月光と夜の世界

「……生……先生。そろそろお夕飯の時間ですよ」


 耳に優しく入ってくるシャロンの声で私はボンヤリと目覚めました。

 

 そこには優しい微笑みで私を見下ろすシャロン。

 

 そして、お腹をこれまた優しく刺激するシチューの香り。

 人は現金な物で、寝ぼけ眼だった私はシチューの香りに一気に覚醒しました。


「ふむ、シャロン。今夜は三つ首蛇のシチューですね。私の大好物なのです。一気に目が覚めましたよ」


「ふふっ、先生。本当に目がパッチリと。さあさあ、起きて下さい。シチュー冷めちゃいますよ」


「あらあら、それは大変。三つ首蛇のお肉は一度冷めると固くなっちゃうんですよね」


 私は慌ててベッドから降りると、パタパタとリビングに向かいます。

 そして、シャロンと向かい合わせになって暖かな湯気を立ち上らせているシチューに向かい、食前のお祈りをすると食べ始めます。


「ふむふむ、なんたる柔らかさとジューシーさ。すっかり暖かくなったと言えど、内側から力の湧いてくる三つ首蛇のシチューは時々は頂かないとです」


「ですね。私もこれ大好きです。……所で先生、今日はお昼寝しすぎじゃないです? 今夜、寝れますか?」


「う~ん、私も実はそれが気にかかってたのです。お昼ご飯を頂いてからすぐに横になってますからね」


「昼夜逆転は美容に良くないですよ」


「う……それは耳に痛いですね。今後は気をつけます。ま、それはさておきシャロンの心配通り、今の私は完全にお目々パッチリです。全く眠れそうな気がしません」


「あ、じゃあ先週街の本屋さんで買って来た本が何冊か有るんですけど読まれますか? 『下手っぴ剣士と嘘つき魔女』って言うんですけど……」


「あ、有り難うございます。でも、今夜はちょっと思うところがありまして……こんなにお月様が綺麗な夜なので、もしかしたら月の光の下ならよく眠れるかもです」


「月の光の下?」


 いぶかしげな表情のシャロンに向かい、私はえっへんと胸を張って人差し指を立てました。


「そうです。今からちょっとあそこまで行ってきます」


 そう言って私はお月様の光が照らす夜の雲を指さしました。

 シャロンは私の指と雲を交互に見ると、目を輝かせて言いました。


「先生……私もご一緒しても……」


「もちろんです、シャロン。ぜひ一緒に行きましょう」


 それから私たちは空中浮遊の魔法を使い、すーっと雲まで上がっていきます。

 今までは両手を泳ぐ時みたいに動かさないと行けなかったのですが、研究の成果で上に浮かぶだけなら自然に出来るようになったのです。

 えっへん。


 春の夜はどこかほのかに揺らいでいるように感じられ、そこに優しく降り注ぐ金色の月の光は黒と金が入り乱れる幻想的な光景でした。


 そして、そんな夜の闇と金の光に照らされた雲はまるで別の異世界のような幻想的な光景……


「さて、シャロン。今から私、ちょっとばかり頑張っちゃいます。これで今夜はぐっすりと眠れることでしょう」


 私はそう言うと、手をゆっくりと動かし詠唱を始めます。


「我が目に映る万物よ。七つの鍵にて開く扉より、仮初めの姿を示せ」


 すると万物の石の繭が現れました。

 でも、今回はこれにもう一工夫……


「七つの鍵の扉より現れたる現象よ。我が命に従い、降り注ぐしずくとなれ……雫よ、我が命により仮初めの姿を……示せ」


 詠唱を行うと、あら不思議。

 万物の繭が大きく膨らむと、ポンっ! と小気味よい音を立てて無数の雨のような雫となって雲に向かって広範囲に降り注ぎます。

 そして……雫は雲に全て吸い込まれました。


「さてさて、では早速……」


 私はふわ~っと雲に近づくと、そっと足を乗せてみました。

 すると、大成功です。

 雲はふんわりとした感触で私の足を支えています。


「ふむ、上手くいきましたね。シャロンもおいでなさい。今、この雲の上はクッションと同じくらいの固さです」


「え……ええっ!?」


 おっかなびっくりした様子でその場に浮かんでいるシャロンに私は近づくと、手をそっと握って雲の方に引っ張ります。


「大丈夫ですよ、私がついてます。さあ、一緒に降りましょ」


「は、はい……」


 シャロンは私に続いて雲の上に降り立つと、すぐに「ふわあ!」と驚いた声を上げました。


「凄い! 本当に……雲の上に立ってる!? 信じられない」


「ふふっ、信じられなくても現実なのです。さあ、せっかくなので雲の上のお散歩、楽しみましょうか」


 それから私とシャロンは、月光に照らされた夜の雲の上を、手を繋いで一緒に歩きました。 

 

 金色の月の光に照らされた夜の雲の上を歩いていると、夜と光の川を泳いでいるような……そんな気持ちになります。

 手を伸ばせば、天空にまで届きそうな……そんな気持ちに。


「綺麗……言葉が……見つからない」


「有り難うございます。人は本当に感動したり心が動いたときは言葉を失います。私も上手く言葉が見つかりません」


 ちょっと上を見ると、そこには世界を包み込まんばかりの大きなお月様。

 周囲は音の全てを雲が吸い込んでいるかのような静寂。

 

 私とシャロンの微かな息づかいだけが響く夜の世界。

 

 そんな静寂と光を堪能しながらふと、シャロンを見ると彼女に丁度月の光が降り注いでいます。

 それは……得も言われぬ美しさでした。

 

 その姿に見蕩みとれた私は、ふと有ることを考えました。


「シャロン、そのまま立ってて。まだちょっと体力があるので……」


 そう言うと私はまた万物の繭を出して、今度はシャロンの周りを包むように広げました。

 すると……


 ふわり、と月の光が柔らかい布になってシャロンの肩に落ちました。

 シャロンは目を白黒させています。


「先生……これ……」


 私はシャロンの肩を包む、柔らかい光を放つ金色の布を手に取ると、改めてそっとシャロンの肩にかけ直しました。


「私からのプレゼントです。月光のショール。前のプレゼントは共用スペースに使ってくれてたので、今度こそあなたのためだけの物を」


 シャロンは顔を真っ赤にして目を潤ませています。


「先生……」


「シャロン、よく似合ってます。とっても綺麗です」


「……先生、どれだけ私に宝物をくれるんですか。雪の結晶のペンダントもだし。私、先生に何もあげれてないのに」


 私は涙ぐむシャロンに向かい、そっと首を横に振りました。


「それは違います。貴方が来てくれてから私の日々は暖かさと華やぎを増しました。日々の幸せがグッと増えました。そんな喜びを毎日もらってるんだから、これでも足りません」


 シャロンはポロポロと涙を流すと、何も言わず私に抱きついてきました。

 私も何も言わずにシャロンを優しく抱きしめます。


「シャロン、あなたはこの美しく優しい月光のようです。暗闇を抱える私をいつも照らしてくれる。これからも……私の心をそっと照らして下さいね」


「……先生は暗闇なんかじゃない。綺麗です」


「ありがとう」


 足下に雲の柔らかさを感じながら、私は2人を照らす月の光を眺めました。

 その月光のカーテンは、いつまでもこのまま照らされていたい。

 ずっとこの優しく暖かい光の下に居られたら。


 そう思うような心地よい物でした。 

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