第4話:出立の朝
朝が来た。出立の朝だ。
私は急いで準備を進めるべく起き上がると、朝早くから部屋の戸が叩かれた。
はい、と答えて入ってもいいと伝えると、そこにいたのはお父様とお母様だった。
ナタリーも側についている。
お父様とお母様はベッドの側までくると、ベッドに座っている私を見下ろす。
「本当に、行くのだな」
「はい。もう決断したことです」
「ならば、私からは何も言わん。好きに生きよ」
厳格なお父様らしい言葉だった。
思わず笑ってしまう。
「もう、お父さんったら。こう見えて、昨日あの後なんだかんだ引き留めようか迷ってたのよ」
「む」
「本当ですか、お母様」
「ええ、本当。この人ったら、いざ貴女と話すとなると恥ずかしくなって言葉数少なくなるんだもの。そんなものじゃ伝わるものも伝わらないっていうのに」
お父様の方を見ると、少しだけ視線が泳いでいる。
本当にお父様が? 私が知っているお父様からは想像できない一面だった。
もしも、国外追放されなければ一生知ることもなかったのだろうか。そう思うと、少しだけ悪いことばかりじゃないと思えてくる。
「ナタリー、準備の手伝いをお願いしてもいいかしら」
「もちろん、です。お嬢様」
「……なんで泣いてるの。これが今生の別れでもないというのに」
「ですが、お嬢様ぁ」
ナタリーが泣きだしてしまった。泣いたまま抱き着いてくるので、優しく抱きしめて頭を撫でてあげる。
ナタリーは昔から頭を撫でられるのが好きな子だった。撫でられると、落ち着くのだとか。
「お兄様とコーネットには、この件伝えないでいただけますか?」
「望むのならば構わん。が、どうせいつか耳に入る。遅くなるだけだ」
「ええ、それでいいのです。特にコーネットには、異国での学業に専念してもらいたいですから」
私の弟のコーネットは、現在他国に留学に行っている。見聞を広げるためでもあるし、あの子は頭が非常にいいから国の発展に寄与してくれるはず。
そんな彼の邪魔をしたくないというのが主な理由。お兄様も、仕事に差しさわりがあっては申し訳ない。
「……後でうるさくなるだけだと思うがな」
「え? お父様、何か仰いましたか?」
「いいや、なんでもない」
お父様が小声でつぶやいた言葉を、私は上手く聞き取ることができなかった。
言葉の文脈的に、お兄様とコーネットに関するものだと思うけれど……なんだろう?
「何か望むことはないか」
「望み、ですか」
「ああ。国外追放を受け入れてしまったとはいえ、行先などはある程度任意に決めて良い。必要なものがあれば、今言え。用意する」
お父様の言葉は婚約破棄されてしまった不肖の娘にかけるには優しくて、少しだけ笑ってしまう。
厳しいイメージが強い人だったけれど、もしかしたら本当は優しい人なのかもしれない。
婚約破棄されなければ知らなかったかもしれない一面に、少しだけ心が軽くなる。
「では、剣を一振り頂きたく存じます。行先は――騎士の国、カバリロへ」
お父様とお母様の目が見開かれる。
ここまで言えば、私の目的は伝わったも同然。何をしたいかなんてはっきりとしている。
「リリアンヌ、本気なの?」
「はい、本気でございます」
「剣なんて、貴女は振ったことないじゃない」
リリアンヌになってからは、確かに一度も剣に触れたことすらない。
「……魔力がなく、魔法が使えぬこの身でも、人々を守るすべがあるとすれば剣の道だけです。国外追放された不肖のわが身ですが、私は矜持を忘れずに生きていきたいと思っています」
でも、決めたのだ。リリアンヌとして生きてきた時間を恥じないものにするために、培ってきた矜持をないがしろにしないために。
国外追放されようと、私は私のやり方で誇りを守り続けると。
もちろん、剣の道を究めたいという気持ちにも嘘偽りない。
私の決意のこもった視線に、お父様とお母様は何を見たのか、目を細めて慈しみを込めた視線を私に返してくれる。
「……似て欲しくないところばかり、似るものね」
「む」
「もう、お父さんったら。不貞腐れないの。貴方の子ってことよ」
気慣れたやり取りに、私もつられて笑ってしまう。
すると、泣いていたナタリーがようやく泣き止んだのか、顔を上げた。
「そういうわけで、私は騎士の国カバリロに行くの。動きやすい恰好がしたいわ、準備してくれる?」
「はい、お嬢様。直ちに」
まだほんのり赤い顔を私に向けて、ナタリーは準備をしに部屋を出て行った。
私達親子だけが部屋に残される。
沈黙が、場を支配する。
「今回の件、撤回はさせるつもりだ」
「え?」
不意に口を開いたのは、これまたお父様だった。
「国外追放など、不当にもほどがある。私から王宮に訴えて、早いうちに撤回させる」
「お父様……」
「だから、無理だけはするな」
思いがけない優しい言葉に、私は思わず笑顔になってしまう。
私はお父さんのことを厳しい人だと思い込んでいたけれど、ひょっとすると私は存外愛されていたのかもしれない。
なんでこんな時になってと思わずにはいられないが、それでも嬉しいものは嬉しかった。
「はい、無理は致しません。このリリアンヌ・ディレット、名に恥じぬことを心がけます」
「ならば、良い」
お父様はそれだけ言うと、これ以上話すことはないと一歩下がった。
その仕草が少し子供っぽくて、失礼ながらまた笑ってしまう。
仕方がないとばかりにお母様も笑っている。
お母様は私の前に膝をつき、私の両肩に手を乗せて私の顔を正面から見てくる。
その顔は笑っているようで、真剣なものだった。
「リリアンヌ、貴女はどこへ行こうとも、私たちの娘よ」
「はい、お母様」
「怪我や病気には気を付けて。カバリロには魔物が多いと聞くわ、危険な目はなるべく避けて」
「はい、お母様」
「私たちは貴女さえ無事でいてくれればいいの。そのことを常に心に留めておいて」
「はい、お母様」
心配性なお母様。昔から慈しみが深い人だった。
貴族令嬢が一人で国外追放されるのだから、心配になるのも仕方がないとは思う。
けれど、ナタリーもそうだったが、少し大袈裟だと思う。本当に、これが今生の別れになるわけでもないのに。
会おうと思えば、国外でなら会えるのだ。お父様は仕事の都合上難しいかもしれないけれど、お母様ならば何か用事を作って尋ねに来るぐらいはできるだろう。
異国への旅は危険だというのはわかるけれど、少し心配性が過ぎないだろうか。
「大丈夫です、お母様。私、こう見えて結構たくましい子なんですよ」
「リリアンヌったら、もう」
お母様は立ち上がり、私の両肩からお母様の手が外される。
このタイミングで、何名かのメイドを連れてナタリーが部屋に戻ってきた。
着替えの服装と、旅に必要になりそうなものを見繕ってきてくれたらしい。
私はお父様とお母様を部屋から追い出し、さっそく着替えることにした。
出発は、もう近い。
少しだけ楽しみな自分がいることに、笑いを抑えきれなかった。
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