第3話

「ここで何をしているのですか?」

 女性にしてはやや低い声でそう問われ、リーディは頭を下げる。

「申し訳ありません、まだ慣れないもので、部屋を間違えてしまったようです。……失礼いたします」

 隣国の王女の侍女と名乗るには、場所が悪すぎる。咄嗟に、部屋を間違えて迷い込んだ侍女を装う。この場さえ逃れられたら、きっと何とかなる。

 そのまま謝罪をして、部屋を出ようとした。

 だがその場を立ち去ろうとしたリーディを、彼女は呼び止めた。

「待ちなさい。昨日、新しい侍女が大勢入りましたが、あなたはそのひとりですね?」

 この状況で違うとは言えず、リーディは頷いた。

「はい、その通りです」

 誰とも正式に対面していないこの状況では、誰もリーディを隣国の王女だと見抜く者はいないかもしれない。それでも、イリス王国の王女がこんな場所に忍んでいたと知れたら大変だ。

(はやく戻らないと)

 このまま彼女と入れ違いに部屋を出て、ノースのところに戻ればいい。

 それで終わるはずだった。

「あなたを彼女の世話係に任命します。いいですね?」

 侍女長はリーディを呼び止め、そう告げる。

 まさか通りすがりの侍女に、国王が執心している女性の世話を命じるとは思わなかった。

 言葉に詰まって、返答もできない。

 あまりにも予想外で、そして最悪の展開だった。だがこの場で、侍女長の命令を断ることなどできないだろう。

「承知いたしました」

 仕方なくリーディはそう答え、そのまま彼女に連れ出されて部屋を出た。

(どうしよう。まさかこんなことになるなんて)

 迂闊な自分を責めたが、ここで逃げるとかえって大事になってしまう。廊下に出ると、侍女長は軽く咳払いをして向き直り、声を潜める。

「……彼女のことは知っていますか?」

「いいえ。本当にただ、ここに迷い込んでしまっただけなのです」

 噂話をしていた侍女ならばともかく、昨日来たばかりの者が王城の事情を詳しく知るはずがない。だからそう答えると、彼女は満足そうに頷いた。

「それでいいのです。くれぐれも、余計な詮索はしないように。ですが彼女は、とても大切なお客様です。失礼のないように、きちんとお仕えするのですよ」

「……はい」

 リーディはその後ろ姿を見送り、思案する。

(何だかおかしいわ。国王が惚れ込んだ女性の侍女に、通りかかっただけの新参者をつけるのかしら?)

 大切なお客様というわりには、あんなに怯えているのにひとりきりで放って置いているのもおかしい。何だか、表沙汰にはできないような深い事情があるように思える。

 王城内に伝わっていた噂。

 そしていずれリーディが入るはずの王妃の部屋に、ひとりきりで放置されていた年若い女性。

(何だか嫌な予感がする)。

 リーディは振り返り、黒髪の女性がいる部屋を見つめた。

 このまま自分の居場所に戻り、すべてを成り行きに任せてしまっても良いのだろうか。

 それとも侍女に指名されたのを利用してあの女性の傍に残り、誰がどんな思惑を持っているのか、自分の目で確かめるべきなのか。

(兄様なら、一瞬も迷わずに真相解明に乗り出したでしょうね……)

 イリス王国の王太子である兄の顔を思い浮かべ、リーディはこんなときなのに、思わず笑みを浮かべた。

 四歳上の異母兄はあまりにも行動的すぎて、王になる者として相応しくないと父に廃嫡されそうになった経緯の持ち主だ。

 兄の母である前王妃は、兄を生んだあとすぐに病没している。

 だがリーディの母である二番目の王妃が、父と兄が衝突するたびに何度も取りなしていた。その母もリーディの婚約を前にして亡くなり、もう兄を止められる者はいない。

 城下を単独で歩くのは、もはや日常。

 周囲の者が誰も知らぬ間に、盗賊退治の軍に加わったり、このセットリア王国との国境での争いに参加したりと、武勇伝には事欠かない。

 だが王になる者としては軽率な行動であり、兄の行動のせいでイリスは周囲の国から甘く見られるようになったのだと、父はいつも嘆いている。その上、王女であるリーディまで侍女の真似事をしたと知れば、怒りのあまり倒れてしまうかもしれない。

 ここはやはり大人しく、成り行きに任せたほうが賢明だろう。

 そう結論を出し、周囲の視線を気にしながら部屋に戻る。

 王が連れ帰った女性を見たいと思った、その希望は叶えられたのだから。


 あいかわらず警備兵は入り口にしかいない。それでも来たときと同じように用心しながら、離れに戻る。

 幸いなことに、誰にも見つからずに部屋に戻ることができた。

 だが、帰ってきたリーディを迎えた侍女のノースは、とても厳しい顔をしていた。

 最初は、わがままを言って王城に忍び込んだリーディに、怒っているのだと思った。だが彼女はリーディをみると、安堵したように表情を綻ばせる。

「姫様。御無事だったのですね」

「……ノース? どうしたの?」

 よく見てみれば、他の侍女達の様子もおかしい。気丈にしてはいるが、どこか怯えているように見える。

 何があったのかと部屋を見渡してみれば、椅子やテーブルが倒れ、祖国から持ってきたお気に入りの茶器が砕け散っていた。

 ただごとではないと、すぐに察した。

「何があったの?」

「……姫様がこの部屋を出てしばらくしたあと、何者かがこの部屋を襲撃しました。鍵を壊した形跡もありませんでしたから、手引きした者がいたのかもしれません」

 ノースは落ち着いた静かな声で、そう説明してくれた。

 侍女だけではなく、数人の護衛もイリス王国からリーディに付き従ってきていた。だがここは王城の敷地内なので、ずっと扉の前で見張っているわけではない。リーディが住まう離れにはいくつもの部屋があり、警備兵達はその部屋の中にいることが多いのだ。

 それを知っていたのか、侵入者は物音を立てずに静かに、扉から忍び込んできたらしい。

 そして襲撃されたとき、王女の振りをしてこの部屋にいたのはノースだった。

 彼女はただの侍女ではない。騎士の家系に生まれた娘として、護衛の訓練も積んでいる。それが幸いだった。

「侵入者は?」

「ひとりでした。覆面をしていましたが、背の高い男性でした」

 ひとりだからこそ、ノースでも撃退することができたのだろう。

 それでも相手が手段を選ばずに本気で命を奪おうとしてきたら、彼女だけでは難しい。多少の嗜みはあっても、ノースも貴族の子女であり、リーディの兄のように戦場で通じる剣ではない。

「誰が真犯人なのかわからない以上、姫様がここに留まるのは危険かもしれません」

 王女のための豪奢なドレスを纏ったまま、ノースはどこか思い詰めたような顔をしてそう言った。

 リーディほどの輝きはないが、それでも充分に美しい金色の髪が窓から入ってきた陽光を照らして輝いている。ぼんやりとその煌めきを見つめながら、リーディはさきほど会った黒髪の少女を思い出していた。

「……」

 この部屋を襲撃した犯人が誰だとしても、その狙いはこの婚姻を壊すことだ。

 きっと、命まで奪うつもりはないのだろう。

 隣国の王女がこの国で殺されたりすれば、小競り合いだけでは終わらない。おそらく、大規模な戦争になる。

 この国の王も、そこまでは望んでいないだろう。

(でも本当に、イリス国の王女は歓迎されていないようね)

 政略結婚なのだから、覚悟していたことだ。

 しかも相手は長年の友好国ではない。苦労することも、身の危険があることもすべて承知して、この国に来た。

 だが憂い顔のノースは、リーディがこのままこの国に滞在することには反対のようだ。

「姫様、わたしは身代わりとしてこの国に残ります。ですからすぐに、イリスにお帰り下さい。事情をすべてお話すれば、あとは国王陛下が良いようにして下さるでしょう」

「そんなの駄目よ。あなたを置いていけないわ」

 覚悟を秘めた彼女の言葉を、リーディは即座に首を振って否定する。

「いいえ、姫様に付き従ってきたときから、命をかけて姫様をお守りする覚悟はできています。ですから……」

「嫌よ」

 だがリーディは誰の陰謀なのか、そして何の目的かもわからないのに、友人でもあるノースを身代わりにするような真似はしたくなかった。

「それに王城を抜け出してイリスに帰るにしても、誰が何を企んでいるのかわからないままでは、お父様だって動きようがないわ」

 そして誰が味方かもわからない状態で、他の人間に頼るのはとても危険だ。

「そうだわ」

 ふとリーディが思い出したのは、あの黒髪の女性の侍女に任命されたことだ。身元を隠し、情報を得るには最適なのかもしれない。

「わたしは王城に潜んで情報を集めるわ。ノースには、このまま身代わりを続けて欲しいの」

 さすがに王城の隣にあるこの建物を、何度も襲撃したりしないだろう。

 すでに一度失敗している。おそらく以前よりも慎重になるはずだ。

「ですが姫様、王城に潜むなんて」

「ちょうどいい方法があるの」

 不安顔のノースにリーディは、国王が保護した女性に会ったこと、そして侍女長が漏らした言葉とその侍女に命じられたことを告げる。

「何と言うことでしょう。イリス王国の王女であるリーディ様に、得体の知れない女性の侍女になれとは!」

 憤りを隠そうともしないノースを、慌てて宥める。

 あの侍女長も、自分がイリス王国のリーディであると知らないからそう命じたに過ぎない。

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