第2話 (レイビット)命令

 魔術師は空も飛べるとでも思っているのか。


 ゼブド軍の侵入を察知してから、王都の朝廷に連絡が届くまで三日かかった。ゼブドとの国境付近で情報収集に当たっていた魔術師が早馬を乗り継いで飛報を届けたのだが、その時間が遅いと軍から抗議文が届いたらしい。しかも、将軍の名義による抗議である。将校による現場からのクレームとは重みが違う。


 軍の伝令なら一日半でほぼ同じ距離を駆けるそうだ。

 やはり、魔術師ギルドなどより軍の方が保有能力は上――そういう実績をことあるごとに作り出そうとしている。軍は何かにつけてギルドの存在を自分達の下に置きたがるのだ。


 普段から馬を走り回らせている兵士が、魔術師より早く駆けるのは当然ではないか。

 分かっていても腹は立つ。

 レイビットはざらついた気持ちを横隔膜の辺りに抱え込んで歩いていた。


 王都の北西に広大な敷地を有する、魔術師ギルドの本部である。

 ヒト、モノ問わず、リーパーク王国内の魔術に関する全てが集積される場所だ。南を入口として東はギルドに勤める魔術師達の寮と共有スペースで占められる。

 西には練兵場があり、練兵場の奥まで進むと時計回りに魔術具の保管庫、研究棟、幹部居住区がある。幹部居住区は周囲を堀と木々で囲われ、半ば独立した状態となっている。


 レイビットがいるのは、本部敷地の中央、管理棟とも中央棟とも呼ばれる施設である。寮を除けば最も大きな施設だった。幹部の執務室があり、事務所があり、書庫がある。魔術師ギルドの運営の中心である。


 専従の任務が無く、無聊を囲っていたレイビットが通知を受けたのは昨晩だった。命令文は端的で、詳細は管理官より通告とされていた。指定の時刻に合わせて出頭しようとしたところ、軍の抗議文の話を噂で聞いたのだ。


 ゼブド侵攻の情報を届けるために駆けた魔術師はさっさと国境の拠点に戻ったらしい。本来は別の任務を抱えているのだ。ギルド上層部も抗議文のことなど問題にもしていない。目下、ギルドの抱える最重要課題は南下しつつある寒冷雲の動向を読むことだった。


 軍にくだらない言いがかりをつけられて腹も立てない、ギルドの朝廷に対する無関心さもまた腹立たしかった。

 根暗な組織である。

 しかし、魔術師として生まれてしまった自分は、この狭い世界でしか生きられない。


 レイビットは自らの黒髪をがしがしと掻いた。レイビットの持つ黒髪、黒瞳の容姿は、世界大陸東南の地域を占めるこのリーパークの民族固有の特徴とされている。

 ただ、温暖な気候と古くからの水運による交易で栄えてきたこの国は、発展の過程で大陸各地域の出身者が集まったことで人種が入り混じり、レイビットのようなリーパークの民の見本ともいうべき見目の人間は既に多数派ではなくなっている。


「フケ取りですか、先輩」

「五月蝿い」

「いつも通り荒れてますね。さすが、ギルドの不満分子」


 軽口の相手をするのも馬鹿馬鹿しい。レイビットは声に背を向けて歩き出した。ギルドの制服である、黒地に申し訳程度の銀糸によるラインが入ったローブのせいで、レイビットの全身は黒ずくめに見える。


 アイザックが慌てるふうでもなく、曲がり角の向こうから姿を現してついてきた。

 名前は男性のようだが、一七歳の女性である。濃いブラウンの髪を短く切り揃え、名前だけでなく容姿まで少年に見える。おまけに一人称が『ぼく』だ。


「ついてくるな。俺は忙しい」

「またまたー。寒冷雲の観測なんて先輩には絶対にお声がかからない分野じゃないですか」

「それは学者肌の奴らがやるだろ。俺は別件だ」

「寒冷雲以外に、忙しい仕事ってあります?」


 人探し。

 北では天災を運ぶ寒冷雲がゆっくりと移動を始め、国境では国と国の摩擦が起きている。そんな情勢の中、レイビットに与えられた仕事は、人探し。


 味も素っ気もない通知書だったが、行方不明者の捜索とだけはしっかり記してあった。しかし、ここは魔術師ギルドだ。探偵の真似事など行わない。ましてレイビットは工作・戦闘を主たる任務とする魔術師である。


 詳細は管理官より通告。この一文がキナ臭い。

 とにかく、いちいちアイザックの相手をしているのは面倒である。


「管理官に呼ばれている。あっちへ行け」

「奇遇ですねー。ぼくもです。ワダイブさんですよね?」


 舌打ちしか出ない。同じタイミングで、同じ相手から呼び出されている。このところ何か任務があると必ずこうだ。まだ新人だった頃のアイザックにうっかり懐かれて以来、何かあると絡もうとしてくるアイザックのせいで、レイビットは完全にペアとして扱われている。

 返事をせずに階段を六階まで上がった。


 管理官級の執務室が並ぶフロアである。作りは質素だが、ドアに使われている材木は高級なものだ。そういったところで職級の差に配慮がなされている。フロアは通路が碁盤の目状に区画されており、同じ造りの扉が並んでいるだけである。慣れていない者はだいたい迷う。


