第2話

「……どんな人なのかしら。王城に行けば会えるかもしれないわね」

「姫様?」

 ノースの顔が青ざめる。

 兄に比べるとおとなしいとはいえ、リーディも自らの目で確かめたがる性質である。

 それを思い出し、そんな話をしてしまったことを後悔しているのだろう。

「ご結婚なさる相手に、このような噂があるのはとても不安だと思いますが……」

 慌てて宥めようとするノースに、リーディは首を振る。

「わたしだってこの結婚が政略結婚だということはわかっているし、これからの結婚生活に夢はもっていないわ。だからこそ、気になるの」

 気になること。

 それは、セットリア国王の思惑。

「噂が広がっているということは、わたしに聞こえても構わないと、向こうが思っているからよ。そうでなければ厳重に口止めをしているはず。だって、セットリア王国にとっても重要な結婚が一年後に控えているのよ?」

「それは……。たしかに、そうですね」

 頷くノースに、リーディは続ける。

「いくら王城の人間が敵国の王女だったわたしを嫌っていても、長い間続いていた戦乱がようやく終わろうとしているのよ。もうこれ以上争いを続けたいと思う人は、この国にだっていないと思っていたわ」

 婚姻は、セットリア王国から請われたものだと父が言っていた。

 だが、長年の争いの傷跡はどちらも小さくはない。イリス王国側でも停戦を望んでいた。

 それでもセットリア国王が、結婚前に別の女性に入れ込んだことによって婚約破棄となったとしたら、さすがに温厚な父も黙ってはいないだろう。

「これからの両国の未来を変えてしまうかもしれない。だから気になるの。それが、どんな女性なのか」

 青ざめるノースを身代わりに仕立て、リーディは侍女の服装に着替える。

「姫様……」

「大丈夫。すぐに戻るわ。そんなに心配しないで」

 訪れる者もいない離れのことだ。王女がほんの少し留守にしたとしても、誰も気付かないだろう。

 だからこそ、こんな大胆なことを思いついた。

 この離れでリーディに仕えている者はすべて、祖国のイリスから連れてきた者ばかり。だがここは王城と同じ敷地にあり、侍女の制服も王城にいる者と同じものになっている。そしてさきほどのノースのように、王城に赴く用事もある。

 もし警備兵に見つかっても、イリス王女に仕えている侍女だと言えば、そんなに疑われることもないだろう。

「ごめんね、ノース。すぐに戻るから」

 そう言い残すと、リーディは王城に向かって歩き出した。

(それにしても……)

 いつものノースなら、もっと強く止めるはずだ。

 思っていたよりもあっさりと抜け出せたことに拍子抜けしたような気持ちになる。

 でも、敵国での暮らしに彼女もまた、色々な不安を感じているのかもしれない。だからこそ、真実を知りたいという気持ちがノースにもあった。

 そう解釈することにした。

 この国に来てから、離れの建物の外に出るのは初めてだった。不自然にならないように気を付けながら、左右を見渡す。

 王城なんて、どの国も同じような造りだと思っていた。

 それでもこのセットリア王国の王城は祖国のものよりも小さめで、敷地内にリーディが住んでいるような離れがいくつかあるようだ。

 そして広大な庭園を含めた広い敷地は、向こう側が見えないほど高い塀で囲まれ、出入り口は厳重に警備されている。

 だが敷地内ならば、警備兵に呼び止められることもなく歩き回れる。

 この王城のすぐ近くにいくつも建てられている離れは、昔のセットリア国王が、愛人とその子どもたちを住まわせるために建てたものらしい。

 そんな場所をリーディの部屋に指定した国王にノースは憤っていたが、リーディはまだ、敵国という認識しかなかった国の王城に住むことに抵抗があったから、好都合だった。

(でも、国王が連れ帰った女性が王城に住んでいて、わたしが離れの建物だなんてね……)

 リーディは立ち止まり、振り返って自分が住んでいる建物を見つめた。

(これでは、どっちが正妃候補なのかわからないわね)

