第一章 助産師と陰陽師②
時は
元を
蓮花は、素早く子と母が
通常は臍の緒の拍動が止まってから行うが、今は待たずにすぐに切断した方が
蓮花は突然の異変に恐慌状態に陥った女性陣らに告げる。
「すぐに、鬼を祓う者を呼んで参ります!」
この鬼が
蓮花は妻戸から
夜空には黄金に輝く丸い
突如起こった彼女の苦しみ。幼い頃より鬼が視えていた蓮花には、あの小さな鬼らが原因であることはすぐにわかった。
あの鬼は胞衣だけでなく、彼女の中に
蓮花は寝殿に続く渡殿まで進むと、険しい面持ちであたりを見回した。
今もなお、陰陽師の祝詞が響いている。
しかし、蓮花の足がふと止まる。本当に、それで祓えるのだろうか。
産気づいてから今に至るまで、ずっと祝詞は唱えられていた。それでも鬼を退けられないこともある。祝詞は鬼の力を弱めるのだろうが、体が弱っている妊産婦にとって、その弱い鬼すらも命とりになるのだ。
蓮花は己の手を見た。母体に触れた時に付着したのだろう。微細な鬼が、手やその周りにふわふわとまとわりついている。
蓮花はぐっと手を握り締めると、意識して呼吸を整えた。
何もしないよりは動いた方が良いはずだ。けして諦めてはいけない。
蓮花は面を上げて、渡殿の先にある寝殿に焦点を当てると、人を呼ぶために口を開いた。
「どなたか……!」
その瞬間。空気を切り裂くように、弦を鋭く打ち鳴らす音が聞こえた。
同時に、蓮花の手や周囲に舞っていた鬼が一瞬にしてかき消えた。
「えっ……」
驚いて手元を見ると、弱った鬼がかろうじて一匹残っているだけであった。
音のした方へ首をめぐらせると、屋敷の庭に弓を手にした一人の青年がいるのが見えた。
年の頃は二十代後半くらいだろうか。憂いを帯びた目元が印象的な男性であった。通った鼻筋や薄い唇は繊細さを醸し出しており、肌は透けるように白い。
「外は任せるって、俺の担当範囲広すぎだろ……しかも一人って……」
整った見目に反して、渋い顔でそう
彼が行っているのは
蓮花は顔を引き締めると、高欄に足をかけて、ひらりと地面に飛び降りた。非常識だが、今は急ぎのため
蓮花はそのまま地面を駆けて、彼の方へ向かうと声を張り上げた。
「陰陽師の方ですか!? どうか助けて下さい……!」
声をかけられた青年は振り向くと、蓮花を見て驚いたように目を見張った。
蓮花はそこでふと自分の姿を思い出した。
無我夢中で駆け出してきたが、
「どうした!? どこか
だが、青年は疎むことなく近寄った。
勘違いされていることに気付いて、蓮花は慌てて首を振った。
「違います。私のではなく……この血は出産の障り、赤様を取り上げた時のものです。無事にお生まれになったのですが、北の方様の体に鬼がとり
青年は産室のある
「ちっ、だから心配していたんだ。まだ経験の浅い者一人に
そして青年は何か気付いた素振りで蓮花の手を取ると、じっと見つめる。
「あの……」
蓮花が戸惑っていると、青年は人差し指と中指を立て、横に一文字を引くように線を切った。
すると、蓮花の手の平に残っていた微細な鬼が一瞬にして消えた。
蓮花は感嘆する。
「すごい……」
すると彼は、蓮花の反応に目を
「君は鬼が視えているんだな。この屋敷の女房か?」
「いえ、私は助産師です。本日は北の方様のお産を介助するために、呼ばれました」
「ああ、何か評判のあるという助産師が来たと、誰か言っていたな」
青年は納得したように
「俺は
「安倍、晴明様ですね」
賀茂忠行の名なら蓮花も知っている。当代一と言われる陰陽師だ。
ならばきっと彼も優秀な陰陽師なのだろう。蓮花は狩衣の裾を引いた。
「すぐにこちらに来て下さい。とても尋常ではない苦しみ方をされているので……!」
「もちろんすぐに助けてやりたいが、産室に立ち入ってもよいのか?」
蓮花はぐっと言葉に詰まった。踏み入れて良いのは医師か屋敷の主人か。いずれにしても蓮花が勝手なことをするわけにはいかない。やはり今から寝殿まで戻って、許可をとってから動かなければならないか。
晴明は少し考える素振りを見せた。そしておもむろに口を開く。
「……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます