第31話

「リーディ様のお願いとは、アンドリューズ様に関すること……ですね」

 お会いしたいのでしょう。

 そう言われて、息を飲む。

「……どうして」

 兄に関する相談を、一度もしたことはない。だから彼に言い当てられるとは思わず、呆然としたようにそう呟いていた。戸惑いの視線で自分を見つめるリーディに、クレイは優しい笑顔を向ける。

「リーディ様のお考えくらい、わかります。他の誰よりも長く、あなたの傍にいたのは私とノースです。もちろん、あの漆黒の剣士よりも」

「クレイ……」

 兄のことで少し気まずくなっていたとはいえ、クレイもノースもずっと傍にいてくれた、大切な幼馴染なのだ。それなのに、リーディは彼らを信じることができなくなっている。

 だから、相談できなかった。

 リーディが何もかも打ち明けたのは、湊斗。もしクレイが知ったら、父にすべてを話してしまうのではないかとすら、考えていたのだ。

 そのことに、リーディは深く罪悪感を抱く。

「ごめんなさい。わたしは……」

 動揺してそう謝罪するリーディに、クレイは穏やかな声で言った。

「リーディ様が気になさることではございません。最初にリーディ様の信頼を裏切ったのは、私達のほうです」

「でもそれは兄様の命令だったのでしょう?」

 クレイとノースは兄の命令に従っただけだ。

 アンドリューズの側近として。

 王家を去ることになった兄の対する、最後の忠誠として。

「そうだとしても、リーディ様を騙していた事実は変わりません。それに、むしろアンドリューズ様のことよりも、私が王配候補に立候補したことが原因ではありませんか?」

「……っ」

 そう尋ねられて、リーディは思わずクレイから視線を反らした。

 彼の言う通りだった。

 クレイとノースが自分に真実を隠していたことも、たしかに衝撃的だった。でもそれは兄の最後の命令だったのだからと、割り切ることはできる。

 でもクレイが自分を愛していたこと。そして王配候補に名乗り出たことによって、もう以前と同じような関係には戻れないと思ってしまった。

 愛していると言われて、もちろん嫌だったわけではない。

 それでもずっとクレイのことは、もうひとりの兄のように思っていたのだ。だからリーディの胸にあったのは、戸惑いだけだった。

「本当に、わたしの考えていることがよくわかるのね」

 ここまで言い当てられては、取り繕っても無駄だと悟る。

 そんなリーディの心境をよくわかっているのか、クレイはただ優しく言うだけだ。

「はい。だからリーディ様が戸惑われていることは、よくわかっていました。そして国王陛下から王配に命じられたとしても、リーディ様のお気持ちが変わるはずがないということも」

 それなら何故、兄の命令でもないのに自ら申し出たのか。

 その理由を、クレイは静かに語る。

「それでも私は、愚かにも諦めきれなかった。国王陛下の御命令ならば、そして国のためなら私を選んでくれるかもしれないという打算があった。そして、やれることはすべてやり、これでも駄目ならようやく諦められると、そう思ったのです」

「クレイ」

 湊斗に対して淡い恋慕のようなものは抱いていたが、まだリーディには恋というものがわからない。だからクレイがこんなにも深く、激しい想いを抱いてくれているなんて思わなかった。

「わたし、あなたにひどいことを……」

 リーディは俯く。

 そしてその想いを断ち切ろうとしている彼を、引き留めてしまった。

 愛することができないのに、兄のように傍にいてほしいと願ってしまった。

 それはとても残酷なことだ。

 泣き出したリーディを、クレイとノースが左右から慰めてくれる。

「泣かないでください、リーディ様。私達は嬉しかったのですから」

 ふたりの話を静かに見守っていたノースが、そう言って優しい笑みを浮かべる。

「嬉しい?」

「ええ。湊斗様と理佐様がいれば、私達はもう不要だと思っていました」

「不要だなんて。ふたりはわたしの、大切な幼馴染なのに」

 リーディはクレイとノースの手を取って、しっかりと握り締める。

「そんなことを思わせてしまって、ごめんなさい。わたしには、これからもふたりが必要なの。だからお願い。ずっと傍にいてほしい」

「承知しております」

「もちろんです、リーディ様」

 そう言うと三人はしっかりと抱き合った。

 これからの未来は、不安だらけだった。でも、クレイとノース、そして湊斗と理佐がこうして傍にいてくれる。支えてくれる。それなら、こんな自分でも王太女という重荷にも耐えられるのではないか。

