第5話:異国の地へ

 揺れる馬車の中で、私は物思いにふける。

 これから国外追放される身だというのに、心は穏やかだった。きっと、馬車に乗る直前に私との別れを惜しんでくれる屋敷の人々と抱擁ほうようを交わしたからだろう。


 私は動きやすいように布の服に、下はズボンを着用していた。革の防具として胸当てなども装備している。馬車の中では外しても良かったと思うけれど、外して付け直すのも違うと思って放置している。


 傍らには、用意してもらった剣も置いている。

 特にいわくがあるような剣ではないが、なんかすごいものだろうという雰囲気は渡される直前の空気にあった。


 国外追放される私に渡しても大丈夫な品なのか心配になったけれど、お母様とお父様が大丈夫だというのなら信じるしかない。

 それに、好意は素直に受け取りたい。


「もうすぐ国境です、お嬢様」

「ありがとう。迷惑をかけるわね、あなたにも」

「いいえ、これが仕事なもんで」


 数日間の馬車旅を経て、私は国境に辿りつこうとしていた。

 道中何事もなかったのは不幸中の幸いだろう。

 国外追放という事でまともな護衛はつけられていない。だから、道中盗賊に襲われていてもおかしくはいなかった。


 目を閉じると、未だに婚約破棄を言い渡された場面が思い浮かぶ。

 私は間違っていたのだろうか。もっとやり方があったんじゃないだろうかと考えてしまう。


 それだけ私は王妃教育にも熱を注いだし、殿下に相応しい人物であろうと努力をした。努力の方向性を間違えていたのだろうか。

 魔力なしだったから、最初から殿下は婚約破棄するつもりでいたんじゃないだろうか。そうしたら、この婚約期間殿下はどのような気持ちで過ごされてきたのだろうか。


 色々と思うことはある。出来ることも、もっとあった気がする。全て過ぎたことだけれど。いざ目前となると考えずにはいられない。


「お嬢様、国境です。到着いたしました」

「……ええ、わかりました」


 関所にたどり着いたらしい。

 私は馬車の扉を開き、誰かが下りるのを手伝うために手を差し伸べてくれるのを待って――自嘲してしまう。

 これからは、一人で生きないといけないのに、侯爵令嬢としての経験が身に染みてしまっているなと。


 一人で馬車を下りて、荷物を背負い剣を腰に下げる。

 初めて握るはずの感触が、やたらとしっくり来た。


「私はリリアンヌ、リリアンヌ・ディリット! 門を開けてください!」


 関所の前に立ち、声を張り上げると関所の側にいた兵士が私の方にやってくる。


「ここから先はカバリロとなります。以後、あなたは罪が許されるまでこの国に戻ってくることは認められません。よろしいですね」

「はい、構いません。覚悟はできております」


 形式的なやり取りを終えて、関所の門が開かれる。

 この門を超えれば、そこは異国の地。騎士の国カバリロ。

 背徳感を覚えてしまう。この状況に高揚している自分自身に。


 ここから先はわが身一つ、何があっても助けてくれる人はいない。

 少しだけ、わくわくしてしまう。こんな自由な状況は他にはなかったから。

 これまでは何をするにしても殿下の隣に立つことを意識してしまっていた。

 今の私は自由、何をするにしても何も意識せず行うことができる。

 私は、私の矜持のままに振舞うことができる……っ!


 不謹慎だと思いつつも、歩みは高らかに、私は関所を超えた。



 関所を超えても、特に大きく光景が変わるようなことはなく、行く先には同じような光景が広がっている。

 当然の事なんだけれども、私は少しだけ残念に思う。


「……リリアンヌ・ディリット侯爵令嬢ですね」

「はい。カバリロの騎士の方ですか?」

「ええ。これから貴女の我が国での扱いについて説明させていただきます。立ちながらですみませんが、ご了承ください」

「承知いたしました。よろしくお願いいたします」


 関所の兵士の方のうちの一人が、私に話しかけてくれる。

 今後についての話という事だ。


「国外追放ということで、残念ですが我が国でディリット侯爵令嬢を賓客ひんきゃくとしてもてなすことはございません」

「心得ております」

「……ですが、まだ我が国に深く情報は入ってきておりません。ですので、我が国では貴女様の事を旅人と同じ想定で遇することになりました」


 私は一瞬だけ何を言われたのかわからず、何度か瞬きする。


「それは、つまり、罪人として監視が着くようなことはなく?」

「はい。貴女様が我が国の法を犯さぬ限り、我が国が貴女の自由を侵害するようなことはありません。ご自由にお過ごしください」


 国外追放された罪人に対しては、かなり寛大な処置だ。

 私の想定では、今後しばらくは監視役の人が着いて、一日の行動記録などを提出させられるだろうと思っていた。本当に、かなり自由に動けるのは驚きだ。


 なら、ここからの行動も自由ということだ。どのような場所に、どのように向かうも私次第。

 それは、少しばかり、いやかなり、楽しみかもしれない。


「もし、貴女様が望むのであれば護衛の都合も付けられますが……」

「ご厚意ありがとうございます。ですが、この身一つで結構です。追放された身の上で、護衛を付けてもらうのは厚かましいというものでしょう」


 私は流していた髪の毛を、後ろで縛って一本に束ねる。

 剣を使うときに邪魔にならない様に。動きやすいように簡単にまとめる。

 私の様子を見て、少しだけ騎士の方が苦笑いした。

 興奮しているのがバレてしまったようですね。箱入り娘ですみません。


「では、案内ありがとうございます」

「いいえ、良い旅を。その道を真っすぐ行くと、近くの町に出ます」

「ありがとうございます。では、良い日を」

「良い日を」


 挨拶を交わし、関所を後にする。

 私は一歩踏み出して、背後を振り返る。追ってくる人はどこにもいない。

 どうしたのか騎士の方が不安げに私を見てきているが、それだけだ。


 口元が緩んでしまう。

 私は今、自由だ。何に縛られることもない。

 殿下の視線を気にすることもない、衆目を気にすることもない、噂話に気を遣う事もない。

 今の私には、欠点を補うだけの完璧を求められていない。

 そのことが素晴らしく感じていた。


 ここでなら、前世の続きを追うことができる。

 ここでなら、何にも縛られる私の矜持を貫くことができる。

 ここで、この地で、私として生きることができる。


 私は一歩、大きく前へ踏み出した。

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