第一章 助産師と陰陽師⑦

 ガラガラと音を立てて、牛車が横を通り過ぎる。

 陰陽寮から出た晴明と蓮花は、とある屋敷へと向かって歩いていた。


「屋敷まで少し歩くが、大丈夫か?」


 晴明は肩越しに振り返る。後ろに付いて歩みを進めていた蓮花は、特に息をきらすこともなくしっかりと余裕のある面持ちで頷いた。


「普段からお産のために都中を駆け回っているので、慣れております」


 上級の貴族の屋敷へ赴く時は牛車を用意してもらうこともあるが、それは上級貴族のお産を介助出来る者に付いていく時だ。ほとんどの場合は迎えの者と共に徒歩で向かう。

 蓮花の身分では、日頃から牛車や随身が付くことはないのだ。だから足腰には多少の自信がある。

 それでも晴明は気を遣ってくれたようで、蓮花に合わせて歩く速さを緩めてくれた。


「どうりで体力があるわけだ。君に憑依ひょういをした時、倒れてしまうんじゃないかとひやひやしていたが、杞憂きゆうだったようだな」

「徹夜も当たり前の仕事ですからね。むしろ真夜中に産まれることの方が多いのです。望月もちづきの夜とかは特に」

「ああ、あの伝承は本当なのか」


 望月の夜は出産が多いと昔から言われているのだ。


「そうです。ですから陰陽寮の方々にとてもお世話になっております」


 陰陽師は魔や鬼をはらう他にも、天を読み、暦を作る仕事もある。

 誰が望月の日に宿直とのいをすることになるのか、助産師同士の間でも毎月恒例の話題となっている。


「大変な仕事なんだな。俺たちもまじないや祝詞を唱えるのに駆り出されているけど」

「でもとても大切なお仕事なので。その分、責任も重いですけどね」


 蓮花は目を伏せた。

 命と直接関わる仕事は、いつだって恐怖と隣り合わせなのだ。


「どうかした?」


 晴明の気遣うような響きに、蓮花は気持ちを切り替えるように尋ねた。


「これから行くお屋敷は、どのようなところなのですか?」

「俺の兄弟子の賀茂 保憲やすのりの屋敷だ。彼の北の方が十日程前に出産をされたのだが、ずっと体調が思わしくない」

「十日程前ですか?」


 蓮花は記憶を辿たどってみたが、該当する女性はいなかった。

 助産寮に依頼のあった妊産婦は、朝の集いにて全員状態を把握しているはずだ。ということは、依頼はせずに親族か知り合いの者が出産の介助に付いたのだろう。助産師は医師のように要請があってから、それぞれの屋敷に伺う仕組みになっている。知り合いに腕のある者がいれば、依頼をしない家も珍しくはない。


「ああ。高熱に強い倦怠けんたい感などが続いている。当然陰陽師の家系だから、祈禱きとうや快癒のまじないは施されているんだが、一時的に持ち直してもしばらくするとまた熱がぶり返す。医師にも診てもらっているんだが、産後なのでよくあることと言われたらしく……助産師の観点からも見てほしいんだ」


 そもそも陰陽師の快癒は、本人の病を治す力を活性化させているのだという。

 体内に異常があると、いくら快癒のまじないを唱えても一時しのぎにしかならないだろう。


「熱発ですか……」


 蓮花は産後の状態にすぐさま考えをめぐらせた。産後は一時的に体温が上がることがあるが、大抵の場合は日数と共に熱は引いていく。体力は著しく落ちるが、それ以外にも実際の出産時の状況や出血具合、赤子の状態、子宮の状態がどうなっているのか、そもそも元々病を患っていたのかなど、聞きたいことは山ほどある。


