第6話 (クロックドーン)開戦③

 中軍にいる下級将校が怒鳴り声をあげて指示を出した。

 迎撃の構え。槍を持っているものを手前に出せ。


 騎馬隊に歩兵が対するには、槍を並べて突き出し、馬を殺すしかない。槍衾だ。この時、歩兵は動けない。

 移動できない歩兵の槍の前に敵の騎馬隊をどう誘い出すかが、歩兵による対騎馬隊戦の主題だった。今は、既に敵の騎馬隊が軍の中に突入してきている。自軍の部隊の中に向けて、どこまで槍の壁が作れるのか。


 軍の移動速度が落ちた。いや、止まった。

 口から刃を飲み込まされている。その刃は喉から食道を貫くように、リーパーク軍という体の中を斬り破ってくる。

 自軍の兵が押されてくる。クロックドーンは退がるな、と繰り返した。一度後ろに下がれば、一気に部隊は潰走してしまう。しかも、潰走したその先には追撃してくるゼブド軍の歩兵がいるのだ。前に進むしかない。


 槍衾がクロックドーンの目の前に並べられた。

 もうそこまで騎馬隊が来ているということだ。早すぎる。走り続けた自軍の兵には、奇襲に対する余力が残っていないのだ。陣形も緩みきっている。クロックドーンは右手の剣を握りしめた。右手は冷たく、握っている感覚もない。


 敵は、クロックドーンの存在は認識しているだろう。数少ない騎乗の人間で、部隊の指揮を執っていることを偽装してもいない。直接、ぶつかる。恐怖はなかった。五千の兵の指揮を執っているということの方がずっと、怖い。


「槍衾、穂先を揃えろ。調練と同じだ」


 調練と同じ。口の中でもう一度繰り返した。穂先を揃えた槍を、並んだ歩兵が一斉に突き出す。部隊の息が揃っていないと威力は発揮されない、その集団がどれだけの調練を積んできたかがモノをいう戦法だった。兵が積んできた調練の質について、このラフェル軍の右に出る部隊は存在しない。


 敵の騎馬を自分に引き付け、槍衾を発動する。それで敵の騎馬の動きを止める。騎馬隊の動きを止められるかどうか。動きさえ止めれば、騎馬兵は下から槍で突き上げられるだけの的に成り下がるのだ。


 喊声が目に見える程に近付いてくる。馬上の敵が既に視認できる位置まで接近してきた。敵騎馬隊の規模はまだわからない。まずは先頭の突撃を止める。槍衾の穂先は、馬上の兵ではなく馬を狙う。


 来てみろ。俺が見えているのだろう。首を、獲りに来い。


 雄叫び。自分の口から出ていた。自分の周囲にいる兵から覇気が返ってくる。


 視線の先で、味方の兵が弾かれるのが見えた。敵騎馬隊を遮り、威力を削ごうとしたのか、或いは避け損なったのか。馬の突進が鈍ったようには見えない。

 敵は、味方の兵に構うことなくクロックドーンを目掛けて突き進んでくる。損害を与えるのではなく、とにかく敵の部隊を突き抜ける。ゼブド騎馬隊の動きは、先ほどクロックドーンがゼブド軍に対して行った動きと全く同じに見えた。


 鐙に掛けた両足に力が入る。クロックドーンは馬上で立ち上がっていた。先頭で向かってくる敵兵を捉える。真っ直ぐに、こちらを見ているのがわかった。眼差しが太い。鼻が高い。頬に傷がある。


 軽装の騎兵部隊だった。鎧は必要最低限の防護のみで、武器は剣か。長柄の得物は携えていない。一撃で敵を突き破り、あわよくば指揮官の首を獲る。そして速やかに離脱するという部隊だ。防御力は低い。


 雄叫びと、血飛沫と、土埃。あと少しで、槍衾の攻撃圏内に敵が立ち入る。失った兵と同じだけ、殺してやる。


 槍衾。今。


 不意に、先頭を走る男が向きを左へ向けた。リーパーク軍の中で急な弧を描く進路を取り、皮の袋を内側から突き破るように外へ飛び出していく。

 続行の兵も先頭に続き、リーパーク兵の鎧でできた原野を縦列の馬群が駆け抜けていく。口から入ってきた一匹の巨大な蛇が、脇腹を食い破って逃げて行く。

 クロックドーンは反撃の号令を出すタイミングを躱された。突き出す直前で槍を構えたままの自軍の兵達も、動けずにいる。


 クロックドーンを守るように緊急に兵を備えさせたため、方向を変えて逃げていく敵に対応する術がなかった。振り上げかけたところで止めてしまった右腕の、その切先が背後からの陽光を反射して網膜を刺してくる。


 敵騎馬隊の最後の一騎が自分の眼前を通り過ぎるのを、黙って見ているしかなかった。その兵は、こちらを見ようともしていない。クロックドーンと視線をはっきりぶつけあったのは、先頭をきっていた頬に傷のあるあの男だけだった。


 横から、兵をまとめようとする下級将校の怒声が響いている。離脱した敵騎馬隊が再度、突撃してくるかもしれない。それに備えようとしているのだ。


 無駄だ、とクロックドーンは思った。視線は敵騎馬隊を追っているが、もう一度突っ込んでこられたら今度こそ防ぎようはない。既に一度、断ち割られた軍である。しかも、進行している方向、兵が一番厚くなっている向きを縦に割られてしまった。

