカリフォルニア州の大学に願書がんしょを出して、パスしました。でも、大学の授業料じゅぎょうりょうは高いですし、部屋代へやだいや、食費しょくひもいります。

 「カリフォルニアに行くのはよいだろう。でも、全部自分でやりなさい」

 とパパが言いました。

「もちろん。パパにはもうたよりませんから」

 べらは大きなことを言ってしまいました。ありますよね、いきおいで、言ってしまうことが。

 べらは必要ひつようなお金は全部、アルバイトをしてかせごうと決めました。

 大変かもしれないけど、カリフォルニアは明るくて、夢がありそう。

 何でもできちゃいそうな感じがしました。


 それからがんばって働きながら大学を卒業そつぎょうして、今、べらは24才です。でも、だまっていれば18才くらいには見えるかな。

 仕事しごとはライターとか、通訳つうやくとか、観光かんこうガイドをしています。趣味しゅみはハイキングと、美術館びじゅつかんへ行って絵画をみることです。

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