第27話
◆◆◆
湊斗が旅立ってから、リーディはぼんやりと部屋で過ごすことが多くなっていた。
このまま本当に王太女になるのなら、これから覚えなければならないことがたくさんある。それなのに、何も手につかない。
今日も朝から、何度も窓の外を見つめて溜息をついていた。
そんな様子のリーディを、ノースは心配そうに見守っている。
だが彼女もまた、アンドリューズの命を果たすためとはいえ、リーディを騙してしまった罪悪感を抱えていて、浮かない表情だった。
(ノース……)
ずっと一緒にいた、幼馴染。
彼女の姿をそっと盗み見て、また深い溜息をついてしまう。
リーディの結婚が決まったとき、ノースは迷いなく付いていくと言ってくれた。それがどんなに心強かったか。彼女のことは、今ても主従関係ではなく友人だと思っている。でも兄が戻れば、ノースもクレイとともに王城を離れてしまうかもしれない。
(イリスに戻ったらすべてを説明すると言っていたのに。その約束さえ、守ってくれないなんて)
兄を恨みたくはないが、今抱える悩みごとはすべて兄の行動のせいだ。湊斗が連れてきてくれたら、今度こそ真実を話してくれるまで詰問しなければ。
そう思いながら、リーディはようやく窓辺に置かれていた椅子から立ち上がる。いつまでもこうしてはいられない。
ちょうどそのとき、部屋を訪れた侍女に父が呼んでいると告げられた。
「お父様が?」
話ができるくらい、体調が良くなったのだろうか。体調を心配しながらも、ノースを従えて急いで父の部屋に向かう。
ノースはいつものように父の部屋の中で待機しようとしたが、父はノースにも一緒に入るように促した。さらに部屋の中に入ると、そこにはクレイの姿もあった。
父とクレイ、そしてノース。
彼らは一様に暗い顔をしていて、不吉な予感が胸をよぎる。あまり良い話ではないのかもしれない。
そして父は、寝台の上に身体を起こして座っていた。
三ヶ月前に比べると、白髪が増えてしまったように思える。やはり兄のことが心配なのだろう。でも、湊斗がきっと兄を捜し出してくれる。そうすれば、父も安心するに違いない。
そう思っていたリーディは、父に座るように促されてそれに従った。
「……リーディ」
「はい、お父様」
「アンドリューズを探しているらしいな」
「……」
湊斗がリーディの願いを叶えるために王城を出たことを、父はすでに知っていた。
リーディはどう答えたらよいのかわからずに、迷う。
クレイやノースのために、王城ではなく町に連れてきてほしいと言ったのに、父が知れば兄を呼び戻してしまうかもしれない。
思わずクレイとノースを見ると、ふたりはどこか諦めたような顔をして頷いた。
もう隠しても無駄なのだろう。
「はい。わたしが、湊斗に依頼しました」
正直にそう答えると、父の顔が険しくなる。今まで一度も見たことがないくらい、厳しい表情だった。
「お父様?」
「お前がこの国に戻った時点で、アンドリューズの存在は抹消された。もう二度と王都に足を踏み入れることはない」
「え……」
父が何を言っているのか理解できず、リーディは呻くような声でそう言うと、呆然として父の姿を見つめた。
「お父様、どうしてお兄様にそのようなことを」
「兄ではない。お前には最初から、兄など存在していなかった」
「……」
父の言葉はやつれた外見からは考えられないくらい強く、リーディはこれ以上言葉を返せずに息を呑む。
廃嫡ならまだしも、存在を抹消するなどただごとではない。
父は、どうしてそこまで兄を排除しようとしているのか。
助けを求めるようにクレイを見つめると、彼は小さく頷いて、父に近寄った。
「陛下、リーディ様はまだ何も知りません。私から、すべて説明いたします」
クレイの言葉に父は頷くと、先ほどまでの勢いが嘘だったかのように力なく目を閉じた。ノースがそんな父に手を貸して、寝台に横たわらせる。
ノースはその場に残り、リーディはそのままクレイとともに父の寝室を出る。
「クレイ……」
「驚かれたでしょう。申し訳ありません。私のほうから最初にすべてを説明するべきでした」
父があんなに激高するとは、クレイも思っていなかったのだろう。
「私の知ることをすべて、お話いたします」
そう言ったクレイの顔は、あのときの兄のように切なげだった。
知るのが怖かった。
あの兄が、クレイが、そんな顔をするほどの事実。でも、もう逃げることはできない。リーディは決意を込めるように両手を握り締め、頷いた。
「ええ。この国で起こったことをすべて、わたしに教えてください」
ふたりはそのまま、近くの客間に入った。
誰も使用しないこの部屋でも、いつでも使えるように侍女達がいつも掃除をしてくれているので、居心地良く整えられている。