 今のリーパーク部隊は、背骨を引き抜かれた肉体同様で、外からの衝撃を支える芯を失ってしまっている。騎馬隊が反転してくる僅かな時間で、立て直せるものではなかった。


 乾ききった奥歯に、粉を擂るような感触がある。自分は、体に傷ひとつ負うことなく、負けたのだ。


 乗っていた馬が、動き出していた。

 指示は出していない。


 視線の先は戦塵に霞み、騎馬隊の姿を晦ました。敵が反転する気配はまだ伝わってこない。

 周囲の兵も、自分の馬と同じ方向へ動き出している。そばにいた下級将校が出した指示でもなさそうだった。


 クロックドーンは、動いている先へようやく顔を向けた。進路は、当初予定していたのと同じだった。ゼブド軍を突き抜けたあと、立てこもるはずだった砦。そこへ向けて、部隊が移動している。


 少なくとも自分の周囲は、意思を持って動いているわけではない。目を凝らす。先駆けの部隊が移動を始めて、引っ張られるように全体が付いて行っているようだった。自分が最初に出した命令が、亡霊のように残っていた。

 先駆け部隊を指揮する下級将校。攻撃に非凡な分、受けに回ると脆い面があったが、この局面でも先駆けの仕事を全うしようとしている。


 剣を握りしめたまま、一言も発していない自分が、哀れだった。

 五千の兵はどれだけ減ったのか。騎馬の反転。歩兵の追撃。敵の攻撃は終わっていないはずだが、脳に去来するものは受けた損害のことばかりだった。思考が来るべき攻撃から逃げようとしているのだ。そういう自分の弱さが、また哀れだった。


「騎馬隊の反転は、今のところ確認できません」

「このまま森の手前まで。そこで抗戦の構えを」


 少しずつ移動が加速していく。

 骨抜きになっていた部隊が走りながら隊形を組み直していく。クロックドーンの周囲が整い、徐々に小隊単位のまとまりがそれぞれに繋がりだす。


 砦跡が見えてきた。

 堀も何も無いが、柵は頑丈にできているらしく、外観は整っていた。ゼブド兵の姿は見えない。


 先行して到着した先駆けが即座に反転し、外からの攻撃に備えた隊形を組みだした。砦の柵のさらに外側に、槍衾を構えた歩兵が配置される。中央は大きく開け、後続の部隊を中に収容していく。

 槍衾の外側へ大盾を並べ、その内側へ弓兵を配置するのだが、並べるべき大盾や弓矢を運ぶ兵站係は部隊の最後尾についているため、まだ展開はできない。

 全部隊が構えの中に収容されるまで、先駆け部隊は敵の攻撃に備え緊張し続けるのだ。騎馬隊がクロックドーンの手前で進路を変えたため、兵站係が無傷で付いてきているのが、唯一の救いだった。


 すぐにクロックドーンも砦の中に入った。即座に指揮官の在所を定め、旗を立てさせる。胡床が用意され、座った。幔幕が張られる。砦の外郭は残っていても、内の施設はほぼ残っていない。野営と同じだった。


 兵は、動き続けている。下級将校も、自らの持ち場でなすべき指示と検分を始めていた。兵站部隊が収容され、運んできた物資が開かれた。空いたスペースで設備の組み立てが始められる。

 先駆け部隊がようやく砦内へ下がってきた。入れ替わるように斥候が出された。クロックドーンは指示をしていない。兵も、下士官も、何をやるべきか体に染みついている。どうしていいのかわからないのは、自分だけだ。


「防御の体勢を速やかに。敵の動きを把握したのち、攻撃が無ければ兵達に順次、兵糧を」


 兵糧は兵から先に配り、将校は後だ。ラフェル軍の不文律である。こんな指示は出す必要もなかった。戦はまだ継続している。騎馬隊が波状攻撃をかけず姿を消したことが解せないが、こちらを殲滅するつもりならまだ攻撃はあるはずだ。

 他に言うことがないから、言った。言う必要のないことを、言わないでいる勇気がなかった。今この瞬間、自分は指揮官であるが、必要とされていない。兵も、下級将校も、疎ましいほど優秀だ。兵の質がリーパーク随一であることが本当によくわかる。


 指揮で、負けた。

 兵力差はあったにせよ、部隊の指揮で、読み合いで、負けた。

 ラフェル軍の負けではない。自分の負けだった。


 兵の立場だったら、指揮官ではないただの将校であったら、もっと働けていた。その想いは拭いがたくあった。言い訳だった。言い訳の感情が去来し、心臓に居座る。余計な思考が脳を無視して心臓から全身に送られいてく。決めるべきこと、やるべきことが無くなってしまったからだ。慌ただしい砦の中で、自分に話しかけてくる者はいない。向き合う相手が、自分しかいない。


 軍が受けた損害は、気になった。いったいどれだけの兵を失ったのか。

 被害報告がまだ届かない。そこで、フルーレが戻らないことにクロックドーンは気付いた。指揮官に対して、損害を取り纏めて報告するのは副官の役割だ。フルーレの仕事である。しかし、騎馬隊の突撃を受ける直前に先駆けに合流してから、ずっと姿を見ていない。


 先駆け部隊が下がってきてから暫く経った。斥候はまだ戻ってこない。かなり先まで物見に出ているということになる。すぐそばに敵の姿が無いということだ。それだけの時間が経っても、副官であるフルーレが戻ってこない。


 今回の戦闘で、先駆け部隊の被害が一番激しいはずだ。フルーレはそこにいて、まともに敵の奇襲を受け止めた。つまり。


「……俺が殺したも同然だ」


 戦が始まってから、頻繁に自分に話しかけてきたのはフルーレだけだった。

 一人になった、とクロックドーンは思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る