第5話

「もっと暖かい服装をしたほうがいいかもしれません」

 着替えを探そうと衣装棚を開けると、そこにはまるで王族ものかと思うような豪奢なドレスが並んでいる。

 思わず溜息が漏れた。

(こんなにたくさん。セットリア国王は、どういうつもりなの?)

 理佐の話から察すると、ふたりは面識がないはずだ。それとも、気を失っていた理佐を見てひとめぼれでもしたのだろうか。

 その美しいドレスを見ながら、思わずため息が出る。

(わたしには、贈り物ひとつなかったのにね)

 くらべても仕方がないとわかっている。

 それでも、王妃になるリーディには何の心遣いもみせない国王が、短期間でこんなにたくさんのドレスを理佐のために用意したのかと思うと、少しだけ複雑だった。

 ぎこちない手つきで着替えを手伝い、理佐が着ていた、見たこともない服を丁寧にたたんでいると、部屋の扉が早急に叩かれた。

 その乱暴な音に、リーディは顔をしかめる。

 理佐はまだ着替えたばかりで、身支度を整えていない。それを告げようとして、リーディは扉に近づく。

「お待ちください。まだ理佐様は……」

「理佐っ!」

 近寄って声をかけた途端、扉が乱暴に開かれた。

「きゃっ」

 飛び込んできた人物にいきなり抱き締められ、リーディは悲鳴を上げる。

「あれ、理佐じゃない? 理佐は?」

 頭の上から聞こえてきた声は、若い男性のものだった。抱き締められたまま上を向くと、理佐と同じ黒い髪が見えた。

「え? まさかその声、もしかしてお兄ちゃん?」

「理佐!」

 黒髪の若い男性は、リーディを腕に抱いたまま、部屋の中央に視線を向ける。

「ほ、本当にお兄ちゃん? どうしてここに……」

 理佐の呆然とした声が耳に入り、我に返る。

「あ、あの……」

「まさかお前までこの世界に来てしまうなんて。……でも、会えてよかった」

「お兄ちゃん。会いたかったの。ずっと探していたんだから」

 会話を聞く限り、どうやら先ほど行方不明だと理佐が言っていた兄のようだ。

(兄妹なの?)

 リーディはそっと、彼の様子を伺う。

 大柄ではないのに、その細い身体はかなり鍛えられているのがわかる。

 腰には長剣。どうやら剣士のようだ。若いようにみえるが、十八歳だという理佐の兄ということは、リーディの兄と同じくらいの年齢だろうか。

 髪も服装も、長剣の鞘もすべて黒い。そして鎧は身につけていなかった。頑丈そうなブーツもまた、黒だ。

(この国の人間ではなさそうね)

 理佐と同じような黒髪、濃い茶色の目。肌もこの国の人達と比べると、少し色が濃いように思える。

「……あの」

 再会を喜んで抱き合う兄妹に、リーディは静かに語りかける。

「離していただいても、よろしいでしょうか?」

「あっ……、ご、ごめん!」

 理佐の兄は慌ててリーディを離し、勢いよく頭を下げた。

「連絡を受けて慌てて、確かめもせずにいきなり、その、ごめん」

「いえ、あの、そんなに謝っていただくと、かえって申し訳ないのですが……」

 リーディは、必死に謝り続けているその男性を見つめた。

 男性に抱き締められるなんて初めての経験だったが、彼があまりにも恐縮して謝り続けるので、驚きや羞恥よりも困ったような笑みが浮かぶ。

(兄様よりは年下に見えるわ。気さくそうな方だし)

 何度も謝る彼に、リーディは微笑み、尋ねる。

「理佐様の、お兄様なのでしょうか?」

 彼は、その問いにようやく顔を上げてリーディを見た。

「うん、そう。俺は湊斗。理佐の兄だ。妹よりも二年くらい前に、この世界に来たんだ。それからは剣士をしながら各国を放浪している。……まぁ、その、漆黒の剣士、なんて恥ずかしい名前で呼ばれることもあるけど」

「え……」

 漆黒の剣士。

 その名はあまりにも有名で、リーディも当然、知っている。

 呆然として、目の前に立つ湊斗を見つめる。

 そして、どこかで聞いたような気がした言葉の意味も、思い出していた。

(日本という言葉。たしか、漆黒の剣士の出身地だという話を聞いたことがあった。まさか彼が、あの漆黒の剣士だなんて!)