 リーディはようやく、そう思えるようになっていた。

「ありがとう。我儘ばかりで、ごめんなさい」

 こうしてすぐに泣いてしまう癖も、直さなくては。そう決意するリーディを甘やかすように、ふたりは優しく笑う。

「私達の前では、何も取り繕う必要はありません」

「そうです、リーディ様。こう言っては何ですが、今さらですから」

 ノースの言葉には、リーディも困ったように笑うしかなかった。

「それで、アンドリューズ様の居場所は」

「湊斗が知っているわ。もうしばらくはそこにいるはずだけど、その後は遠くに行ってしまうかもしれないと言っていたの」

「そうですか」

 クレイはかつての主に思いを馳せるように、目を細めた。

「それならば、急がなければなりませんね」

 そんなクレイとは裏腹に、ノースはすぐに湊斗様を呼んで参りますと言って部屋を出て行った。

 きっとこれからの打ち合わせをするためだ。クレイはそんなノースを見送り、そっと溜息をつく。

 あまり湊斗と顔を合わせたくないのかもしれない。どう声を掛けたらいいのか迷っていると、そんなリーディの様子を察したのか、彼は大丈夫だと告げてくれた。

「御心配は無用です。彼とは、これからも色々と協力していかなければならないことは、よくわかっています」

 本当にクレイは、リーディのことをよくわかっている。考えを言い当てられて、少しだけ恥ずかしくなる。

「ノースが戻ってきたようですね。では、これからのことを話し合いましょう」

 そう言われて顔を上げると、ちょうど扉が開いてノースと湊斗、そして理佐が姿を見せた。

「みんな、ごめんなさい。わたしの我儘のせいで」

「謝ることはないよ。兄に会いたいって思うことは、我儘なんかじゃないもの」

 理佐がそう言ってくれた。そして湊斗もクレイも、ノースも同意するように頷いてくれた。

「ですが、リーディ様。最初に言っておきますが、今回のことは特例です。目的がアンドリューズ様に会うためで、護衛が漆黒の剣士だからこそ、可能なことです。今後はこのようなことはないように、お願いいたします」

「ええ、わかっているわ。クレイ、兄様のことで苦労していたものね……」

 思わずそう労ってしまうくらい、彼の顔は緊迫していた。

 ほとんど王城にいなかった兄のことを思い、リーディは彼を安心させるように微笑む。

 それから五人で念入りに打ち合わせをして、リーディが不在の間のことを決めていく。

 父とは帰国してからはそう頻繁に会っていなかったから、よほどの緊急事態でもない限り、リーディがいないことに気付かないだろう。

 だから不在の間、リーディは数日籠りきりで勉強を続け、その後少し体調を崩して寝込んでしまったことにする。そして病床の父を気遣って、連絡しないでほしいとクレイに頼む。他の侍女達への対応はノースと理佐が、貴族にはクレイが対応してくれることになった。

 クレイは兄の側近に過ぎなかったが、それでも彼は王配候補として父に認められているため、かなりの権限があるらしい。リーディに会うにも彼を通さなければならないらしく、もしかしたらそれも見越して、クレイは王配に名乗り出てくれたのかもしれない。

「お兄ちゃんの役割が一番重要なんだからね。絶対に、リィを守ってね」

 理佐がそう言うと、湊斗はもちろんだと力強く頷いた。

「この剣、そして今まで築いてきた人脈。すべてを使ってリーディを、必ず守るよ」

 キマリラ王国、そしてセットリア王国がどう動くかわからない。

 けっして楽観視できるような状態ではないが、漆黒の剣士と呼ばれたほどの湊斗がここまで言ってくれるのだ。リーディは深い信頼を込めた瞳で、湊斗を見つめた。

「ありがとう、湊斗」

 その信頼を心地よさそうに受け止めて、湊斗は大丈夫だと頷く。

「アドリュがいつまであの町にいるかわからない。出発は、早い方がいいだろうね」

「そうですね、それでは今夜にでも。手筈は整えておきます」

 湊斗の言葉に同意したクレイは、リーディを見つめた。

「リーディ様、どうぞお気をつけて」

 穏やかな視線に、リーディも笑顔を向けた。

「ええ。クレイには色々と迷惑をかけてしまうけれど、よろしくね」

 こんなふうに穏やかな関係に戻れたことが嬉しい。穏やかに見つめ合うふたりの傍では、ノースが安心したように微笑んでいる。

 準備があるからと湊斗は早々に部屋をあとにした。リーディも旅の支度をしなければならないので、ノースとともに部屋を出る。残った理佐とクレイは、ふたりの不在を誤魔化すために、これから打ち合わせをするようだ。

 リーディは手早く旅支度を整えると、緊張した面持ちで夜を待った。打ち合わせを終えてやってきた理佐やノースが緊張を和らげようと、色々と話をしてくれる。

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