第26話

「愉快な話ではないが、これからイリス王国とリーディを守るために必要なものだ。それを聞けば、俺が帰れない理由もわかる」

「……わかった。聞かせてもらう」

 湊斗は少しだけ躊躇ったが、そう答えるとアンドリューズの向かい側に座った。

 それを確認して、彼は話し始める。

「セットリア国王がリーディに執着していた理由。それはリーディが、イリス王国の血を引く唯一の王女だからだ。あの男はリーディを利用して、イリス王国を丸ごと手に入れようと画策した。そのために停戦を持ち掛け、リーディに結婚を申し込んだ」

 さきほどもアンドリューズは、リーディのことをイリス王国唯一の王女と言った。

 それは単に、娘はリーディしかいないからだと思っていた。

 だが今聞かされたセットリア国王の企み、そして何よりも視線を反らしたまま語るアンドリューズの姿に、湊斗は無意識に両手を強く握り締めていた。

 これ以上、聞きたくない。

 それでもリーディを守るために必要なら、知らなくてはならない。

 覚悟を決めて顔を上げた湊斗に、ようやくアンドリューズが視線を合わせる。

「二年ほど前、俺はキマリア王国の密偵がイリス王国を探っているという噂を聞き、その真相を調べていた。あの国は好戦的だから、また何かよからぬことを企んでいるのかと思ったからだ」

 キマリラ王国は軍事国家であり、いつもどこかの国と争っているような好戦的な国だった。湊斗もその国を旅したときのことを思い出し、眉をひそめる。

 殺伐とした雰囲気に、暗い顔をした国民たち。長居することもなく、早々にその国をあとにした。

「だが、あの国が探っていたのは俺のことだった」

「アドリュのことを?」

「ああ。その理由が知りたくて、こちらからも色々と探ってみた。密偵を捕えてみたり、裏社会から情報を買ったりしてな」

「……わかっていたけど、王太子のすることじゃないな」

 そう言って呆れたように笑うと、アンドリューズも少しだけ笑みを浮かべる。

「それまで散々やっていたから、今さらだ。それでわかったのは、どうやら俺の出自には疑いがあるらしいということだ」

「……」

 何となく、予想していた言葉だ。

 だが実際に聞いてみるとつらくて、湊斗は視線を背ける。

 そんな湊斗に優しい視線を向けると、アンドリューズは言葉を続けた。

「イリス国内では聞いたこともない噂だ。裏社会にも出回っていない。それをどうしてキマイラ王国が掴んでいるのか、慎重に探った。半年くらいかかったが、ようやくひとりの女性に辿り着いた。それは昔、イリス王国で侍女をしていたという女性だった」

 アンドリューズはその女性が、たしかに自分の母の侍女であったことを確認していた。最初の王妃の侍女であった彼女は、イリス王国の王妃がある騎士と恋をして子どもを授かったと証言しているという。

「その子どもが、どうやら俺らしい」

 淡々と話すアンドリューズとは反対に、湊斗は動揺していた。

「王妃の侍女になれるなら、その女性だって身分の高い貴族だろうに」

 どうして他国で、そのような密告をしたのか。

「それがどうやら悪い男に騙されて、身を持ち崩したようだ。それが今ではキマリラ王国で、貴族よりも裕福な暮らしをしている。俺の情報は随分と高く売れたようだな」

 そしてキマリラ王国が掴んだ情報を公表したとき、証言者として表に出てくるのだろう。

「でも、そんな証言ひとつで他国の王太子を陥れることなんて……」

 その女性を買収すれば、偽の証言をさせることも可能になる。

 湊斗がそう言うと、アンドリューズも頷いた。

「ああ。ひとつの証言だけですべてを決めるのは早計だ。そこで俺は、その王妃の恋人だった騎士の消息を探した」

 女性の証言が本当ならば、それはアンドリューズの本当の父になる。

「見つかったのか?」

 湊斗が慎重に尋ねると、アンドリューズは首を振る。

「いや、それらしい人物を探し当てたが、もう亡くなっていた。だが、その妹に会うことができた。彼女は俺を見るなり泣き崩れて、兄によく似ていると、そう言ったよ」

「……でも、それだって」

 偽物かもしれない。そう言いたかった。

 だがアンドリューズの表情は、その女性と会ってみて、自分がイリス国王の子どもではないと確信したようにみえた。

 その妹――叔母と対面して、血の繋がりを実感したのだろうか。

「彼女はこの話は誰にもしないと言ったが、もし俺が即位するようなことになれば、キマリラ王国はすぐにでも公表するだろう」

「でも、何のためにそこまで……」

 アンドリューズが廃嫡されても、それがキマリラ王国の得になるとは思えなかった。

「国の混乱に乗じて攻め込むつもりか?」

「いや、あの国にはもっと確実な切り札がある。イリス国王の祖母があの国の出身で、過去にキマリラ王国にもイリス王家の女性が嫁いだこともある。王家の血がまったく流れていない俺よりは、よほどイリス王家に近い者もいるだろう。リーディが他国に嫁いだあとに、そんな人をイリス王国に送り込んで、国王にする。そうすれば、戦争よりも確実な方法で、イリス王国の利権を握れる」

