別名、3フォールズ。
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僕が知り合った宇宙人は一人を除いて、先にはいない。今後出会うかどうかというのは何とも言えないが、この先例無しかつ唯一の経験から分かるのは、地球人類というのは、異星人とはあんまりうまく付き合えない
というのは地球人が引っ込み思案だったり、異星人の方が凶暴で手の付けようがないからではなく、向こうがあまりに地球に馴染もうとするものだから、遠慮がちで思慮深い地球人どもは自分達の側から譲歩できてなくてやきもちするからだった。たとえば、件の宇宙人は"意識的相互連絡機構"(ところで彼らの一人称複数を語義に忠実に訳すと自虐でも何でもなく、"単細胞"という意味になる。なぜなら彼らの所属する"意識的なんやらかんやら"が"繁細胞"と呼ばれ訳されるからで、しかもそれは『ヒトが集まるとやたらごちゃごちゃしてて
ベテルギウス星系出身の彼は、薄い皮膚で内臓や循環器が透けて見え、興奮したときなどは電気信号を受けて発光する体液が全身を駆け巡り、結果として、やたらと眩しくなって何も見えなくなる。だから僕は「頼むから、深呼吸でもして落ち着くか、そうじゃなきゃ見えないどっかに、あっちでも行っててくれ」と彼に言い含んでいるが、彼が大層興奮するのは雨が降った時と、いろんな機関が今年度の出版物において大変に美文で示唆に富みうんぬんといってまだ百年も生きていない青二才を表彰しだした時、そして、良く晴れた夜に大きな明るい真っ赤な星が空に浮かび上がる時であって、自覚的に管理できるならこんな話にはなっていないのだった。
今、彼の冷血動物の心臓は脳に血液を送り込み、ぬめりのある体液が辿り着く先は水晶のような頭蓋骨の中に浮かぶゼリー状のぶよぶよである。そしてそのぶよぶよは彼の同情という内心的反応を反射して赤く光り輝き、それに気が付いた彼は僕にまた怒られてしまうから、と帽子を深くかぶった。すると光は、「おい、見くびられたもんだ。ベテルギウス第三星に棲んでた頃のお前なんか、今よりもっと青白くて馬鹿で髭も生えてなくて、たとえば物理・化学の点なんかはな。お前らは並行世界やら量子で猫を殺すだけの実験やらを知ってる割には、無事に進級するよりかは、落第してもう一年って線の方が濃厚だったもんだ。皆揃ってあんまり悪いもんだから、教務の方が物理の点で以て落第をさせる訳にいかなくなった位にな」と言ったか言わずか、いや実際は光の性質に黙って従うことで、ともかく高圧で絞られたチューブから出てくるように、赤い光の束はまだ外に晒されていた部分を通して勢いよく飛び出した。ほとんどの生物のドコら辺が一等身体から離れているかというと、大体は知覚器官か生殖器官ということになり、その時は目玉だったので、彼の目の周りは泣き腫らしたみたいに真っ赤に染まった。つまりよく見たら、ただ赤く光っているだけなのだ。
ちっぽけな地球の、ちっぽけの島国のある地方県にある、これまたちっぽけな学生会館の二階、階段上がって右手の練習室らへんをぶらぶら歩いてる奴が居たら、途端に頭の中のブレーカーが落ちたような視覚不省に襲われ、気が付くと薄暗い朝のグレーが段々と戻ってくる感覚を味わっただろう。僕はもはや諦め半分で、しかし微かな、新米研修医が深夜一人で宿直するとき特有の乾いた希望に縋った。ともかく急ぐと、途端に階段下のポスターが視界に身を投げ出した。
《大雨の日には、何が起こったってオカしくない!——階段はどうか走らないで》
息せききって重いドアを目いっぱい引くと、あの宇宙人はピンク色のゴムシートの上に寝転ぶとあらぬ方を向いて片腕でプランクの姿勢を取っていた。少し汗ばんだシャツを引っ張って、元気そうだな、と漏らす。
「元気?」
僕はなかなか靴が脱げないまま、このヨガマットは、と尋ねる。
「貰って来た」
貰って来るだって?どっから——まあいいや。
「あ、」と体勢を崩して、宇宙人はようやくドアの方を見た。
「前も言ってたなあ。『まあいいや』ってのは、不幸なことなんだろ?」
用意してた質問を続ける、さっき光ってたのはこの部屋だろ、と。
「この部屋はさっきから空いてたね」
ここは空き部屋じゃないんだ、と僕は言う。なんでか、今は誰もいないけど。
「確かに空き部屋じゃないね。椅子もあるし、ピアノもCDプレイヤーもくす玉の残骸も、生分解性プラのポンポン(チアが持ってる奴だ)もエナメル風のスカートもある。他にはあるかな?」
僕は続けた。もう思いつかないな、ところでさっき光ったのはアンタだろ?
「オレ?そりゃオレは光るけどさあ、それはオレが光るんだよね。だったら部屋が光るなんてのは、どこを取ってもおかしな話だろ」
光ったってより、閃光ってカンジだよ。あんなの初めて見たから上手く言えないけど、通りからも後光が見えたんだ。真っ黒に全く何にも分からなくなって、結局何か起こってるのだけは分かったんだからな、と僕は言った。というのも、この部屋の窓は裏手にしかついていないし、正面玄関のくっ付いてる表(正面口と建物の表裏が必ずしも連絡するかは定かでない)は構内の道路に面しているのに対して、裏手は生い茂る林になっていて窓を眺め見る機会などは保障されておらず、しかも夏になると裏手の林を本拠地として、練習室は諸昆虫族大移動の中継地となるのである。
僕の意識が"気が付く"——僕が、いつの間にか気を取り直したようだが果たして何をして気を取り直したんだろうという不安に駆られだす、というのを四文字に纏めるとそうなる——より前に身体が反応して、布団に潜ったときに反射的にやってしまうような、特に意味は無いが外でやると黄色い目で見られるような激しい身震いを二秒ほど。そしてまだ目を回したまま見えない前方に向かって掴みかかった。瞬間空を切る両手。その瞬間は終わらず、なぜなら両手がないのである。
まただ、と僕は言おうとした。あと空調の効き過ぎかでかなり肌寒くて、それらを合算すると泣きそうになって、
じゃあどんな場面か?そいつはただ、ボコボコ、とだけ音が咥内に反響して、それを見てる冷血性の宇宙人は「ようやっとお帰りか」といった感じに居座りを直し、するとどっからかやって来た眠たくなる赤い光が更に強くなって、加えてどういう訳か(無論、まだ何の説明もない)空間中に滅茶苦茶な反射をしている様だった。
目に優しくない光を手で覆うと、おい、だからこの光るのをやめてくれって、と自然に口が開き出し、するとやがて、まるで呼吸するのを思い出したみたいに頭に血が通い始める。
そして一呼吸置いた次の瞬間には、頭の中で爆発が起きた。その威力は、鈍くて油ぎった、泣きそうになる位落ち込んだ人間の声を、調整を間違えたような音割れ気味のスピーカーの真ん前て聞いてしまったような程度で、これは加害者の名前を取って、"1フォールズ"という単位系で後に呼ぶことにする。
そして、1フォールズの脳内爆弾を掻き分けて聞き取れるのは、「…ええ不躾ですけれど、あんまり考え無く思い出そうとなされてます様なので、その際には貴方の手前勝手な破滅にワタシを巻き込むという、その点だけご留意頂きたくて…」という部分だけだった。
ノーの欠片 三月 @sanngatu
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