第33話:修羅降臨

 ……生きている?

 体の感覚が殆どない。周囲の熱だけを僅かに感じている。

 あの嫌な笛の音が聞こえなくなった。


「あら、死んだべか? やりすぎただ?」


 側で声が聞こえる。誰の声だ。

 意識が朦朧として、即座に判断ができない。


「んー、おいらの買い被りだっただか? んなことないと思うだが」


 うるさい。

 休ませてくれ。もうまともに体も動かないんだ。


「あれだけ綺麗だった髪も台無しだぁ。勿体ねだ」


 髪? この状況で、そんなことを気にしている余裕は――


「だ?」

「——許せない」


 意図して発した言葉ではなかった。

 これまで抱えたことがなかったような激情。私が発することはないだろう、憤怒の塊。

 これは、誰の感情だ?


「よくも、立ち入ったな」


 言葉を発する度に喉が焼き切れるように痛い。呼吸だけで激痛に苛まれている。喉が焼けているのだろう。

 それでも、関係ないとばかりに腕に力が入る。


「それだけは、認められない」


 ——そうか。リリアンヌは縋っていたのだ。微かに残された良かった思い出に。

 リリアンヌは強い女性だと思っていた。何があっても気高く強くあれる女性だと。

 違う。リリアンヌも心の中では苦しんでいたのだ。私は、その苦しみを前世の経験と言う薬で和らげていたにすぎない。


 所詮十七の少女でしかないのだ。

 無下にされれば傷つき、誠意を踏みつけられれば泣きそうになる。ただの子供。

 周りの環境が、私自身が、彼女にそれを許さなかっただけだ。


 前世の私が剣にしか生きられなかったように。

 リリアンヌもまた、殿下のために生きるという道しか生きる道がなかったのだ。


 この髪は、後生大事に手入れを欠かさなかった髪は、リリアンヌの人生で数少ない成功した部分だったのだ。

 それを台無しにされた。されてしまった。否定されてしまった。積み上げてきた成功を、幸福を。


 あぁ、私は否定すまい。どうして否定できようか。この哀れな少女の激情を。

 獣に落ちようと、このひと時ばかりは彼女に全てを任せよう。


「よくも、私の殿下との思い出を――」

「んにゃ?」

「死ね」


 迸る激情に身を任せ、私は剣を声が振る方向へ振るう。

 これまで感じたことないほど、全身から力が湧いて出てきている。

 焼けた皮膚がじくじくと痛むが、知ったことか。


 これまでずっと余裕の笑みを見せていた“笛吹き男”が、ようやく表情を変えた気がする。


「……なぁ、おいらはあんたの事、獣だとは思ってたが、人間って種族だと思ってただよ」

「あら、それは仰る通りです。私には、人を辞めた覚えはございません」

「なら、どうしてその状態で立ってられるだ? その赤い靄は一体なんだべ?」


 赤い靄? 言われて自分の体を見てみると、業火が燃え盛るかのように赤い靄が体から溢れ出て天へ立ち上っていく。

 ああ、不思議と力が湧いて出てくるのはこの影響か。


「なんでしょうね。私は存じ上げませんが――不思議と力が湧いて出てくるのです」

「——っ、ドラゴン、今すぐ殺すだぁ!」

「立ちはだかる敵を倒せと、神が私に告げているのでしょう」


 “笛吹き男”が急いで私から距離を取り、笛を再び口にした。

 あの嫌な音、今はなぜか心地よく感じる音色が、周囲に響き渡る。

 同時に、ドラゴンが口を開き、再びあの火炎を私に吐く準備を始めた。


 直に喰らってみてわかったことがある。

 あの火炎は魔法の炎と同じだ。自然現象ではなく、ドラゴンが操る魔法の一種に近いのだろう。

 思えば、空を飛ぶのも魔法の一種なのだろう。あの図体と重さで空を飛ぶなんて不思議だと思っていたのだ。


 ドラゴンは固有の魔法を使う魔物の種族なのだと、理解ができる。

 何が言いたいのかと言うと、結局のところ吐く炎が魔法なら――


「ありがとうございます。お兄様」

「だあ!?」


 ——切れるということだ。


 私が振るった剣は、ドラゴンが放った炎を真っ二つに切り裂き、霧散させた。

 何をどう切ればいいのかは知っている。最初から、感覚に身を任せればよかったのだ。

 グダグダと考えすぎてしまうのは私の悪い癖だなと思う。


 リリアンヌ・ディリットとしての在り方だとか、生き残るのに何の意味がある?

