第20話:暗雲立ち込める アーロイ視点
「良かったのですか」
「何がだい?」
国境を越え、帰りの馬車の中、御者が僕に話しかけてくる。
彼は長いことディリット家に仕えてくれている御者だ。気心知れた仲で、信頼も置ける。
リリィを安全に国境まで運んだのもこの男だ。
「お嬢様の件ですよ。行きはあれほど連れ戻すと仰っていたではありませんか」
「そうだったね。今でも戻って連れ戻してこようか、まだその可能性は考えてるんだよ」
苦笑いしつつ答える。
御者も笑っているようだ。
リリィはあまり軽口を好まないから知らないだろうが、この御者は結構雑談を好む。
本当に話しかけて欲しくないときには話しかけてこない空気も読める人材だ。
こういった寂しい思いをする帰り道にはぴったりな人選だった。
「ご冗談を。坊ちゃんはそのようなことをするお人ではないでしょう」
「坊ちゃんって言うの止めておくれよ。屋敷のみんなはそう呼ぶけれど、僕だってもう成人してるんだ」
「はははは。いつまでたっても坊ちゃんは坊ちゃんですよ、我々からすれば」
豪快に笑われた。
普段からやめてくれと言ってるんだが、一向にやめてくれる気配がない。
第三部隊隊長として、威厳を保たないといけないのに、まったく。
駄目だとわかっていても、嫌な気分にはならないのだから不思議な話だ。
「それで、なんでお嬢様を置いてきたんですか?」
「うーん。これと言う決定的なものはないんだ。僕からすればまだまだ未熟だし、幾らでも連れ戻す口実は作れた。でもね……」
思い出すと、まだ笑いが込み上げてくる。
義務だからという言葉一つで、何もかもを飲み込んでいた可愛い妹。義務感が強すぎて、いつか押しつぶされてしまうんじゃないかとずっと心配だった。
無表情でいることが多い子だった。何かあっても歯を食いしばって耐えてしまえる子だった。
幼いころなんかは、僕よりもよっぽど立派に思えたほどだ。
魔力無しなんて心のない
生まれ持った不利を全て覆すような努力を繰り返してきた子だった。
リリィ以上に努力している人間なんているものか。あの子はいつだって自分の力で周囲を認めさせてきた。
だから、僕ぐらいは彼女を甘やかして上げないといけない。
自分の事を大事にしていいんだと教えてあげないといけなかった。でないと、いつの日かリリィは自分で自分の事を殺してしまいそうだった。
「……楽しそうだったんだよ」
「お嬢様が、ですか?」
「うん、そうさ。笑ってたんだ、楽しそうに」
僕が実力を見せて欲しいと言った時のリリィの反応を思い出す。
驚いた後、困惑し、仕方がないと笑っていた。その後の手合わせの間は、義務ではなく剣を振るうのが楽しくて仕方がないとばかりに、ずっと笑っていた。
―—本人は、気が付いてなさそうだったけれど。
「これまで義務で雁字搦めにされていた妹が、せっかく楽しく遊べる場所を見つけたんだ。兄としては、どうしても応援したくなったのさ」
「それはそれは」
「……なんだい? なんか言いたげだけれど」
「いいえ? 気のせいですよ」
含みがある言われ方をして、少しだけ苦笑する。
いつまでたっても家の者たちには勝てる気がしないな。
「少なくとも、リリィが気絶するまで無理をしたがるなんて久しぶりだったんだ」
「懐かしいですね。幼いころは、よく倒れている姿を拝見いたしました」
「そうだね。そのたびに無理を怒っていたら、要領を覚えて限界ぎりぎりを見定めるようになったんだ」
無茶をする子でもあったけれど、要領がいい子でもあった。
駄目だと言われればすぐに対応し、出来ないことがあればすぐに改善した。
そんなリリィが、久しぶりに限界を超えて倒れるほど熱中してみせた。
あの時、体力の限界であることを告げず、僕に認めてほしさを優先した。
「それだけ連れ戻されたくなかったってことなんだろうね」
「寂しいですか?」
「兄としては、妹の成長を喜ばないといけないんだろうけれど。どうしても、ね」
リリィが倒れた後、駆けつけてきた冒険者の人々。リリィが慕われている証拠だった。
特に、あのメレディアと言うギルドマスターは恐ろしかった。
女性ながらに中々の気迫を持っている。きっと、名の売れた冒険者だったのだろう。
「見知らぬ土地で、人望を得るって大変なことなんだよ。その点、リリィはやっぱり誰からも好かれるみたいだ」
「妹煩悩ですね」
「ははっ。君も子の話をするときは同じようなものだろう?」
「これはこれは、痛いところを突かれてしまいました。坊ちゃんも口が上手くなられました」
「それに、友達も作ったみたいなんだよ。この数日で」
「——それはそれは」
「まったく、妹ながらに恐ろしくなるよ。どこの場所に行っても慕われてるんだから」
馬車の座席に思い切り体重を任せる。
あの冒険者四人組。特に、あの魔法使いの子はかなり慕っていた。
リリィは魔力がないから、市井の魔法使いに対する思いはかなり含むところがあるだろうに……。人徳が高すぎるというのも、悩みどころかな。
「人もいる。実力もある。何より、あの子が楽しんでる。それを心配だからって言う理由で奪うのは、兄として失格だと思ってしまったのさ」
御者が声を出して笑う。馬も一緒になって笑った気がする。
少しばつが悪くなる。
きっと、彼らもこういう目で僕の事を見てきたのだろう。
「坊ちゃんも見守る側の心を知ってくださったようで何よりです」
「まったく、いつまでも勝てる気がしないね」
「まさか、我々は坊ちゃんが本気になったら消し炭になる身ですとも」
「そういう意味じゃないさ」
和やかに笑い合う。
だが、すぐに真面目な表情になる。
「……何より、今のティエラ王国はきな臭い」
「調査いたしますか?」
「頼んだ。アナベルと言ったっけ、彼女の家、ルース男爵家について調べないといけない」
そう、リリィが国外追放にされて、その後不気味なほど何もない。
まだ数日とは言え、ディリット家が抗議をしたのにも関わらず、対立派閥の動きすらない。
リリィの国外追放を元に、我が家への責任追及から攻撃が始まるものだと思っていたら、何も動いている気配がないのだ。
まるで、一連の出来事がリリィを国外へ追い出すのが目的だったかのよう。
もしも、王子とルース男爵家の狙いがリリィだとすれば、あの子は今は国外にいた方が安全だ。
敵の手がすぐには届かない場所で、人脈を広げて牙を研いでおいてほしい。
「リリィがいない間に、僕たちは国内の憂いを取り除かないとね。君にも、しばらく働いてもらうよ」
「御意」
馬車はまだ進む。
僕たちの道程は順調に進んでいるように感じた。
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