第一章 助産師と陰陽師④

「……と、いうわけで、さすがは産神うぶがみの祝福を授ける助産師、という評判が内裏だいりまで広がっているそうです」

「それほどまでに!?」


 物忌みから明けて久々に助産寮に出仕した蓮花は、妹弟子の小鞠こまりから伝え聞いた内容におののいた。

 まだ薄暗い明けの空、朝日が少しずつ差し込み室内を照らし出している。

 今蓮花がいるのは、助産師の詰め所である助産寮内のつぼねの一室であった。こちらではお産の時のような白い装束ではなく、蘇芳すおうなど落ち着いた色合いの袿を重ねたちだ。

 助産寮は大内裏だいだいりと呼ばれる官庁街の典薬寮の敷地しきち内にある。

 典薬寮はいくつかの棟に分かれており、医師くすしが詰める建物、医学生が医術や薬の作り方を学ぶ建物、そして助産師が詰める建物などが存在していた。

 要請があれば、助産師はここからお産場所に駆け付けるのである。


「私はただ陰陽師殿を呼んで、依りましのようなことを引き受けただけなのですが……」


 蓮花はあの夜に鬼を祓ってくれた安倍晴明という男性を思い出した。

 どうやら、蓮花と彼の活躍が、屋敷やしきの者を通して尾ひれがついて伝播でんぱしてしまったらしい。あれは晴明の力を借りたものなので、その場に居た者には内密にと伝えたのだが、かえって想像をき立ててしまい事実とはまた違ううわさが流れているようだ。


「でも蓮花様の関わったお産は皆、安産なのでしょう」


 蓮花より五つ程下の小鞠は、手を合わせて瞳を輝かせながら尋ねた。まだ丸みの残る顔立ちは可愛かわいらしく、純真じゅんしん無垢むくな様子が初々しい。


「幸い、無事にお生まれになられたことが続いているだけです」


 蓮花は産神の祝福を授ける助産師と呼ばれている。それは彼女が関わった母子の産後に亡くなる割合が、著しく低かったからだ。

 鬼が視えるため、産道を伝って体内に入らないよう、触れる際は鬼を退ける効果のある清めの水で手を清めたり、道具をあらかじめ火にくべたり、室内の風を入れ替えたりして鬼を極力排除するようにしていたのだ。

 けれど全てを退けることが出来たわけではない。どこからか体内へ侵入したり、元々体内にいた鬼が弱った体を狙うように活発に動いたりしたら、どうにも出来ないのだ。


「それほどの偶然、続けようと思って続くものではございません。さすが蓮花様です」


 蓮花は曖昧な笑みを浮かべながら「ただの噂よ」と小鞠の頭をでた。

 鐘の音が遠くから響く。


「朝のつどいが始まるわ。行きましょう」


 助産寮の母屋にて、助産師らが集まった。母屋とは建物の中心となる広い空間で、ここで集まりや講義が行われる。先程まで蓮花らがいたのは、母屋の周りを囲うひさしと呼ばれる空間だ。こちらは几帳きちょうなどで仕切りを作り、それぞれの文机ふづくえを置いて記録をつけたり作業を行ったりする場であった。

 朝の集いでは、妊婦の経過や異変の有無、産まれた子などの報告がされる。担当だけでなく、どの者の要請にも動けるよう皆、子細を共有するのだ。体調不良やけがれ、占いの吉凶によっても出仕を控えなければならない時があるからだ。

 そして最後に助産師を統括する助産頭じょさんのかみより報告があった。


飛香舎ひぎょうしゃ女御にょうご様のご懐妊が内裏より報告されました」


 その沙汰に、助産師ら全員の顔に緊張の色が浮かんだ。さざ波のようにざわめきが起こる。


「まことにおめでたいことですが……」

「中納言様の娘の更衣こうい様ご懐妊の報が先日あったばかり……」


 飛香舎の女御とは右大臣 藤原ふじわらの師輔もろすけの娘であり、今、後宮で最も権威があるといってもいい。いずれは皇后の地位に就くのも彼女だろうとささやかれていた。

 女御は昨年、女児を出産している。みかどの初めての子ということで男児を期待されていたが、姫であったことで右大臣は大層落胆したと噂されていた。


「後宮は大変なのですね」


 蓮花の隣に座る小鞠は、頰に手を当ててつぶやいた。実は今年に入ってから、他の女御や更衣にも女児が誕生しているのである。子宝に恵まれるのはいことだが、そこに政権争いが加わると話はややこしくなってくる。

 御子みこが姫宮しかいない今、男児を産むとその子が次代の帝として立太子される可能性が高いということだ。そうすればその御子を産んだきさきの一族は、外戚として力を振るうことが出来るのだ。

 蓮花は苦笑しながら、うなずいた。


「この世で最も尊い存在である主上しゅじょうの御子様ですからね。私たちはまだまだ関わることはございませんが、無事に健やかにお生まれになることを祈りましょう」


 女御など高位の者のお産は、向こうがこれと見込んだ年嵩としかさの女房や、経験豊富な助産師などが任じられる。いずれも上流の生まれの者の話だ。

 先日、更衣の懐妊が判明した時は、助産寮の中でも最も経験のある助産師が指名された。宮仕え歴もある彼女は局を用意されて、今もそちらへほぼ付きっきりでいる。


此度こたびはどなたが担当となるのでしょう」


 誰かが尋ねた。

 今をときめく女御であるが、噂によるととても気性が激しいという。これは助産師間だけに伝わっている話なのだが、前回の出産の時は右大臣が赤子を取り上げる女性として経験のある親族の者を呼びよせたものの、大層困難を極めたのだとか。


「実は此度、右大臣様直々に助産師の指名がありました」


 助産頭はざわつきを静めるように、手をたたいた。


「皆の者、静かに。いたずらに騒ぎ立ててはなりませんよ」


 そして何故なぜか彼女は蓮花の方に視線を向けた。

 その瞳は、重い責務を伴う者の目をしていた。

 何故か心臓が跳ねて、蓮花は無意識に手を握りしめた。嫌な予感がしてしまったのだ。

 助産頭は口を開いた。そして凛々りりしい声が発せられた。


「蓮花。ぜひともあなたに取り上げてほしいと、下知がくだりました」


 皆の視線が一斉に蓮花の方へと向いた。

 蓮花は、愕然がくぜんとして目を見開いた。


「わ、私に、ですか……?」

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