 アンドリューズがイリス国王をもう父とは呼んでいないことに気が付いて、湊斗は複雑な心境になる。

「キマリラ王国もセットリア王国も、それぞれイリス王国を狙っていたのか」

 リーディが他国に嫁いだあと、イリス王家の血を引く者を国王にして、利権を握ろうとしていたキマリラ王国。

 そして唯一の王女であるリーディを妻にしたあと、両国の統合を目論んでいたセットリア王国。

「ああ、そうだ。イリス王国は豊かな国だ。キマリラ王国もセットリア王国も、農作物があまり育たない国で、国民の生活も厳しい。だから、イリスをどうにかして手に入れようと思っていたのだろう。先に行動したのはセットリア国王だ。和平を条件にイリス王国にリーディとの婚姻を申し込めば、イリス国王は承知しないわけにはいかない。あのときはまだ俺のことも、しっかりと裏が取れていなかった」

「そんな状況でこっちから和平を断れば、向こうにイリス王国を攻める口実を与えてしまう、か」

「そういうことだ。だから一度、リーディをセットリア王国に向かわせるしかなかった」

 イリス王家の唯一の王女を、敵国に向かわせるしかなかった。そう言ったアンドリューズの顔は苦渋に満ちていた。

 そしてリーディと同時にアンドリューズも国を出た。

 三カ月後に国王の病気を公表してリーディを呼び戻すことは、そのときからもう決まっていたらしい。

「ディスタ公爵の動きと漆黒の剣士の存在は予想外だったが、お陰でリーディを楽に連れ出すことができた。一度婚約したことで、イリス王国が戦争を望んでいるわけではないことも証明されただろう。ノースはよく動いてくれた」

 イリス王国とアンドリューズを繋ぐ連絡役はノースだった。アンドリューズはリーディの前に姿を現す前から、警備兵としてセットリア王国の王城に侵入していたらしい。

「それじゃあ、リーディが聞いた噂っていうのも」

 理佐にセットリア国王が夢中になっているらしいという噂を聞いて、リーディはそれを確かめに行ったと聞いた。

「もちろん嘘だ。俺がノースにそう伝えてもらった」

「……利用したってのは、そういうことか」

「ああ。リーディを安全に匿うには、誰も簡単に手を出すことができない漆黒の剣士の傍が最適だと思った」

 リーディだって、これから結婚する相手に愛人がいると聞けば気になる。今はある程度自由に動けるが、結婚してセットリア国王の王妃になってしまえば、自由などまったくなくなる。

「リーディならば好奇心だけではなく、いまのうちに王城の動きを把握しておきたいと思うはずだ。そして妹が見つかったと聞けば、漆黒の剣士も必ず現れると思っていた」

 そうして湊斗はリーディと出逢い、彼女に惹かれてその守護者となった。

「全部、アドリュの計画通りってことか。ということは、イリス国王はすべてを知っているのか?」

「もちろん知っている。その疑いを初めて聞いたときから報告してきた。リーディが無事にイリス王国に戻れば、俺と前王妃の名をイリス王家から抹消することも決まっている。俺はもう二度とアンドリューズという名を名乗らないこと。そして国外追放とまではならなかったが、イリス王国の王都には立ち入らないことを誓った。俺はもう、リーディに会いに行くことはできないんだ」

 だからアンドリューズは湊斗に自分の本当の名を名乗らず、ただアドリュとだけ言ったのだ。

「そんな、抹消とか追放とか……。アドリュが悪いわけじゃないのに」

 思わずそう言うと、アンドリューズは寂しそうに笑う。

「仕方がないことだ。俺の存在は、イリス王国を滅ぼすきっかけになってしまうかもしれない。国王として正しい判断だ。リーディには苦労をかけてしまう。だがリーディなら、俺よりもずっと良い王になるだろう」

「これからどうするんだ?」

「国が落ち着くまでは、しばらくこの辺りにいる。リーディがお前とクレイのどちらを選ぶか、楽しみにしているよ。そのあとは……。どこか遠くの国に行くかもしれないな。だから頼む。俺の代わりに、リーディの傍にいてやってくれ。……湊斗」

 最後に請うようにそう言われ、湊斗は言葉を失う。

 自分の存在が、争いのもとになってしまう。

 だからもう戻れない。

 リーディにも会うわけにはいかないという彼の決意を、とうとう動かすことができなかった。

 今度こそ、アンドリューズは部屋を出ていく。

 湊斗は止めることができずに、彼の姿が扉の向こうに消えるまでただ見送るしかなかった。

(リーディ。必ず連れて帰ると約束したのに……)

 果たせなかった自分に、彼女は失望するだろうか。そう考えて、湊斗は首を横に振る。

 リーディは誰かに失望したりしない。

 悲しみも苦しみに静かに受け入れて、前に進もうとするだろう。自分にできるのは、そんな彼女を支えることだけ――。

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