「保憲の見立てによると、鬼の姿が視えるそうだ。彼女にとりいて離れないと。だから体力が落ちたことも大きく起因しているんじゃないかと思って」

「わかりました。私の目でも視てみます」

「頼む……あ」


 晴明は申し訳なさそうに尋ねる。


「そういえば、あの時はやむを得ず本当の名を聞いてしまったが、呼び名を教えてほしい」

「……それがですね。私は事情がありまして」


 特に隠すことではないので、蓮花は自分の名に関する特殊な事情を話した。


「元々蓮花が呼び名だったのですが、幼い頃に高熱を出して、父が命だけは助かるようにとまじないで私の本名に病を結んで流す儀式を行ったのです。そういうわけで命は助かったのですが、引き換えに鬼が視える体質になってしまって」

「ああ、それで鬼が視えていたわけか」


 晴明は納得したように頷いた。

 そういうわけで、蓮花自身は呼び名も本当の名前として大切にしているのだ。


「だから蓮花、とお呼びください」


   ◇


 賀茂邸はけして大きいわけではないが、門から見えた庭には季節の草花が植わっており、手入れの行き届いた屋敷であった。

 奥の対屋たいのやからは、赤子の泣き声が聞こえてきた。声の大きさや泣き方から、まだ生まれたばかりなのがわかる。


「晴明……! よく来てくれた!」


 主である賀茂保憲は、だかだかと足音を立てたかと思うと抱き付かんばかりの勢いで、晴明の衣の袖を握った。


「大丈夫か、やつれてるぞ……」


 晴明が心配をにじませた声音で、兄弟子を気遣う様子を見せた。

 元々 闊達かったつな御仁なのだろう。晴明よりも大柄で、人のさそうな丸い瞳が印象的だ。

 しかし今は心労から顔色は悪く、憔悴しょうすいしているようであった。

 保憲は蓮花の方に視線を向けた。


「そちらの方は……」

「産後の身ということで、助産師殿を連れて来た」


 蓮花は一礼した。


「初めまして。助産師の蓮花と申します。本日は突然のご訪問……」

「どうぞどうぞ、お願いします! どうかうちの妻を助けて下さい……!」


 蓮花は挨拶も言い終わらないうちに、保憲に勢いよく招かれて奥へと案内された。


「すごく仲睦なかむつまじい夫婦なんだ」


 晴明は補足するようにつぶやく。


「伝わってきます……」


 蓮花はうなずいた。

 成人男性である晴明は几帳きちょう越しであったが、女性である蓮花は几帳の内側に入り、している北の方と対面することが出来た。

 生活に支障が出ないよう、蓮花は無意識に鬼を視る深度を調整している。

 しかし、活性化している鬼は炎をまとうため、程度にもよるが、意識せずとも自然と視えてしまうことが多い。

 そのため、今の北の方からは体を包むように、紫の混じった炎がほのかに立ち昇っているのが視えていた。

 蓮花は「ん?」と首をかしげた。まとう炎の色味がいつもと違う。蓮花は目を凝らして、彼女の周りに舞っている鬼を視た。

 小さな鬼だが、人間も少しずつ違うように鬼も僅かに違いがあるのだ。炎でわかりにくいが、よく見るといつも視る鬼と、表情や角のようなものの形が異なる。

 ふと、北の方は目をうっすらと開けた。


「……どちら様ですか」


 かすれた声で弱々しく尋ねた。

 蓮花は会話しやすいよう、少しだけ顔の方ににじり寄る。


「初めまして。助産師の者です。産後ということで、北の方様の容体を見に参りました」

「ありがとう。……姫は、どうしているかしら」


 保憲は心配の面持ちに精一杯の虚勢を張って、微笑ほほえんだ。


「大丈夫。さっきも元気に泣いていたぞ」

「そう。良かった……」


 そう言って北の方は再びまぶたを閉じた。

 己の体が苦しい中、まず思うことは自分の産んだ子どものことだったのだ。

 苦しそうに息をする北の方の様子に、蓮花は痛ましげに目を細めると、そばにあった手ぬぐいで彼女の額の汗をそっと拭った。

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