平安助産師の鬼祓い

木之咲若菜/富士見L文庫

第一章 助産師と陰陽師①

 寝殿造りの屋敷やしき内では、鬼やものを祓う陰陽師おんみょうじ祝詞のりとが響いていた。


 その対屋たいのやの一室――白い垂れ布で覆われ、几帳きちょう屛風びょうぶも調度品も全て白でそろえられた産室では、一人の女性を中心に複数の女性たちが口々に励ましの声をかけていた。女性らは皆、白い衣に身を包んでいる。中心にいる女性はこの屋敷の正妻であり、まさに今、産気づいている状態であった。


「もう少しですからね、きたかた様。私どもが赤様を取り上げるので、ご安心なさって下さりませ」


 そう声をかけて妊婦の向かいに寄り添うのは、二十歳前後の女性だった。

 魔を避けるために白いうちきに白いはかま姿で、長く真っ直ぐな黒髪は元結もとゆいで一つにくくり、背に流している。額髪の両端である下がりは仕事の邪魔にならないよう、他の女性よりも短めで頰にかかる程度だ。目元のはっきりとした顔立ちで、優しいながらもりんとしたたたずまいであった。彼女は出産の補助に従事する専門職――助産師であり、名を蓮花れんかという。

 北の方とは、貴族の妻を表す呼び名で、蓮花は彼女の担当助産師として訪れたのであった。

 蓮花は妊婦である北の方の手を握りながら、反対の手で彼女の腰を擦る。


「あと、どのぐらいでお生まれになるでしょうか……」


 蓮花より少し年上とおぼしき屋敷に仕える女性が、心配した面持ちで尋ねる。


「子宮口は既に全開になっております。以前にお産の経験もありますから、もう一刻(三十分)もかからないでしょう」


 知識と経験から基づいた目安の時間を、蓮花ははきはきとした口調で答えた。

 時刻は既に深夜で、辺りは高灯台で照らされている。霜月の夜は冷えるが、これから産まれる子が冷えないよう、室内には火桶ひおけがいくつも置かれていた。そのため熱気がこもり、妊婦も周囲の者も皆、汗をにじませている。

 北の方は座った状態で、親族の女性の肩に手をかけて、痛みに耐えながら必死に息を吐く。

 蓮花は子宮口から見えてきた児の頭を左の手の平で支えた。


「上手に呼吸が出来ておりますからね。次は、いきむように力をおかけ下さい」


 北の方はうめき声をあげながらも、その痛みを赤子を産む力に変えようと懸命に力をかけた。

 そして彼女のとりわけ強いいきみと共に、児の頭部が出てきた。


「もう少しです、今赤様も頑張っていますからね。あと少し……」


 緊張の一瞬だった。蓮花は回旋して現れた赤子の肩と脇の部位を、付着した体液で滑らないようしっかりとつかんで取り上げた。

 室内に赤子の産声うぶごえがあがった。生まれたばかりで初めはかすかな声だが、徐々に大きくなっていく。

 皆は安堵あんどと感動の入りまじった歓声をあげた。


「おめでとうございます。元気な姫君でございます」


 蓮花は微笑ほほえんでそう声をかけると、清潔な白い布に赤子を包み、北の方の腕にそっと預けた。


「良かった……」


 彼女は、荒く息をつきながらも、ようやく出会えた我が子を抱えて涙を滲ませた。


「前は男の子だったから、女の子は初めてなんです……。早く殿におしらせしなければなりませんね……」


 そう言って、幸せそうに赤子を抱きしめた。


「さすがは、産神うぶがみの祝福を授けられる助産師殿が取り上げて下さっただけありますわ」

「きっと、健やかにお育ちになるでしょうね」


 周囲の者が口々に子が無事に生まれたことを祝う中、蓮花は次の準備にとりかかった。

 赤子が生まれても、後産が終わるまで安心出来ない。胞衣えなという胎児を包んでいた膜や胎盤が下りきったことを確認しなければならないのだ。

 へそを切断するための練糸ねりいと臍帯さいたい用の刀を準備していると、ふと蓮花は異変に気付いた。


「北の方様?」


 彼女の息は荒いままだ。赤子を乳母となる女性に預け、ゆっくりと横になる。

 拭いても拭いても、汗が引くことはなく、頰の紅潮は増していく。出産後に熱が出るのは珍しいことではない。だが、蓮花の助産師としての直感が警鐘を鳴らした。

 北の方の子宮口から胞衣が出てきた。視線をめぐらせて胞衣の状態を確認する。通常、出たばかりの胞衣は臓器の一部であるため、赤々とした見た目をしている。そのため、見るのも苦手だという者が多い。だが蓮花は目をらすことなく見て、はっと瞠目どうもくした。胞衣に幾匹もの小さな生き物がいることに気が付いたからだ。


 それは小さな鬼であった。丸い形に小さな突起のようなものがある。手足は丸い体幹の大きさに対して極端に短い。きょろりとした目があり、色は人の臓と同化するような赤だ。突如として、鬼が口を開ける。そしてくわりと牙を剝いて、胎盤に突き刺した。他の鬼も同様に口を開け、次々と赤い胎盤を突き刺していく。活性化した彼らはその身に炎をまとわせた。

 次の瞬間、北の方は手足をらせると、呻き声をあげた。


「あああああ――――っ…………!」



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