ぼうけんのしょはきえてしまいました

 俺が小学校3年生に上がるころ、お袋は男を作って蒸発した。しつけだと言ってお袋を殴りつけるDV親父の暴力に耐えかねたようだ。暴力は壮絶なものだったので、幼心に出ていくのは仕方ないものだと思った。俺に一言もなく消えてしまったお袋に、俺は少し憤りを感じたが恨みはしなかった。当の親父はというと、もともと俺にはまったく興味がなかったので暴力を振るわれることはなかった。ただ、そこに人の形をした何かがある程度にしか認識していなかったのだろう。


 中学校に上がるころ、親父は新しい女性を連れてきた。スリッパを友達と称して遊んでいるやんだ俺を見て、彼女はひどく驚いていた。幸いにも親父のDV癖がまだ発揮されていなかったので、彼女は前妻が何かしたのだと思い込んでいたようだ。俺も親父も、俺の異常に気づいていなかったが、俺はどうやら病んでしまっていたらしい。彼女の勧めもあって俺は病院へ行くこととなった。


 病院では何か難しい病名を告げられたが、子供に適用できる薬がないと言われた。親父の恋人が必死に先生を説得していることだけがよく記憶に残っている。

「そんな危険な状態の子と一緒に住む私の身にもなってください。」なんかそんなようなことを言っていたはずだ。


 中学は2年の夏ころから通わなくなってしまった。このまま家に引きこもっていようと、もう外に出なくていいと俺は心に誓った。しかし、またあの女がそれを邪魔した。親父に「日中もこんな子と一緒にいられない。恐怖でしかない。」そんなことを言っていたはずだ。女という生き物は、どうしてこう俺の人生を邪魔するのか?この時のいら立ちを俺は今でも覚えている。そして俺は無理やり高校に入学させられた。


 高校を卒業すると、あの女はお袋になっていた。いや、正確にはお袋面をしただけだった。前妻(俺の生みの親)が離婚の手続きを拒否したとかで、親父は既婚者のままだったのだ。どうでもいい話しだ・・・。


 あの女の頼みであっても、さすがに大学に入学させることまではできなかったようで、俺はようやく自宅に引きこもることができるようになった。彼女は日中の恐怖を紛らわせるため犬を飼うことにしたようだ。メスのシェパードで、俺の顔を見れば吠えた。俺も顔を合わせるたびに殺意を覚えたが、それでも子犬のころから見慣れたシルカはわが子のようにかわいいと思ってしまった。


 18歳を越えると、あの女が再び俺を病院に連れて行った。先生は赤と黄色のカラフルな薬を処方してくれた。その薬を飲むと、不思議と今まで話しかけてきた時計も掃除機もカレンダーも、みんな静かになった。友人の形をしていたスリッパももう話しかけてくることはなくなった。そしてシルカも俺の理解できる言葉を話さなくなってしまった。あの女は・・・この女は、俺を心配するようなセリフばかり話すようになった。今まで腫れ物に触るような、不良品をつまみ出すようなことばかり言っていたのに本当に気持ち悪いやつだ。


 薬を飲み始めて1か月、俺は寝ていることが増えてきた。また、ちょっとずつコクの欠落が目立つようになってきた。最初は、日々の生活の記憶が一部的に無い程度のものだったが、だんだんと過去にさかのぼって記憶が消えているような錯覚にとらわれた。誰かが頭のなかをほうきで履いているようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る