 思わずため息が出た。

 もうすぐ冬を迎えるセットリア王国は、生まれ育ったイリス王国よりもかなり寒い。吹く風の冷たさに身を震わせ、リーディは歩き出した。

 冷たい空気に、吐く息も白くなる。

 もう一枚上着を持ってくればよかったと思いながら、目的の王城に辿り着いた。

 正門には警備兵がいるが、使用人が出入りする裏口には誰もいないようだ。そこから入ると貯蔵庫があり、その奥には調理室がある。周囲を伺いながらそこを抜けると、西側にある王族の居住区域に辿り着いた。

(この辺りだと思うけど……)

 周囲を見渡すと、ひとりの侍女が大きな贈り物の箱を抱えながら、ある部屋に入っていくのがみえた。

(贈り物?)

 もしかしたらあの部屋かもしれない。

 リーディはその侍女が退出してから、周囲を伺う。

 他に誰もいないことを確認すると、足音を潜ませてその部屋に近寄った。音を立てないようにゆっくりと扉を開け、部屋中に素早く身を滑り込ませた。

(ふう……。兄様と子どもの頃で遊んだときのことが、こんなところで役立つなんてね)

 王城を駆け回って遊んだ幼い頃のことを思い出して、少しだけ顔を綻ばせる。

 そうして息を潜めて、見事な細工が施された調度品の合間から顔を覗かせた。

 すると小柄な人影が見えた。

(あの人かしら?)

 この辺りでは滅多に見かけない黒髪は艶やかで長く、肌は白い。大きな瞳は潤んでいて、華奢な身体はまるで小さな猫のように震えていた。

 国王が夢中になっていると聞いたときには、男を誑かすような妖艶な美女を想像していた。だがその細い身体つきを見るかぎり、まだ少女といってもいい年齢なのかもしれない。

 もとから怯えていたその少女は、部屋の中の空気が変わったことにすぐ気が付いたのだろう。振り返り、リーディが潜んでいた方向に小さく呼びかける。 

「だ、誰か……いるの?」

 怯えているような弱々しい声だった。

(どうしよう。すぐに気付かれるなんて)

 すぐに部屋から逃げようとしたリーディは、この部屋の内装がとても豪華なものであることに気が付いた。豪華な調度品はすべて価値のある年代物で、広さもかなりある。足もとには、柔らかな白い絨毯が敷かれていた。

 そして壁には、セットリア王国の国旗が飾られている。

 広さといい、部屋の豪華さといい、ただの客間にはみえない。

(ここって、まさか……)

 リーディは部屋の壁にあるその国旗を見て、眉をしかめる。

 王族のための居住区にある、広くて美しい部屋。そして国旗。

 おそらくここは、セットリア王国の王妃のためのもの。セットリア国王は、この部屋にリーディよりも先に、まだ幼ささえ感じるこの少女を入れたのだ。

(……噂は事実のようね)

 リーディはそっと溜息を付く。

 いくら政略結婚だと割り切っていても、これから嫁ぐはずの相手が他の女性に夢中になっているかもしれないという事実が、リーディの胸に重くのし掛る。

 この結婚は、お互いに不幸になるだけなのかもしれない。

 セットリア国王だって、愛している女性を傍に置きたいに違いない。部屋はこんなにも美しく、そして部屋の隅には贈り物の箱が山積みになっているのだから。

「ねえ、誰かいるの?」

 再度そう問いかけられ、リーディはこっそりと視線を彼女に向けた。

 ここは見つかる前に立ち去ったほうが賢明だ。そう考えて部屋を出ようとしたとき、その扉が急に向こう側から開いた。

「!」

 変に慌てると、不審に思われるかもしれない。リーディは静かに、一歩下がって開いた扉を見つめる。

 すると開いた扉からひとりの女性が入ってきて、不審そうに目の前に立つリーディを見つめた。同じようにリーディも、背の高い彼女を見上げる。

 年は四十代後半くらいか。栗色の髪をきっちりと纏め、縁の赤い眼鏡をかけている。その服装や態度などから察するに、この王城の侍女長かもしれない。

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