第34話:赤の代償

「——待ってください!」


 振り下ろそうとしたところ、別の誰かの声が聞こえてきた。

 誰だ。私の邪魔をするのは。まだ敵が残っていたのか。

 声の主を探すと、不意に後ろから抱きしめられた。


「リリィ先生止まってください! 殺しちゃ駄目です!」

「……モニカさん」

「そいつは凶悪犯ですが、王宮から捕らえるようにお触れがでてます。ここで殺すと、リリィさんが今後王宮に睨まれることになるかもしれません」

「エイベンさん」


 私が掲げていた腕にガーディハーディ兄弟が追加で組み付いてくる。

 私と“笛吹き男”との間にエイベンさんが挟まってくる。


 四人が四人、私を止めようとしている。


「……国に睨まれるのは、まずいですね」


 四人を見ていると、段々と思考がクリアになってくる。

 同時に、麻痺していた痛覚が戻ってきた。全身がひりつくように痛い。折れた骨が激痛を知らせてくる。

 抱き着かれているところがちょうど怪我した場所に当たって非常に痛む。


「——すいません、放してください。もう殺そうとはしませんから」

「本当ですか?」

「本当です。手が傷に当たって痛むので、早く放してくれると助かります」


 そう言うと、慌てて三人共私から手を放してくれた。

 ふと、冷静になって自分の体を見てみると、服は焼け焦げてしまっているし、ボロボロの姿でとてもじゃないが人前に出れるような状況にない。


 ではなく、あれだけの炎を喰らって皮膚も焼け焦げたはずなのに、既にある程度治癒が進んで新しい皮膚が生えてきている。これもあの赤い靄の影響なのだろうか。

 やけど痕に直接触れられたわけではなくて良かった。痛む程度では済まなかっただろう。


「た、助かっただぁ……」

「貴方はカバリロ騎士団へ突き出します。どのみち、碌な目にはあわないでしょうね」

「ヒヒッ。なぁ、一つ勘違いしているみたいだから、訂正するべ。おいらの笛の音は、魔物に指示を出すものだ」


 私が即座に殺さないとわかったことで安心したのか、再び“笛吹き男”は薄笑いを始めた。

 この状況で何を安心できると言うのか。足を切られ、腹に穴が開いた状態では逃げることもできまい。


「村を襲った魔物には、村を襲えって命令しただ。邪魔する奴を倒せとも。魔物ってのは単純な命令しか聞かないから困ったものだ」

「……? 何が言いたいんですか」


 怪我している状態で話すことがこれか?

 何を考えている?


「ようは、事前に命令を仕込んでおくことが可能ってことだあよ」

「っ!? みなさん、こいつから離れてください!」


 突如地面が揺れ始めた。

 私は直感に従い、“笛吹き男”から距離を取る。

 私の指示に従い、エイベンさんたちも同じように離れた。


 瞬間、地面から塔が生えてきた。

 いいや、違う。塔と見間違えるほど巨大な蛇の魔物だ。

 蛇の魔物は地面を掘ってきたのか、地面ごと“笛吹き男”を口の中に入れてしまう。


「また会おうだあよ。今日はいい経験させてもらっただ」

「待ちなさい!」

「じゃあな! 次にはもっと強い魔物を用意してくるから待ってるだよ!」


 その言葉と共に、蛇の口が閉じる。

 蛇は再び地中へと潜り、姿を消した。

 ……取り逃した。


 殺すべきだったか。いいや、殺していれば修羅に落ちていただろう。

 リリアンヌはそうあってはならない。頭の中では理解ができる。

 腹の底で煮えくり返るこの思いだけが、殺しているべきだったと叫んでいる。


 苛烈だなと我ながら思う。ここまでの激情、身を亡ぼすだろう。

 今回は上手く行ったが、次もそうとは限らない。己を強く律する訓練をしなければ。


 思うところは、ある。


「ごめんなさい、私たちのせいで……」

「いいえ。おそらく事前に命令を仕組んでたんでしょう。なら、捕まえるのは元々不可能だったという事です」

「どういうことですか」

「おそらく、地上での戦闘が終わった後、一定時間後にああやって逃げられるように命令を出していたんでしょう。条件付けは知りませんが、私が負けていれば上書きすればいいだけです」


 用意周到な男だ。ふざけておきながら、私がドラゴンを倒す可能性をきちんと考慮していた。


「捕まえられはしませんでしたが、これで逃走の手札は切ったことでしょう。この情報は貴重ですよ。何せ、一度見せてしまえば次はありませんから」


 地中を移動するのは本当に最終手段だろう。対策を講じれば幾らでも対応できてしまう。

 初見限定の逃走手段だ。だからこそ、本当に余裕はなかったのだろう。

 次はない。そう自分に言い聞かせることで、未だに高ぶっている体の熱を治めようとする。


「……リリィさん?」


 あの赤い靄の残滓を未だに感じる。

 体が燃えているように熱い。

 世界の天と地が回転して――あれ?


「リリィ先生!?」

「おい、どうしたんだよ」


 大丈夫だと返答しようとして、エイベンさんに体を支えられた。

 倒れる体を制御できなかった。どうにも、体に力が入らない。

 弛緩しきってしまっている。


「うわっ! 酷い熱だ。すぐに村に戻ろう」


 ああ、体が熱いのは戦いの高ぶりのせいではなく、実際に発熱していたのか。

 やけどの影響もあるだろうが、とにかく水が欲しくなってきた。

 目の前が朦朧とする。


「リリィ先生歩けますか? エイベン、どさくさに紛れて変なところ触らない様にね! ちゃんと丁寧に運んで!」

「わかってるよ!」

「俺ら先に村に戻って場所整えてくる!」


 各々が叫んで行動を始める中、私だけはまったく体を動かせなかった。

 エイベンさんが支えてくれていなければ、今にも地面に倒れてしまっていただろう。


 何が原因かわからない。全身を覆う倦怠感が、今私の体に異常が起きているということだけを教えてくれている。

 風邪の時、いやそれよりも酷いか。全身の輪郭が曖昧になっているようにすら感じる。

 温水に溶けて消えていくような感覚と言うのが一番近いだろうか。


 そんなどうでもいいことを考えながら、私は騒ぎ立てる二人の声を聞きつつ、体が欲するままに静かに意識を手放した。

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