 今となってはどうでもよく感じる。この場で重要なのは、私の髪を焼いたあの羽根つきトカゲを殺し、扇動したふざけた男を血祭りにあげる事だ。


 前世の記憶が教えてくれる。敵の殺し方を。

 赤い靄が教えてくれる。この力の使い方を。

 ああ、そうだ。この力だ。


 前世の終わりに見た、武の極みの一端。それこそが、この赤い靄だ。

 名はなんというのかは知らない。

 生命の使い方を教えてくれるこの靄は、まさしく一つの到達点なのだと思う。


 命が尽きかけて初めてこれだけの出力を出せるのだ。命の最後の煌めきなのかもしれない。

 だとすれば、なんという神秘的なものなのだろうか。


 私は剣を振るい、ドラゴンへ立ち向かう。

 分厚く感じたドラゴンの皮膚も、今の私ならば容易に断ち切ることができる。

 羽虫だと思っていた相手に手傷を負わされたドラゴンは、慄き悲鳴を上げる。


 その程度では私の怒りは収まらない。

 剣を振るうたびに、ドラゴンに手傷が増えていく。

 拒絶するように振るわれた爪を剣で受け、弾く。返す刀で、手のひらに切り傷を付けてやる。


 “笛吹き男”の方をちらりと見ると、真っ黒に染まったフードの奥で青ざめているように感じた。これまでにない焦りが笛の旋律から読み取れる。

 そうだろう。負けるはずがないと思っていた怪物が、ただ一人の人間に圧倒され始めているのだから。


 全ての音が遠くのものに感じる。世界がどんどん遅くなっていく。

 私の動きに何も、誰もついてこれない。


「——終わりにしましょう」


 それまで魔法を切る際に見えていた、感覚的な隙とでも言うべきもの。

 今度は、ドラゴン本体にそれが見えた。

 私は研ぎ澄まされた感覚を元に、導かれるままに剣を振るう。


 赤い靄が剣に吸い込まれていく。腕が、剣が赤く染まる。

 前世では技に名前を付けたことがなかったなと、ふと思った。

 ならば、これが初めての名付けになる。


「『葬燐』」


 これは、これから死にゆくものへの手向けの剣。

 一つの極み、一つの終着点。ただただ淡々と、死を導くだけの太刀筋をなぞるだけの剣。


 何が起こったのかなんて、見ていた誰もが理解できなかっただろう。

 私ですら、何が起こったのかなんて正確には理解できていない。

 感覚に導かれるまま、剣を振るっただけだ。


 ドラゴンの首が落ちた。何が起きたのか理解できない顔で、自分が死んだことすら気づかない様に。

 私は三拍ほど遅れて崩れ去る胴体を横目に、呆然としている“笛吹き男”の方へ歩き出す。

 次はこいつの番だ。


「ヒヒッ、ヒッ、ヒィ!」


 逃げ出した。逃がさない。

 距離は離れているにも関わらず、剣を振るえと言われた気がしたので、従って剣を振るう。

 すると、“笛吹き男”の足から血が飛び出て、その場に倒れ込んだ。


「ひぎゃあ!」


 そのまま這いずってでも逃げようとする“笛吹き男”にゆっくりと歩いて近づく。

 いくら足が速かろうと、這いずりでは関係ない。私が歩く速度の方が遥かに速い。


「ま、待つだ。ヒヒッ、おいらの見立て通り、あんたも獣だったろう?」

「——ええ、そうかもしれませんね」

「同じ獣のよしみじゃないか。遊んだのも楽しかっただろう?」

「——剣を振るうのは、嫌いではありませんでしたよ」

「そうだろう、そうだろう? な、おいらを殺せばもう楽しめなくな――」


 私はそれ以上耳障りな言葉を発する口が開かれる前に、“笛吹き男”の胴体に剣を突き立てた。


「ぎゃああああああああああ!」

「何か、勘違いしているみたいですね」


 突き立てた剣を捻ると、傷口から血が滲み出てくる。

 ああ、悲鳴すら耳障りだ。


「私は獣だとか、剣だとか、どうでもいいのですよ。貴方は大事な私たちの思い出を汚した。ただそれだけで、万死に値するのです」

「おいらを殺すのは、待って、待つんだ。依頼主の話をする、喋るから」

「知ったことではありませんね」

「ああああああああ!」


 どうでもいいことを話す口を黙らせるために、剣を捻って傷口を抉る。

 これまで傷つくことが少なかったのか、“笛吹き男”は少しの痛みでも大袈裟に喚いてみせた。

 この程度が何だと言うのか。私は全身焼かれて折れた骨が痛むが、まだ立って動いているぞ。


「もういいか。死んでください」

「ま、待って……」


 傷口を抉っても気は晴れないし、これ以上耳障りな言葉も耳にしたくなかったので、さっさと首を撥ねてしまうことにする。

 剣を引き抜き、一度天に掲げる。

 これからお前を殺す刃だ、目に焼き付けろと。


「さようなら」


 せめて、お前の最後が恐怖で終わりますように――

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