第4話
「でもチャンスだわ。彼女の傍にいれば、誰がどんな目的を持って彼女を利用しようとしているかわかるかもしれない。それにわたしなら、この国の人達に顔を知られていないもの」
「……ですが」
ノースは最後まで渋っていたが、リーディは半ば強引に押し切った。
それにこの婚姻がきちんと成立すれば、リーディはこの国の人間となる。
知識だけで実際は何も知らずに暮らすよりも、誰がどんな風に権力を握り、どんな野望を持っているのかを知るには、良い機会だろう。
「身元を調べられると都合が悪いから、兄様に連絡していろいろと裏工作してもらうわ。そういうの、兄様は得意そうだから。たまに様子を見に来るから、そのときに情報交換しましょう」
身分を隠して忍び込むのは、兄の得意技だ。きっとこの国にも、自分達の知らない伝手があるに違いない。
「それにもう少し侍女を増やしてもらわないと。ノースひとりでは、対応できないこともあるかもしれないから、できれば剣も使える人がいいわね」
それも兄に頼めばすぐに手配してくれるだろう。
机に座り、手早く兄に宛てた手紙を書く。
いつも身軽に動いている兄は、その分行動も早い。きっと父に伺いを立てるよりもずっと早く、新しい侍女を選んで送ってくれるだろう。
ノースはしばらくおろおろとしていたが、やがて覚悟を決めたのか、深い溜息を付く。
「リーディ様は……。やはりアンドリューズ様の妹でいらっしゃいますね。本当に、よく似ていらして……」
「そ、そう? 兄様ほど弾けているつもりはないけど……」
書き終わった手紙を封印しながらその言葉に逆らってみたが、返ってきたノースの溜息の深さに、それ以上反論することができなくなってしまう。
「探ると言っても、あの部屋に来る人の様子を伺うだけよ。自分から動いたりしないわ。なにせ、命を狙われているかもしれないもの」
神妙な顔をしてそう言うと、その言葉でようやくノースは安心したようだ。
「今回の襲撃、セットリア王国側には報告しますか?」
「まだ隠しておくわ。誰が敵なのかわからないから。護衛をつけるなんて言われても信用できないし、言わないほうがいいわ」
「わかりました。どうぞお気を付けて」
ノースが無理に止めないのは、やはりこの部屋にいるのが一番危険だとわかっているからだろう。
兄への手紙を彼女に託し、周囲に気を配りながら、リーディは王城に戻った。
王城に住む侍女には、専用の寮がある。
だがあれが本当に王妃の部屋ならば、いつでも用があれば駆けつけられるように、近くに侍女用の小さな部屋があるだろう。
部屋から持ち出した簡単な身の回りの品――リーディのものは侍女が持つには豪華すぎるので、ノースのものを借りた――を鞄に入れ、警備兵に侍女の部屋の場所を聞く。すると、すぐに案内してくれた。
あの侍女長からもう通達があったのか、不審に思われた様子はなかった。
「ここね」
宛がわれた部屋は侍女のものにしては広く、清潔に整えられている。リーディがセットリア王国の王妃になれば、ここはきっとノースの部屋になるはずだ。
(無事にそうなれたらの話だけどね)
リーディは少ない荷物を置いて、部屋の中を見渡してみる。
窓が大きく、太陽の光が部屋の中を明るく照らしていた。
清潔で綺麗に整えられており、居心地は悪くはなさそうだ。
簡単に身の回りを片付けてから、さっそくあの少女の部屋に向かった。
「ええと、お茶を入れるのは何とかなるし、着替えだって今まで手伝ってもらっていたことを、そのままやれば……」
扉の前に立ち、いまさらながら仕事の内容を確認する。
高貴な身分の女性に仕える侍女は、そんなに雑用をする必要はない。主が心地良く暮らせるように心を砕き、環境を整えるのが一番大切な仕事だ。
それに関して、ノースは完璧な侍女だった。いつも傍にいてくれた彼女と同じようにすれば、きっと大丈夫だろう。
よし、と小さく呟いて、リーディはすぐそばにある昨日の部屋に向かった。
「失礼します」
扉を叩いて中に入ると、あの黒髪の少女はぼんやりと窓の外を見ていた。振り向いた顔には、昨日よりも少し落ち着いた色がある。
「あなたは誰?」
「わたしは……、ええと、侍女のリィと申します」
咄嗟に偽名を告げる。
さすがに隣国の王女の名を、そのまま言うわけにはいかない。
「リィさん? わたしは、理佐です」
彼女はそう名乗ると、少し首を傾げる。
何の用事なのか、知りたいのだろう。
「理佐様のお世話係に任命されました。何なりとお申し付けください」
「え? わたしの?」
彼女は驚いた様子だったが、やがて頭を下げてこう言った。
「色々とお世話になると思うけど、よろしくお願いします」
そう言って、勢いよく頭を下げた。昨日と違ってその顔は明るく、怯えたような様子はもう見られない。
「落ち着かれたようですね」
そう言うと、彼女は恥ずかしそうに笑った。
「……ええ、昨日はちょっとパニックになっちゃって。騒がせてしまって、ごめんなさい」
理佐は、恥ずかしそうに笑う。
貴族のような優雅さはないが、それでも明るくて元気な彼女に、リーディも好印象を持った。
セットリア国王も、こんな明るさに惹かれたのだろうか。
「まず、お茶を煎れますね」
そう言って、リースの手つきを真似て、お茶を煎れる。
「理佐様は、どうしてこちらに?」
そうしながら話をよく聞いてみると、理佐は気が付いたら近くの森の中に倒れていたらしく、誰が助けてくれたのかも知らない様子だった。
目が覚めた途端、強引にこの部屋に連れてこられたかと思うと、初老の老人に色々と問い詰められ、そのせいで昨日は怯えていたらしい。
(恋仲どころか、セットリア国王の顔も知らないようね。それなら、どうしてあんな噂が広がったのかしら……)
理佐を問い詰めた初老の男というのは、きっと宰相のディスタ公爵と言う男だ。
この国に来たとき、セットリア国王の代理として対面したことを思い出す。なかなか腹黒そうな、油断ならない人物だった。
(噂を流したのも、もしかしたら……)
勘でしかないが、あの男なら何か企んでいそうだと思う。
もしそうだとしても、何も知らない様子の理佐に罪はない。偽りの侍女とはいえ、せめて不自由しないように勤めようと、リーディは思った。
(ノースが聞いたら怒りそうね)
自分の地位を脅かそうとしている女性相手に、呑気すぎるのかもしれない。
でもリーディは、いざとなれば婚約を解消して祖国に帰るつもりだった。あの襲撃だけでも充分、その理由になるだろう。
(わたしを襲ったのは誰なのかしら。国に帰るにしても、その前に少しでもこの状況を探っておかないと)
慣れない手つきでお茶を淹れ、理佐に渡す。礼を言って受け取った理佐は、お茶を一口飲むと、小さく溜息をついた。
「それにしても……。まさか異世界に来ちゃうなんて思わなかったなぁ……」
「異世界、ですか?」
森で国王に会ったと聞いてはいたが、彼女の素性は知らなかった。リーディが首を傾げてそう聞き返すと、理佐はこくりと頷く。
「うん。わたし、この世界の生まれじゃないの。上手く説明できないんだけど……。ここじゃない、別の世界から来たの」
「別の世界?」
思わず敬語も忘れてそう問いかけてしまったが、理佐は気にした様子もなく、むしろ不安そうにリーディを見上げる。
「急に異世界なんて言われても、やっぱり不審に思う……よね。でもわたし、本当に違う世界から来たの」
「いえ、理佐様のお言葉を疑っているのではありません」
慌てて否定して、理佐に微笑みかけた。
「理佐様のご家族の方が心配なさっているのでは、と思ったのです」
このような少女が家に帰らなければ、きっと心配しているだろう。取り繕ったのではなく、本当にそう思った。
でも理佐は首を振る。
「わたし、ひとり暮らしだったから。両親はもういないし、お兄ちゃんも行方不明になってしまったの。だから、それは大丈夫」
「……そうですか」
年端もいかぬ少女が、ひとりで生きていくのは大変だっただろう。リーディがそう思ったのがわかったのか、理佐は明るく言う。
「わたしだってもう十八だし、ひとりで何でもできるもの」
「え? じゅ、十八?」
侍女にあるまじきことだが、またしても驚いた声が出てしまう。
見た目からして、もっと幼いと思っていた。そんな反応も彼女は慣れている様子で、肩をすくめて笑う。
「日本人って幼く見えるってよく聞くけど、異世界でもそうなのね」
日本。
その言葉をどこかで聞いたような気がした。リーディは必死に思い出そうとしてみるが、すぐに思い出せない。
(わからないわ。兄様なら、何か知っているかもしれない)
あとでまた、兄に手紙でも出して聞いてみよう。
そう思っていると、理佐が小さくくしゃみをした。
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