第3話:前世の記憶

 自室の鏡の前で、私は一つ溜息を吐いた。

 部屋の隅で待機しているナタリーが、こちらを気にしている様子が鏡に映っているが、今は相手している余裕はなかった。

 鏡の前の自分の目にして、一度だけ私自身の様子をよく確認する。不安になった時にはいつも行っている、私なりの儀式だ。


 私はリリアンヌ。ディリット侯爵家の一人娘。兄弟は兄が一人、弟が一人。

 ピンクブロンドの髪を長く垂らし、佇まいは気高く誇りを持って。顔つきは気が強そうに見えるが、芯が強いと言える程度。

 同年代に比べると少し身長が高くて、可愛らしさとは無縁の身。

 それが、私。リリアンヌ。


「そう、私はリリアンヌ。リリアンヌ・ディリット」


 鏡の前で確認するように独り言を呟く。

 私がわざわざこんなことをしているのには理由がある。

 それは、私には前世の記憶があるということだ。これは家族にも誰にも話していない、私だけの秘密。


 私の前世は、才に恵まれぬ男の剣士だった。

 彼は無才ながらに努力を繰り返し、剣の道をきわめようとした。

 その結果、無謀にも命を落とした。死の間際の事は細かく覚えていないが、きっと愚かなことに挑んだに違いない。そういう人間だった。


 愚直であることだけが美徳の人間だった。

 剣の道を探求することがだけが生きがいの人間だった。

 だから、ある日私が前世を思い出したときは大変混乱したものだ。


 剣しか知らない彼が、一人の貴族令嬢になっていたのだから。

 そのうえで、リリアンヌは気高い人間だった。彼と言う歪な存在を受け入れてくれた。

 今の私は、リリアンヌ・ディリットと前世の名もわからぬ彼が混ざりあった存在だ。


 前世に後悔がないわけではない。道半ばで倒れてしまったのだ、後悔してもしきれない。

 でも、リリアンヌは侯爵令嬢。前世の私の道と重なるはずがない。

 だからこうしてリリアンヌであることを常に意識しなければならなかった。


 道を間違えない様に、私はリリアンヌなのだと、侯爵令嬢の矜持を持った女性なのだと自分の言い聞かせるために。


 死の間際に見た、剣の極致に未練を残さぬよう。


「……お嬢様、本当に、家を出るおつもりですか」

「ナタリー、そんな心配しないで」

「いいえ、心配せずにいられません! 国外追放ともなれば、供を連れて行くことすら許されないのですよ!」


 ナタリーは部屋の外でばっちり私たちの会話を聞いていたらしくて、私は苦笑いしてしまう。

 部屋の外で盗み聞きしてただなんて、咎められても仕方がないことだ。

 隠しもしない潔さもそうだし、何よりも誰憚らない忠誠心に感服してしまう。


 苦笑いを隠してから、私はナタリーの方へ振り向いた。


「大丈夫よ。私は一人でもやれるわ」

「でも、お嬢様は外の世界をお知りにならないじゃないですか。どれだけ苦しい道か……」

「ええ、覚悟の上よ。これは私の身から出た錆、私が選んだ道だから」


 私の覚悟が硬いと見るや、ナタリーはすぐに話の方向性を変えてきた。


「ならば、せめて私を連れて行ってください!」

「無理よ。ナタリー自身が言っていたじゃない、供を連れて行くことも許されないって」

「ならば辞表を出し、私個人としてついて行きます! これならば――」


 ナタリーの言葉に私はゆっくりと首を横に振って否定する。


「ナタリー。気持ちは嬉しいけれど、ついてきてくれても私はナタリーに何も報いては上げられない。報いてあげられない以上、それはただの依存になってしまうわ」

「お嬢様……」


 ナタリーは納得いっていない様子だった。

 魔力なしである私に長い間ついてきてくれた子だ。優しく、情は人一倍に深い。


「気持ちはとても嬉しいの。どうか、その気持ちを今後はこの家のために費やして」

「私は、私はずっとお嬢様の侍女です」

「……ありがとう」


 私はナタリーの言葉に救われた気持ちになっていた。

 私を認めてくれる人がここにいる。それだけで、どれだけ気持ちが楽になることか。

 少なからず、殿下とアナベル令嬢のことでショックを受けていたらしい。


 着替えだけは行い、ナタリーを下がらせてからベッドの上に一人横になる。

 見慣れた天板とも今日でお別れとなる。おとぎ話のワンシーンが描かれたこの天板。私はとても好きだった。

 悪い魔物に立ちはだかる剣を掲げた勇者の絵。悪に立ち向かう毅然とした勇者。


 私も悪に屈せず、立ち向かえる人になりたいと思っていた。

 誇りを胸に、弱者を救い、正しさを謳う。そんな人になりたかった。

 現実としては、それだけでは生きていけないという事なのだろう。今の私がそうだ。無様に争いに敗れ、敗者として国を去る。



 なんという恥だろう。家に報いることもできず、忠義を尽くすこともままならず、負けて去るのみ。

 もしも、私が魔力に恵まれていれば、殿下の心を引き留められていたのだろうか。

 魔力なしでなければ――


「……大分弱っているわね、私も」


 今更気にしても仕方のないことだ。生まれてこの方、何度も頭を悩ませた問いに没頭するなどあってはならない。

 そんなことよりも、今後どうするかに頭を使うべきだ。


 額に手の甲を乗せ、天板を仰ぎ見る。

 国外追放ということは、一人で他国に出ることになる。実家の支援も期待はできない。

 一人で生きていくことは、出来ないとは思わない。前世がそういう生き方をしていたから、きっと何とかなるという考えはある。

 問題は、剣を振りまわすぐらいしかまともにできる事がないということか。


 女が荒事に関わるのは体面がよろしくない。

 隣の騎士の国カバリロであれば、女性騎士もいると聞いたことがあるが、この国ではまだまだ女性は荒事に携わることはない。せいぜい魔法の研究職に就くぐらいだ。


 ……国外追放先は選べるのだろうか。

 選べるのならば、騎士の国カバリロに行きたい。

 リリアンヌとなってからは一度も剣を振るっていない。腕が錆びついているかもしれない。


 欲求が湧き出てくる。

 不謹慎かもしれないが、リリアンヌとして目指していた道が閉ざされたことで、前世の欲求が沸き起こってくる。

 定期的に沈めないと湧き上がる剣への欲求。一度の生涯を費やしてなお足りない焦がれ。


 もう、抑える必要もないのかもしれない。

 これまでは殿下の側にいるために剣は必要ないと封じ込めてきた。明日からは、そのようなことは考えない生活が待っている。


「剣が振りたい」


 言葉にしてみると、すんと腑に落ちた。

 私は剣が振るいたいのだ。ずっと、振るってみたかった。

 女だからと、必要ないからと目を背けてきた。


 もうすべてが台無しならば、リリアンヌとして生きてきた証が残せないのならば、この気持ちに嘘を吐かなくていいのかもしれない。


「剣が、振りたい」


 今度は、心から焦がれた声が出た。

 胸の奥に熱が生じる。これまでは感じたことがなかった熱に、体が浮くような感覚を覚える。

 

「剣が、振りたいっ……!」


 欲求は確信に変わっていた。

 捨て去ったはずの夢。その果てにまだ魅入られている。

 リリアンヌ・ディリット。私は、前世の夢を捨て去り切れていなかった。

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