第24話

◆◆◆


 リーディの頼みでアンドリューズを探すことになった湊斗は、その日のうちに城を後にした。

 この世界に迷い込んでから、もう二年。

 最初に辿り着いたセットリア王国から逃げ出してからは、ずっと大陸中を彷徨っていたようなものだ。

 旅には慣れていた。

 まず、他国の貨幣を両替屋でこの国のものに変えてもらうと、それで携帯食や備品などを購入する。

(一応、地図も買っていくかな)

 隣国であるセットリア王国で暮らした経験はあるが、このイリス王国に足を踏み入れるのは初めてだった。

 地図を買うべく雑貨屋に入ると、薬草の強い匂いが漂ってきた。

 どうやらこの雑貨屋の自慢は回復薬らしく、カウンターの奥にたくさんの薬草が干されているのが見えた。価格を見ると、この品質の薬にしては随分と安価だ。

 湊斗は入り口に積まれていた地図を一枚手に取ると、カウンターで回復薬を山ほど注文している男の後ろに並ぶ。飛ぶように売れていく回復薬は、湊斗の番になるともうひとつしか残っていなかった。

 それを見て、後ろに並んでいた子どもが息を呑んだ。

 きっとその回復薬が必要なのだろう。

 湊斗はちらりとその子どもに目を走らせると、地図だけを買い求める。子どもが嬉しそうな声で薬を注文しているのを聞きながら、雑貨屋を出た。

(俺には、必要のないものだからな……)

 湊斗はどんな怪我を負っても、放置しておけばすぐに回復していく。致命傷に近い傷を負っても、即死でなければ時間をかけて元通りになるのだ。それは以前倒したことのある、ドラゴンの血を浴びてからそうなった。

 疲れすら、感じることはなかった。

(ドラゴンの血とか、向こうでも小説とかゲームでよく聞く話だったけど。まさか本当にそうなるなんてなぁ……)

 そのせいで、漆黒の剣士などと呼ばれ、恐れられる存在になってしまった。

 だが湊斗はたまたまこの世界に迷い込んだだけで、召喚されたわけではない。

 神の手違いで死んだわけでもなく、倒すべき魔王もいない。

 少しだけ、その名声を持て余していたのだ。

(というか、あの呼び名はちょっと恥ずかしいんだけどね……) 

 だが、リーディの傍にいるために必要ならば、躊躇いなく利用していくつもりだった。

 リーディの父であるイリス国王に対面したとき、湊斗はこの国に仕官したいと申し出ていた。

 どんなに請われても脅されても、けっしてひとつの国に留まろうとしなかった漆黒の剣士の申し出に国王は驚き、その理由を尋ねてきた。それに湊斗は迷うことなく、リーディがいるからだと答えたのだ。

(あのときの反応から考えると、見込みはありそうだな)

 その返答を聞いた国王は、湊斗に娘を守ってやってほしいと頭を下げようとしていた。一国の王に頭を下げさせるわけにはいかないと慌てて止めたが、その言葉には力強く頷いた。

 出逢ったときは妹の侍女だったのに、気が付けばリーディは、いずれこの国の女王になる立場になっていた。

 貴族どころかこの世界の住人でもない湊斗には、とても手の届かない高嶺の花だ。

 それでも諦めるつもりはなかった。

 手の届く場所まで、自分が登り詰めればいい。働き次第では、この国の出身ではなくとも騎士に任命されることもあるようだ。

 だが、まずリーディの願いを叶えることが先決だ。

 アンドリューズを探さなければならない。

 彼がどうして失踪したのか、原因は湊斗にもわからない。裏社会でのツテを利用すれば何か掴めたかもしれないが、それよりは直接、本人に尋ねたほうがいい。

 リーディは、アンドリューズが思っているほど弱くない。

 兄の言葉を自分で聞き、納得したのなら、きっと前を向いて進んでいく。

(理佐を二年も待たせてしまった俺が、言うことじゃないかもしれないけど)

 突然いなくなってしまった湊斗を、理佐は二年も待っていた。

 奇跡的な偶然でこの世界で再会することができたが、そうでなければ今も理佐は待ち続けていたに違いない。

(でも俺には、理佐の人生を勝手に決めるなって言っていたじゃないか。この世界に残るのも、もとの世界に戻る方法を探すのも、ちゃんと理佐の意見を聞いてからにしろって。それなのに、何も言わずにリーディの傍を立ち去るなんて)

 湊斗もまた、アンドリューズに言いたいことがあった。

 だからこそ、リーディの願いを叶えなければならない。

 王都を出るとすぐ、地図を開いた。

(国境の近くにいくつか町がある。ここを当たってみるか)

 仲間を助けにセットリア王国の城に戻ると彼は言っていたが、おそらくもうあの国に留まってはいない。

 もし自分が、事情があって理佐と離れることになったとしたら、きっとすぐに立ち去ることはできない。せめて妹の様子を聞くことができればと、しばらくは少し離れたところから見守ると思う。

(だからたぶん、用事が終わればすぐにこの国に戻ってくる。まだそんな時間が経過していないから、いるとしたら国境近くの町だ)

