第23話

「俺がいない間、理佐を頼む」

「ええ、もちろん」

 扉の向こうに消えようとした彼の姿に、リーディは思わず声をかける。

「湊斗」

「ん?」

 扉から顔だけ出して、湊斗はリーディの呼びかけに答える。

「……ごめんなさい。こんなことを頼んでしまって」

「大丈夫。言っただろう? 俺は何があってもリーディの味方だって」

 湊斗そう言って笑顔を見せると、今度こそ立ち去っていく。リーディは座り込んでしまったノースに手を貸して、立ち上がらせる。

「……申し訳ありません、姫様」

 アンドリューズを、無理に王城に連行するのではないと知って、ノースは少し安堵した様子だった。

 疲れ果てた様子の彼女を今日はもう休ませ、リーディは理佐と部屋を出る。

 理佐を客室まで送り届けた。

「ごめんなさい、理佐。湊斗に、あんなことを頼んでしまって」

「ううん。お兄ちゃんも、リィのためにできる限りのことをしたいんだと思う」

 そう言って励ましてくれた理佐に礼を言い、そのまま城の最上階にある部屋に向かった。湊斗の腕の中で泣きたいだけ泣いた、あの場所だ。

 リーディはその部屋の窓辺に近寄ると、そこから城下の様子を眺める。

 まだ昼過ぎ。

 遠目にも、町は多くの人で賑わっているのが見える。

(湊斗はもう、王都を出たのかしら……)

 ぼんやりとその様子を眺めながら、そんなことを思う。湊斗ならば、けっして失敗することはないだろう。

 たとえ相手が兄でも――。

 鬱屈とした思いを吐き出すように、リーディは深くため息をついた。

 あれほどまで知りたいと願った真実に、辿り着くのはもう時間の問題だというのに、心が晴れない。

(本当にこれでよかったのかしら……)

 自分で選ぶということは、こんなにも苦しいものなのかと思う。だがこのまま兄と別れてしまったら、きっとこれよりも苦しい後悔を何度も繰り返すことになる。

(湊斗を巻き込んで、ノースまで泣かせてしまって。それでも知りたいとわたしが望んだのだから、どんな結果でも受け止めないと)