少し疲れたリーディは、すぐに長椅子に座る。そしてその向かい側にクレイが座った。そしてすぐに、彼は話を始める。
「もうおわかりかと思いますが、ノースもまた、アンドリューズ様の命を受けて動いておりました。王城のできごとを、私はノースを通してアンドリューズ様に伝えていたのです」
「それで兄様はすべてを知っていたのね」
「はい。そしてリーディ様のご様子もすべて、アンドリューズ様はご存知でした」
だから兄は、最初の襲撃のあとすぐに、リーディのもとを訪れたのだろう。だがノースは、兄にリーディの手紙のことを伝え忘れてしまった。そこでまず、リーディは兄に不審を覚えたのだ。
「兄様はわたしを守るために、セットリア王国に?」
「いえ、リーディ様を連れ戻すためです。最初からそのために、アンドリューズ様は王城を出たのです」
「連れ戻す……ため?」
リーディとセットリア国王との結婚に、兄は最初から反対していた。だが、まさかリーディを連れ戻すために、あの国に乗り込んでくるとは思わなかった。
「リーディ様の前に現れるよりも前から、アンドリューズ様はセットリア王国に潜んでいました。そして理佐様と湊斗様を利用しようとしているセットリア側の人間の企みに気付き、それを逆に利用してリーディ様を帰国させようとしたのです。ノースの伝えた噂は、アンドリューズ様が仕組んだことです」
「わたしが王城に忍び込むきっかけになった、あの噂は兄様が?」
思えばたしかに、あんなに噂が広まっていたと聞いていたのに、理佐も国王も互いの顔も知らなかった。
「セットリア国王は、理佐を利用して湊斗の力を取り込もうとしていた……。それを兄様が、わたしを帰国させるために利用した、ということ?」
「いえ、セットリア国王ではなく、彼の側近であるディスタ公爵という男の企みでした。リーディ様を湊斗様に襲わせたのも、その男です」
兄はディスタ公爵の動き、そして湊斗と理佐の存在さえ利用していた。
最初の襲撃もディスタの手の者で、理佐と湊斗を利用しようとしたのも彼ならば、セットリア国王は最初から何も関与していなかったことになる。だからリーディが帰国するときも、戻って来るようにと言ったのだろう。
「セットリア国王は、何も関与していなかったの?」
「この件に関しては、そうです」
彼が原因ではなく、その側近の企みだとはっきりとわかっていたら、リーディは婚約破棄をしてまで帰国しようとは思わなかった。セットリア国王がすべての元凶だと思ったからこそ、国に帰らなければと急いで行動した。
「そこまでして、兄様はわたしを帰国させたかったのね。それは……。わたしに王位を継がせるため?」
その問いかけに、クレイは静かに頷いた。
予想していた答えだ。そうでなければ、兄は三か月も前から消息を絶ったりしないだろう。
「理由は……」
さらに問いかけようとして、リーディは言葉を切り、自然に唇を噛み締めていた。
不可解なことだが、今まで兄は一度も王位を継がない素振りを見せたことがないのだ。城下に頻繁に出ていたのも、最初は国民の暮らしを見るためだったと聞いている。
それがなぜこんなに急に、失踪をするまでに至ったのか。
理由はまったくわからないが、セットリア王国でアンドリューズが見せた憂い顔を考えると、良い話だとは思えない。
それでも前に進むために、リーディは聞かなくてはならなかった。
「兄様が、そこまでした理由は何ですか?」
知りたくないと逃げ出したくなる気持ちを強い意志で制して、クレイに問いかける。
彼もまた、すぐには話せない様子で、何度も話しかけては言葉を切った。だがようやく心を決めたのか、静かに語りだす。
「それはキマイラ王国が、アンドリューズ様さえ知らなかった出生の秘密を嗅ぎつけたからです」
「……兄様の、秘密」
嫌な予感がした。
先ほどの父の、お前には最初から兄がいなかったという言葉が残酷に蘇る。
「それは何ですか?」
聞きたくなかった。
これを聞いてしまえば、もう後戻りはできない。
でも逃げることはできない。リーディは兄が失踪した理由を知らなくては前に進めないのだから。
クレイも、自分が話すと言ったときに、もう覚悟を決めたのだろう。ただ淡々と、残酷な真実を語る。
「王妃陛下は、国王陛下ではない方に恋をしてしまいました。そして、とうとう子どもを身籠ってしまったようです。それが……。アンドリューズ様です」
「!」
アンドリューズの母はかなり身分の高い貴族だか、王族の血を引いていない。
王位を放棄したのではなく、王位を継ぐ資格がないと知り、兄は王城を出たのだ。
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