 途中でいくつかの町に寄り、それらしき者がいないか情報を探す。


 五日ほどは、何の情報もなく過ぎてしまった。

 それでも国境の近くでは一番大きな町で、セットリア王国から帰国したばかりの女剣士がいると聞くことができた。

 容貌を聞くと、おそらくリーディの侍女に扮して離れに残った女剣士のようだ。

 湊斗はすぐに、彼女がいるという町の酒場に向かう。

 酒場と言っても、王都から遠く離れたこの町はのどかなものだ。昼間から酒場にいる連中も、旅人や地元の者が多い。

 そんな中、剣士の姿をしたその一行はとても目立っていた。

 女がひとり。男がふたり。

 三人とも剣士のようだ。

 きっと彼らが、アンドリューズに雇われていた剣士だ。機嫌よく酒を煽っている様子なので、報酬を貰って別れたばかりかもしれないと期待する。

 湊斗はまっすぐに、彼らのもとに向かった。

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

 急に話しかけてきた湊斗に彼らは怪訝そうな顔をしたが、紅一点の女剣士が湊斗の顔を見て声を上げる。

「え、まさか漆黒の剣士?」

 女剣士の言葉を聞いて、他のふたりにも緊張が走る。

「その名前はちょっと恥ずかしいから、普通に湊斗って呼んでくれると助かるんだけどな……」

 だが湊斗は照れたような笑みを浮かべて、彼らに尋ねる。

「アドリュがどこにいるか、知らないか? ちょっと用事ができて、探しているんだ」

 彼らは雇われた剣士で、きっと詳しい事情は知らない。

 だからこう聞いても、警戒はされないはずだ。そう思って単刀直入に尋ねると、予想通りに彼らはあっさりと答えてくれた。

「アドリュなら、キニスの町に向かったよ。今朝別れたばかりだから、急げば追いつけるんじゃないかな?」

「そうか。じゃあそこに向かってみるよ。ありがとう」

 そう礼を言って、さらに店主に彼らの酒代を支払い、すぐに町を後にした。

(キニスか。……そう遠くないな)

 歩きながら地図を開き、場所を確認する。急げば夕方には到着するだろう。

 湊斗は地図をしまうと、目的地に向かって歩き出した。

 街道を歩くと、予想していたよりも旅人が多いことに気が付く。

 剣士もいるが、一番多いのは行商人だった。こんな国境近くの町にまで商人が行き交うということは、王都より遠く離れた町に住む人間でも、経済的に豊かである証拠だろう。

 思っていたよりもずっと、イリス国王は良い王のようだ。

(でもそれを継ぐリーディは、大変なんだろうな)

 湊斗には、クレイのように女王となったリーディを補佐する力はない。国のことを一番に考えるのなら、リーディはクレイを選ぶ。

 だが、望んだものではなかったが、湊斗には漆黒の剣士としての名声と実力がある。これを利用して、何とかリーディの役に立ちたい。

 まだイリス国王も、リーディ自身も迷っている。

 ならばまだ、猶予はあるはずだ。


 キニスの町に辿り着いたのは、もう夕刻に近い時間帯。 

 規模はそう大きくないが、活気づいた町だった。

 石畳で舗装された大通りの両脇には屋台が立ち並び、旅人達で賑わっている。道を進みながら覗いて見ると、串焼きの肉や飲み物などを売っているようだ。

(この町にはおそらく、冒険者の組合支部があるな)

 最初に見たときはまるでゲームのようだと思ったが、この世界には剣士などが所属して依頼を請け負う冒険者組合がある。その支店は世界中にたくさんあって、それがある町は人通りも多く賑わっているのだ。

 前の町で出逢った剣士達は、組合を通して依頼を受けたと言っていた。

 ならばアンドリューズも、依頼人として完了の報告のために支部に立ち寄ったに違いない。

 湊斗は周囲を見渡しながら歩いた。

(あった。あれか)

 二本の剣が交差している組合のマークを見つけ、そこに急ぐ。

 木造の扉はかなり年季が入っていて、力を込めないと開かない。それを押し開くと、受付の女性がにこりと笑みを浮かべてこちらを見ていた。きりっとした顔立ちの若い女性だ。

「こんにちは。依頼をお探しですか?」

「いや、人を探している。アドリュという男が来なかったか? 背が高くて、髪は金色。年は俺と同じくらいだと思う」

 そう尋ねると、にこやかに微笑んでいたその女性の雰囲気が変わった。鋭い目をして、湊斗を見上げる。

「どんな要件ですか?」

 少なくとも彼女は、アドリュがどういう人物なのか知っているらしい。

「湊斗が会いに来たと言えば、わかるはずだ」

「!」

 そう告げると、彼女はびくりと身体を震わせた。

 こういった場所で、驚いた相手に大声で名前を呼ばれてしまうことがある。だが、この女性はそういう迂闊さとは無縁だったようだ。

「わかりました。すぐにお伝えします。申し訳ありませんが、奥の部屋でお待ち下さい」

 この言葉に頷き、従業員以外の立ち入りが禁止されている扉を開いて部屋に入った。

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