 だがまだ湊斗は出発したばかりだし、ノースもいない。少しだけここで、心を落ち着かせよう。

 そう思ったとき。

「こんなところにいらしたのですね」

 ふと、背後から声がした。

 ここはたまに侍女が掃除するくらいで、普段から誰も訪れない場所だ。そう思い込んでいたリーディは、突然かけられた声に驚いて振り返った。

 部屋の入口に、いつものようにきっちりと騎士服を来たクレイが立っている。

「クレイ……」

 彼はどこか思い詰めたような目をしていた。先ほど休ませたノースに、湊斗に兄の捜索を依頼したことを聞いたのかもしれない。

「入ってもよろしいですか?」

「ええ」

 彼ともきちん話をしなければ。

 そう思っていたリーディは、すぐに頷いた。

 ここならば人払いをする必要もない。クレイは部屋の中に入ると、少し離れた場所で立ち止まった。

「妹から聞きました。湊斗様に、アンドリューズ様を探すように依頼されたようですね」

 予想していたよりもクレイは落ち着いていた。

 湊斗が動いたのならば、もう止めようがないと思ったのか。

 静かな声で尋ねられた言葉に、リーディは頷く。

「ええ。兄様のことだから、きっとこうしたのも事情があったのだと思う。でもわたしは、後悔したくないの。前に進むためにも、ちゃんと真実が知りたいから」

 まだ迷いはあったが、どんな道を選んでもそれが消えることはないとわかった。ならば、迷いも後悔も抱えて前に進むしかない。

 リーディの強い意志を感じ取ったのか、クレイはわずかに笑みを浮かべた。

「そうですか。あの湊斗様ならば、そう長くはかからないでしょう。その前に、お話したいことがあります」

 すべてを隠し、リーディも偽ってきた彼が、今になって何の話をするのというのか。わずかに警戒するリーディに、クレイは言葉を続ける。

「リーディ様が探していると聞けば、アンドリューズ様はすべてを明らかになさるでしょう。その前に、お伝えしたいことがあるのです」

 そう静かに語るクレイは、いつも兄の傍にいたあの頃のように穏やかな顔をしていた。彼もまた何かを決意したのかもしれない。

「伝えたいこと?」

「私の犯した罪の話です」

「罪?」

 驚いて聞き返すと、クレイは頷いた。

「国王陛下が、あれほど漆黒の剣士である湊斗様に興味を持たれるとは思いませんでした。それで焦ってしまい、愚かにも私はアンドリューズ様から託された願いを果たせなかった」

「兄様の願い……」

 兄は何を望んでいたのか。

 何をしようとしていたのか。

 それを、クレイは知っていたのだろう。

「そうです。アンドリューズ様は今も、リーディ様をまだ頼りない子どものように思っているところがあります。ですから、もう傍に居られないと思ったとき、代わりにリーディ様を守る者が必要だと思われた」

 リーディは国境で兄と別れたとき、子どものように頭を撫でられたことを思い出した。

(兄様)

 あの手の感触を、いまでも覚えている。

「それが私と、湊斗様です。ですが、私は……あなたに選ばれたかった。湊斗様を出し抜いて、あなたを手に入れようと動いてしまった」

 その言葉で、父が急にリーディの夫を決めた理由を理解する。

 クレイが王配候補になったのは、彼が望んだからだ。

 最終的に決定するのは父だろうが、たしかにクレイほどの者ならば、望めば王配候補にもなれるだろう。

「託された願いを果たすためだと言い訳をして、あなたを得たいという自分の欲を満たそうとしたのです。その結果、アンドリューズ様の計画さえも破綻させてしまった」

 それが私の罪です。

 クレイは静かにそう言った。

「……どうしてそこまで?」

 彼が王配という地位に、権力に執着しているとは思えなかった。それに忠実な臣下だったクレイにとって、アンドリューズからの命令は、他の何よりも優先させるものだったはずだ。

 思わずそう尋ねると、クレイは切なそうに目を細めた。

「私はあなたを愛していたのです。もうずっと前から」

「クレイ……」

 恋など知らなかったあの頃なら、とても信じられなかったかもしれない。

 でもその切ない感情を、欠片とはいえ知ってしまった今のリーディにはわかる。

 クレイは幼い頃から、リーディが窓から見つけた花を欲しいと言えばその日のうちに届けてくれた。成長してからも、兄と父の間に挟まれて苦労していたリーディを、いつも優しく労わってくれていた。

「見てはならない夢でした。リーディ様の婚約で一度諦めたこの想いを、私は叶えたいと願ってしまいました」

 叶わなかった願いを思うクレイの瞳は不思議なくらい落ち着いていて、リーディは言いようのない不安を抱えていた。

「命令を違え、あなたを守るよりも自分の望みを優先してしまった私を、アンドリューズ様は許さないでしょう。そしてアンドリューズ様の願いを叶えるためとはいえ、ずっと主を偽っていた妹も許されないことをしました。もう私達には、ここにいる資格はない」

 そしてリーディの不安はすぐに現実のものとなる。クレイとノースは王城を立ち去るつもりなのだ。

(そんな……)

 幼い頃からずっと、当たり前のように傍にいてくれたふたり。

 リーディがあのままセットリア王国に嫁いでいたら、ノースはともかくクレイとはもう会えなかったかもしれない。

 こんなふうに終わるくらいなら、あのまま別れたほうがよかった。

 それでもクレイの気持ちに答えられないからこそ、愛を告げたまま去ろうとしている彼を、ひどいと詰ることもできない。

 兄を恨みたくはない。

 でも理由がわからない今、兄のせいで大切だった幼馴染をふたりも失うことになってしまったと思ってしまいそうだ。

 せめて兄が戻るまで待ってほしい。

 そう懇願すると、クレイは切なそうに目を細めながらも、リーディの願いを承知してくれた。

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