甘い音色のもたらす香り
ほうほう、これはこれは。
何たる深みのある心奪われる香り……
甘露……と言うにも異なる、でも苦みとは異なる。
これが「コーヒー」と言うものなのですね。
「ねえ、エミリア・ロー。いい加減返してくれない、コーヒー豆」
豆の袋から一向に顔を離そうとしない私に、セシル・ライトは唇を尖らせて訴えかけています。
でも、こんなにいい香りなんですもの。
簡単に「はい」とは言えませんよ。
「先生。ちゃんと飲み物にして差し上げますから、もうちょっとだけ我慢して下さい」
シャロンも困ったような顔で言ってますが、これでは私がまるで聞き分けの無い子供のようですね。
「実際そうじゃん。ほんと食い意地……これは食べ物じゃ無いけどさ」
「はあい。じゃあお返しします。所で、こんな貴重な豆が良く手に入りましたね」
私の言葉にセシル・ライトは待ってました! と言わんばかりのドヤ顔で言いました。
……よっぽど聞いて欲しかったのですね。
「やっぱ興味あるよね! じゃあ他ならぬエミリアとシャロンちゃんのためだ。教えてあげよう! 半月前に港町ソルトフィッシュで起こった船舶の積み荷が相次いで盗まれた事件、それを私が嘘を見抜く『心眼』の魔法で見事解決したのさ! そのお礼、って商人さんから南方の島で取れた貴重な豆をくれて、その加工法も教えてくれたって訳!」
「凄い……さすがセシルさんですね。で、諸国を回る旅の途中で立ち寄ってくれたのですね」
「シャロンちゃんお上手ね! そうそう。旅の前にこの豆から煎れたコーヒーをぜひみんなで、と思ってさ」
それからシャロンがセシルから教わった通りに丁寧に煎れると、漆黒の液体と共に何とも心奪われる香りが……
「ふむ、楽しみですね。では……頂きます」
私たちは両手を合わせて深々と頭を下げると、コーヒーを……飲んで……
「に、苦~い!!」
「先生! げほっ……これは……毒です! 飲んでは……ごほっ! なりません……」
「もう……遅いです~!! うわ~ん! 苦い!」
●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇
「香りは良いんだけどね……砂糖入れないといけなかったんだね」
「あ、砂糖入れると美味しいかもです」
「ふむ、これは……いいですね」
3人で悶絶した後、セシルが「あ、砂糖入れないと飲めたもんじゃない、って言ってたんだった」と貴重な情報を思い出したため、慌てて家にある砂糖を山盛り入れたのです。
美味とは試行錯誤の末に産まれるものなのですね……
「うん、苦みと甘みの混じる甘露、確かに頂きました。シャロン、お代わりを」
「先生、豆はもうないですよ」
「え? そうなのですか」
「ごめんね、エミリア。コーヒー豆って超貴重品だから、2杯分が限度なんだ。1杯はパーにしちゃったしね」
うう……そんな。
せっかくコーヒーの魅力に気付き始めた所なのに。
私は、どうにも諦めきれずに悶々としてましたが無理は無理。
「まあまあ。代わりじゃ無いけど、これも同じく異国の品だよ。『リュート』って言うんだ」
そう言ってセシルが取り出したのは木で出来た深く丸い背面に弦が何本も着いている楽器でした。
「弾けるまで時間かかったけど、すっごい気持ちいい音が鳴るんだよ」
そう言ってセシルが弦をつま弾くと、高く低く澄んだ音色が小屋に響きました。
それはどこか懐かしさや暖かさを、それでいてわずかにもの悲しさも感じさせる甘美な音色でした。
セシルの演奏に私とシャロンはしばしウットリと聞き入りました。
なんて甘い音色……甘くて深い……深い……
その時、私の中にピンとくる物がありました。
そうだ。
代わりが……あるではありませんか。
「どうだった? エミリア、シャロンちゃん」
「セシルさん、凄い! とても素晴らしい演奏でした。気持ちいい音とメロディで……」
「でしょ! これ弾くの最近の楽しみなんだ! ねえ、エミリアは? どうだった、私の演奏」
「はい、有り難うございます! とっても美味しそうでした」
「……は?」
怪訝な表情のセシルに向かい私は人差し指を立てて言いました。
「わが親友にお願いがあります。先ほどのコーヒーの無念を晴らすべく、ぜひもう一度そのリュートと言う楽器を弾いてみて下さい」
「……ごめん、ちょっと何言ってるか分からない」
「むむ!? 我が親友であれば以心伝心なのではないですか?」
セシルは首をひねっていましたが、やがてハッとした表情で再度リュートを構えて弾き始めました。
「エミリア、美味しいの頼むよ」
お任せあれ。
私は詠唱を初めながら目の前の音の粒に意識を向けます。
「我が目に映る万物よ。七つの鍵にて開く扉より、仮初めの姿を示せ」
万物の繭が出てきました。
でも、今回は複数いるのです。
私は頑張って6個ほどの繭を出しました。
その繭をセシルの楽器から鳴り響く音の粒に向けて……ぽいっ! と。
すると、繭の中で「ちゃりん」「ざらざら」「ころん」と小気味よい音が無数に響きます。
「わあ……」
シャロンの感動したような声が聞こえます。
繭が音の粒を捕らえるたび、高い音は金色の星。
低い音は銅の星
中間の音は銀の星にそれぞれ繭の中で変化し、小気味よい音を鳴らします。
「ふむ、上手くいきましたね。では……開けてみましょうか」
そう言って繭をテーブルに置いて、銀の棒でぱっかんと割ると……
おおお……
中からそれぞれの星が放つ、香しい香りが。
金の星は甘い香り。
銅の星は苦みと深みのある香ばしい香り。
銀の星はミルクのような穏やかな香り。
「ふむふむ、今回も私のイメージ通りの変換が出来ましたね。えっへん」
「まさか『音』を変換するとはね」
「はい。セシルの出す音が甘くて深みがあるなあ、と思ったのでそこからヒントを頂きました。さて、シャロン。このお星様をお湯に溶かしちゃいましょう」
シャロンが湧かしてくれたお湯にお星様を入れると「しゅわ」と爽やかな音を立てて溶けて、先ほどのコーヒーのような深い香りや、甘み。そしてミルクのような香りが部屋を満たします。
「さっきのコーヒーより香りが……凄い」
「まじか……これ、さっきの商人見たら泡拭いて倒れるよ。あの豆の量で屋敷が建つ、ってエラく自慢してたから」
「ほうほう、それは素晴らしいですね。でも、わが『エミリア・シャロンコーヒー店』の材料は元手ゼロなのです。えっへん」
そして、私たちは「音の飲み物」を3人分、頂きました。
何という心穏やかになる香り……
私たちは先に飲んだセシルの演奏を聴きながら、シャロンと二人で音のコーヒー(?)をゆっくりと堪能しました。
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