3. あの子に会いたい

 マリンはあの子のことを思うと、夜中にむねがざわざわして、目がさめてしまうこともよくあります。

 もしかしたら、あの子はねつを出して、苦しんでいるのではないだろうか。そう思うと、胸にひびがはいるような、かなしい思いがおそいかかってくるのです。病気びょうきだったら、助けてあげたいなぁ。


 夜になると、目の下には、サンフランシスコに金色のあかりが見えます。ひとつひとつのかがやきが、今では氷でできた針のようにちくちくと心をさして、とてもいたいのです。

 あの子は、あのまどの、どれに住んでいるのだろうか。

 いつもひとりでハイキングに来ていたけれど、そばに世話をしてくれる人はいるのだろうか。お水がのみたい時、ベッドまではこんでくれる人はいるのだろうか。大すきなごはんを食べているのだろうか。

 

 もしかしたら、あの子はこの世にはもういない!

 死んでしまって、この世にはいないのではないだろうか。

 そう思うと、マリンはパニックになり、くさすぎるシャワーを出してしまいました。でも、急いで風上かざかみににげたので、だいじょうぶでした。


 あの子に会いに行こうかな、とマリンはとつぜん、思いました。

 サンフランシスコに行って、あの子をさがしてみようかな。

 ぼくはあの子のにおいを知っているから、見つけられるかもしれない。

 においを感じやすいこの才能さいのうには苦しんできたけれど、こんな時には役にたつ。この才能は、この時のためにあったのかもしれない。


 でも、心の中に住んでいるもうひとりの自分じぶんが、きびしい声で言いました。

「マリン、どうしてみんなからはなれて、ひとりでスラッカーヒルに住むようになったか、わすれたのかい。こんなだれもいない所で、ようやく生きているというのに、あんな人が多いビッグ・シティに行ったらどうなるのか、考えなさい。おまえはばかかい」


 そうなんだよ、とマリンは思いました。

 あんな所に行ったら、ストレスでくさいシャワーを出して気を失い、すぐに死んでしまうかもしれない。

 ぼくが、町になんか、行けるはずがない。

 そんなことはわかっています。

 でも、行きたい。

 行って、あの子がぶじかどうか、この目でたしかめたいんだ。


「おまえはあの子が好きなのかい。あいては人間だぜ。おまえはあんぽんたんかい」

 好きとかそういうことじゃないよ。

 この地球ちきゅうに生きているひとりとして、あの子のことが、とても気にかかるんだ。それがいけないことかい。

「いけないとは言っていない。むだだと言っているのさ。むだな努力どりょくはやめな。それなら、もっとスカンクかいのために、何ができるのか、考えたらいい」

 それはそうなんだよ、とマリンは思いました。


 でも、ある朝、マリンは立ち上がりました。

 ぼく、サンフランシスコに行くんだ。

 あの子のようすを見てこよう。見てくるんだ。

 そう決心して、住んでいた穴をきれいにそうじしました。ここにまた、もどってくることができるのかな。


「おまえはおん知らずだ。おまえのお母ちゃんは、人間に会いに行かせるために、おまえをうんだと思うか」

 ねぇ、おねがいだから、しばらくは顔を見せないで。ママのことは言わないで。

 100回なやんで決めたことだから、今はもう考えたくないんだ。考えてばかりいないで、動きたいんだよ。

「そんなことをしたら、死ぬぞ」

 ねっ、ぼくの好きなようにさせてください。もしこれでぼくがいのちを落としたとしても、それは運命うんめいだったと思うんだ。

「おまえは、昨日までは、町には行けないと言っていたのに、どうして、急にすごい決心をしたんだい」

 それが自分でもわからない。

 朝になったら、決めていたんだ。

 あの子に会いにいかないとしたら、そのぼくは身体は生きていても、生きてはいない。

 ぼくはこのアドベンチャーに、生きてみたいんだ。

 さようなら。


 マリンはいそいで丘を下り、ゴールデンゲート・ブリッジに向かいました。

 橋も車も、だんだんと大きくなってきます。橋に着いたら、心ぞうがばくばくしました。

 そこにはツーリストの人間がたくさんいました。

 その時、子どもたちが「スカンクだ」と追いかけてきたので、マリンはおどろいて、大きいのを一発やってしまいました。

 だれが「くさい」と言い、みんながさわぎ始めました。

 マリンは急いで、橋の下にかくれました。


 橋の下はさむくて、こわくて、とてもみじめなきもちです。

 涙がじわっと出てきました。

 そんなよわい心でどうするんだ。

 自分で決めたんだろ、とマリンは自分に言いました。

 うん、ぼくは行くよ。あの子のところに行くんだ。

 上のさわぎがおさまったころ、マリンは橋の上にもどりました。

 そして、マリンはしゃくりあげながら走りました。


 ゴールデンゲートの橋は、真ん中をいきとかえりの車が走り、両側のはしの一方は自転車用、もう一方が人間用なのです。でも、今は修理工事しゅうりこうじのため、片方しか空いていないので、人も自転車じてんしゃも通っているから、とてもこんでいました。

 人間たちがまたマリンに気がついて「おっ、スカンクだ」とカメラを向ける者もいましたが、そこはフルスピードで走りぬけました。

 サンフランシスコ側になるにつれ、ますます人が増えてきたので、マリンはふまれないように欄干らんかん、つまり橋の手すりを走ることにしました。


 落ちたら、水の中です。およげないので、気をつけなければなりません。

 その時、男の子供がふたり、マリンに気がついて、追いかけてきました。人間のこどもは追いかけるのがすきです。

 これは大変。またフルスピードでげます。

 

 きゃっ。

 その時、マリンは足をすべらして、下に落ちました。

 ああ、水・・・・・・落ちる―っ。

 でも、なにか、こわいというより夢の中です。

 その時、ぼくのスカンク人生はこれまでか、と思いました。ぼくがもらった時間は、ここまでだったんだ。

「さようなら、やさしいママ、ごめんなさい。大すきでした」


 でも、気がついたら、落ちたのは、ふねの上でした。青い観光船かんこうせんの上に落ちたのでした。

 船に乗っていたお客さんが、「くさいくさい」と大さわぎしました。

 マリンはすぐにそれが自分のせいだと分かりました。

 落ちたショックで、また一発、かましてしまったようです。

風上かざかみ、風上」

 とマリンは船の先のほうに行って、かくれました。

 マリンはおしりがいたかったので、なでました。でも大きな尾っぽがクッションになってくれたので、けがはありませんでした。


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