第4話 (クロックドーン)開戦①

 ゼブド軍を補足した。

 同時に、こちらも補足されていた。そして動きはゼブド軍の方が早かった。


 リーパーク北部、ゼブドとの国境付近はそれなりに起伏のある地形となっている。山岳と林の空隙のように盆地が点在しており、クロックドーンはそのどこかにゼブド軍が拠点を確保していると踏んでいた。


 王都から受けた第一報も北西部の盆地にて国境侵犯と伝えてきた。山地に展開し、地形を味方にしながら迎撃の体勢をとる。そして本格的な戦闘になる前に、山に溶け込むようにゼブド国内へ撤収する。それが今まで繰り返してきたゼブド軍の国境侵犯のやり方だった。


 ゼブド軍が、その国境山岳地帯を抜け、平原に軍を展開していたことはクロックドーンの意表を突いた。自軍五千に対しゼブド二万。しかもこちらは全て歩兵である。

 見通しのいい地形では兵力差と兵科がそのまま戦力の差に直結する。リーパーク軍が圧倒的に不利な状況での遭遇戦となった。


 こちらの兵力と、歩兵のみという部隊構成を把握した上で、平原に進出したのか。

 それとも、たまたま今回は平原に展開していたところで自分達と遭遇したのか。

 ゼブド軍がいつから自分達を補足していたのか、クロックドーンは瞬間的にそれを考えた。移動を継続したまま、部隊展開の指示が止まる。その間に、ゼブド軍は動き出していた。斥候からの続報が届く。


 ゼブド軍は全軍を三つに分けていた。その左右の軍が前進する。前進してきた軍の更にその端が移動速度を速め、全体でVの字を描く体勢を取った。そのまま全軍がリーパーク軍に向けて進軍を開始している。リーパーク軍を左右の軍の間に挟み込み、突出している両端が背後に回りって退路を塞ぐ。包囲殲滅を狙っていることは明らかだった。


「兵力差を見透かされています、クロック」

「わかっている」


 ゼブド軍が採った包囲殲滅という選択、それは「敵には後続に続いてくる軍がいない」と判断したからに他ならない。


 移動の間も斥候は絶やさず出していた。しかし、やはりどこかで事前に補足され、部隊の全容を掴まれたのだ。そして、平原に部隊を展開された状態で待ち構えられていた。


「部隊を拡がらせるな。小さく固まらせろ」


 五千なら、命令が軍の端まで届くにそれほどのタイムラグは無い。傍で並走している下級将校が旗で合図を出した。


 騎乗は将校しかいない。高い位置から周囲を見ることができるだけで、移動は歩兵の速度に合わせるしかなかった。

 既にゼブド軍がはっきりと見える位置まで近づいている。移動を続けながら、どう動くべきかクロックドーンは逡巡した。敵を迂回し包囲から逃れる。交戦を避け反転し、逆走して逃げる。敢えて敵の包囲の中に飛び込み、そのまま敵軍の一角を突き破り突破する。


 戦場の地面は、ところどころ土がむき出しになり黒くなった部分以外は、薄く草を敷き詰めたような平地だった。

 ゼブド軍との距離は更に縮まっている。向かい合うあの敵軍の数は、本当に二万なのか。目に映っている敵の姿が、本当に敵の全てなのか。隠されている部隊はいないか。

 集団の人数を計る訓練はしていた。しかし、実戦で、軍の指揮決定権を持つのは初めてである。クロックドーンは、喉の下が湿った熱を持つのを感じた。今まで積み上げてきたはずのものが、薄ら寒く自分の体を通り過ぎてゆく。


「左手の森まで退きましょう。今なら敵と接触する前に森に紛れ込めます」


 フルーレだけが、自分に声をかけ続けている、とクロックドーンは思った。


「包囲される前に。この先に砦跡があったはずです。そこまで森の中を抜けて辿り着ければ」

「敵の兵が、全て戦場に出ているかわかるか、フルーレ」

「敵軍二万という報告が、真実なら」


 フルーレには視界に入るゼブド軍が二万だと見分けられるらしい。クロックドーンは無意識に舌打ちをした。


 左手に森があることは、クロックドーンにもわかっていた。しかし、何か嫌な気がする。

 四倍の兵力差があり、相手の動きを補足できていれば、どうとでも作戦を練ることができる。部隊の一部を割いて森の中に伏兵を置くことも容易なはずだ。罠だっていくらでも作れる。砦跡があることも把握されているだろう。逃げ場があるように見せて、誘われているのではないか。