 剣を志す者は大抵、どこかの国の騎士団に属している。けれど中には、どの国にも所属せず、流れ者となっている剣士もいる。

 わずか二年で大陸中にその名を轟かせた漆黒の剣士もまた、流れ者だった。

 背は高く、鍛えられた体躯をしている。その剣は力強く、斬れないものなどないと聞く。ある国に魔物が出たときは、その国の騎士団が何日もかけて戦い、結局失敗した魔物の討伐をたったひとりで成し遂げたそうだ。そしてどんな怪我を負っても、女神の加護によりたちまち癒えてしまうのだと噂で聞いたことがある。

 仲間も連れず、ただひとりきりで放浪を続ける孤高の剣士。

 兄のアンドリューズが一度手合わせをしてみたいものだと、目を輝かせて語っていた名前。

 それが漆黒の剣士だった。

「……あなたが、あの」

 目の前に立つ男が、急に恐ろしく思えて、リーディは表情を強張らせた。

 イリス国には兄がいたから、魔物や盗賊の討伐で彼の手を借りたことはない。だから彼に会うのは初めてだった。

 震える声でそれだけを呟いたリーディに、湊斗は笑みを向ける。

「セットリア国王から連絡をもらって、急いで駆けつけたんだ。この目で見るまでは半信半疑だった。でも、間違いなく理佐だ。……もう会えないと思っていたのに」

 愛しげに、妹の髪を撫でる優しい兄の姿。

 感動的な、兄妹の再会。

 だが彼女はこの、漆黒の剣士の妹なのだ。

(……まさか)

 衝撃の事実を前にして、リーディは両手を固く組み合わせる。

 どこの国にも属さない、最強の剣士。

 でもその妹が、セットリア国の王妃になったとしたら。

 リーディは、再会を喜び合うふたりの姿を見つめる。

 それはとても美しい光景だが、その背後にはセットリア国王の陰謀が見える気がする。湊斗は、せっかく会えた妹ともう離れることなど考えられないだろう。

(セットリア王の狙いも、もしかしたらそのあたりにあるのかもしれない) 

 隣国との同盟と、漆黒の剣士。

 どっちが重要なのか、リーディにだってわかる。

 セットリア国王の目的は、ひとりで国家騎士団と同じくらいの戦闘力を持つ彼の力を、自国の戦力にすることだ。

 そんな力を手に入れたとしたら、もう仇敵であるイリス国と和解する必要などなくなる。

 それどころか、漆黒の剣士がセットリア王国の所属になったというだけで、従う国もあるかもしれない。

 彼は、それくらいの力を有しているのだ。

(じゃあわたしを襲撃したのは……)

 今までセットリア王国の人間だと思っていたが、違うのかもしれない。

 リーディが邪魔になったのなら、ただ婚約を解消するだけでいい。

 その後釜に座るのが漆黒の剣士の妹ともなれば、父だって文句は言えなくなる。

 両国の間には決定的な亀裂が走るだろうが、セットリア王国は大陸すべてを制することができるほどの力を手に入れるのだ。

(だから、まず襲撃は別件だと思っておいたほうがいいわね)

「ええと、そういえば君は?」

「失礼いたしました。わたしはリィと申します。理佐様の身の回りのお世話をさせていただいております」

 慌てて名乗ると、彼はしばらくリーディを見つめている。何か不審に思われただろうか、と警戒した途端、彼は笑顔を見せる。

「そうか、ありがとう」

 その無邪気にも見える笑顔に、リーディもようやく息を吐く。

(とりあえず、疑われてはいないようね)


 漆黒の剣士は、しばらくこの城に滞在することになったらしい。

 あれから彼は、毎日のように理佐のもとを訪れる。

 二年も離れ、もう二度と会えないと思っていた妹に会えたのだから、それも仕方のないことだろう。

 理佐はリーディを気に入ったらしく、食事やお茶の時間も一緒に過ごそうと誘ってくれる。

 自分は侍女なのでそれはできないと断ったが、侍女長からリーディの願いはすべて叶えるようにと命令されてしまっては、もう断ることはできない。

(それにしても、侍女って忙しいのね)

 ノースのような仕事をすれば良いと軽い気持ちで考えていたが、理佐の世話をする侍女はリーディひとりしかいない。

 朝から、着替えの準備に朝食の手配。

 昼は彼女が退屈しないようにとあれこれ気を配り、夜は浴室の準備から夕食、そして就寝まで、そのすべてを手配しなければならなかった。

 夜になったらノースのところに報告に行こうと、毎晩のように思っている。

 それなのに慣れない生活で疲れ切っていて、部屋に戻るとすぐに眠りに付いてしまう。

 気が付いたら朝になっていたということを、数回繰り返してしまっていた。

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