 森に伏兵がいる。そこに誘われている。フルーレはそこまで考えていないのか。


「森に、ゼブドの伏兵がいる気がする。」


 左手以外に退いても、平原が続いている。逃げてもどこかで追撃部隊に追いつかれる。身を隠す場所もない。そういう地形で、すぐそばに逃げ道となる森がある場所での交戦をゼブド軍が選んだ、その意味を考えるべきではないか。

 いや、そもそもその先の砦跡は既に占拠されているのではないか。


「斥候を出したのでしょう、クロック」

「出した。異常の報告はない。斥候隊も戻ってきている。しかし、俺には目の前のゼブドが全軍だとは思えないんだ」

「このままぶつかれば、ずるずると兵力を削られて負けます」

「だからって、罠かもしれないところに」


 緒戦だった。

 最初から気圧されたままでいいのか。自国に侵攻してきた敵への向き合い方として、そんな戦い方が許されるのか。罠の心配の他に、そういう意気地の問題もある。

 戦う姿勢を行動で示せるか否かも、部隊の士気にかかわる重要な点のはずだ。


 ゼブド軍との距離が更に縮まる。部隊の動きに変化をつけるなら、ここが最後のタイミングだった。


「進路を左手側へ変更。速度を上げろ」


 下級将校が旗の合図を出した。赤と青の旗の組み合わせで、かなり細かい指示まで出すことができる。


 クロックドーンの目は、進行してくるゼブド軍の右翼、つまり自分達の左手を見ていた。特段、部隊の布陣が薄いわけではない。しかし、自分達を包囲しようとするなら、最も動きがある場所だ。動く場所は、脆い場所でもある。


「敵右翼が動いたら、そこを突き破る。敵と接触しても速度を落とすな。槍は敵を刺したら、抜こうとせず捨てろ。立ち止まるな。敵を倒すより、敵軍を突き抜けることを最優先にしろ」

「クロック! 敵と接触したら、捕まります」

「一度は自分達からぶつかるべきだ。俺達はゼブド軍の侵攻を止めるために来たんだ。森を背後に黙って固まるだけで、その任が務まるのか」

「五千の軍がいるというだけで抑えになります。救援の軍が来るまで、兵力を減らすべきではありません」

「五千がじっとしているだけなら、ゼブドは一万を抑えに置いて、残りの一万でリーパークの中に侵攻する。村や城郭が襲われるかもしれない。二万を釘付けにするなら、ぶつかって損害を与えるべきだ。多少でも脅威を与えるんだ。それで敵は俺達を放置できなくなる」


 やはり、自分に話しかけてくるのはフルーレだけだった。自分の判断には反対しているが、それでも救われる気がした。反対されることに苛立ちもない。


 判断というほど考えたわけではなかった。強いて言うなら、意地と勘か。フルーレの言うことをそのまま採りたくない、という気持ちもあった。フルーレより優れていると言い切れない自分が、フルーレより上位で指揮を執っている。


 二万の足音が近づいてくる。敵に騎馬隊がいるのか、それもまだわからない。

 二万の軍の後方に隠れていたら、視認するのは困難だった。仮に、いたとして。クロックドーンは騎馬隊の存在を頭から振り払った。移動している歩兵が騎馬隊の攻撃を防ぐことなど不可能である。敵と接触するために移動を続けている今となっては、考えてもどうにもならないことになってしまった。

 敵の右翼を突破し、森を背景に陣を組む。その前に騎馬隊に襲われたら、負けだ。


 軍勢が走る。捲られた地面から湧き上がる、湿った新しい土の匂いが流れてきた。新緑の季節を迎えようとしているのだ、と場違いにクロックドーンは感じた。そして、集団となった人間の放つ、温い匂いが湧き上がってくる。体温の乗った息が、風に乗って届く。移動速度が加速していく。敵の前面が近づいてきた。既に兵は全力での走行になっている。


「敵が拡がりました」


 隣から声が聞こえた。フルーレ。自分に向けたものだと、クロックドーンは最初気付かなかった。視線が前方から離れない。敵の動き。右翼が自分達を包囲するために、腕を伸ばすように拡がった。

 左翼も同様に、こちらを包み込むように展開を始めているはずだ。しかし、視線を周囲に移す余裕はなかった。まだ、こちらの動きは左手の森を目指しているように見えているはずだった。


 進路を少し変える。ゼブドの右翼から逃れるのでなく、ぶつかる方向へ。それはゼブド軍の意表を突く動きになるはずだ。

 しかし、進路の変更が早すぎては見破られ、備えられる。構えて受けられたらこちらの進軍速度は鈍り、そして包囲される。動き出したゼブドの右翼の、脆くなった部分を一気に突き破るためのタイミングは、どこか。

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