 階段を上ってから二つ目の角を右に。そこで、呼び出した当人であるワダイブが歩いてくるのを見つけた。

 後ろに、二人の魔術師を連れている。一人は赤毛の整った顔立ちの男で、腰に虎爪の紋章が入ったチェーンを巻いている。補佐官として長くワダイブの下にいる男だ。もう一人は目元まで藍色の髪で隠れている男で、これは見たことがない。


「来たな。すまんが別の予定も控えている。歩きながらでいいか?」

「どこへ行く?」

「屋上だ」


 命令を、歩きながら。

 威厳も何もあったものではないが気にはならなかった。レイビットとワダイブはギルドの養成所で同期だった。雑な扱いは今に始まったことではない。現場での任務を専らとしているレイビットと違い、ワダイブは異例の若さでギルドの管理官職に就いていた。


「通知書に書いた通り、人探しを頼む」


 管理棟の屋上は十階になる。一度六階で降りた階段を再び上りながら、ワダイブの言葉を聞いた。レイビットとワダイブが並んで歩き、三歩後ろをアイザックが付いてくる。命令を受ける立場は同じのはずなのに、話はレイビットに任せっきりの態度である。ワダイブが連れていた二人の魔術師は更にその後ろだ。距離を開けて階段を上ってくる。


「探すと言っても、どこにいるかは分かっている。北の、リーパークとゼブド国境周辺だ。尋ね人の名前は、フォミ・ラフェル。ジャクリー・ラフェル将軍の娘だ」


 ジャクリー・ラフェルはリーパークで最高の名声を誇る軍人である。下級軍人の家庭に生まれながら、叩き上げで軍の最高位である将軍まで上り詰めたその武名は、近隣諸国にまで鳴り響いている。

 その将軍の娘が、緊張が急激に高まっている北の国境にいる。当然、本来の住居は王都である。


「誘拐か?」

「いや、自分の意志で向かったようだ。事情はわからんが、保護している者から将軍に連絡があったらしい。そして、将軍自身からギルドに救出の依頼が来た」

「保護されているのなら軍が迎えに行けばいい。救出という言葉が出てくるのもおかしいな」

「だが、わざわざギルドに依頼してきた。普段、ギルドを毛嫌いしているはずの軍人から。救出という単語も向こうが使った言葉だ」


 保護している者に問題がある。

 軍人が迎えに行って無条件に引き渡す相手ではない、ということだろう。おそらく、魔術師。


「相手は麒麟だそうだ」


 なんでもないことのようにワダイブが言った。


「麒麟をリーパークの敵に回さない。その上で将軍の姫様を無事に取り返す。アイザックと二人で上手くやってくれ。それも、できる限り早く」

「お前」

「すまんが、信用して頼めるのがお前しかいない。もちろん極秘だ。指令を紙面にも残さない。姫様の身柄がゼブドに引き渡されるような事態だけは絶対に避けてくれ」


 一瞬だけ、透けるような視線をレイビットに向けて、ワダイブは一方的に告げた。


「以上だ」


 話は屋上に着く前、九階から屋上への階段を上り始めたところで切り上げられた。無表情の奥に多少の申し訳なさを漂わせながら、ワダイブはそのまま上っていく。その背中を見送るレイビットを管理官付きの二人の魔術師が追い抜いて行った。


「要は、将軍の娘がゼブドの人質になったらヤバいって話ですね?」

「麒麟に拘束されているってだけで、十分問題だ」


 アイザックの緊張感の無い声が、狭い階段の壁に軽く反響する。


「ラフェル将軍が出陣するってことですかね、北の戦に」

「出陣するしないに関係なく、有力将軍の娘を緊張関係にある相手国の手に渡すのはいただけないってことだろう」


 麒麟は、リーパーク国の北方地域で独立した活動を行う武装組織である。それも、魔術師を中心とした、軍閥と呼んでいい規模の組織だった。


 大陸に存在する全ての王国が名を連ねた協定により、魔術師を軍に編成することは禁じられている。魔術師は各国の魔術師ギルドが管轄し、魔術師が軍同士の戦に介入することはない。この協定は、かつて魔術師が戦場に出ていたことにより、相手の降伏を許さない殲滅戦が繰り返された歴史から定められたものだった。


 その結果として、ギルドに編入されることを拒むフリーランスの魔術師がギルドにより圧迫されるという事態を招いた。やがてそんな野良の魔術師は自身の独立を守るため徒党を組むようになる。それは、たいていは盗賊や野盗という程度に収まるが、中には強大な戦力を有することに成功し、独自の勢力圏を形成するまでに成長するものも現れる。

 麒麟はそういった軍閥のひとつだった。それも、ギルドが迂闊に手を出せない程の。


 そんな、王国にも魔術師ギルドにも属さず世界に屹立している軍閥に、最有力将軍の娘が捕らえられている。麒麟の思惑はわからない。場合によっては娘の身柄がゼブドへ引き渡されてしまうことも考えられる。敵国に人質がとられるということだ。

 ――そうなるくらいなら、そんな娘はいない方がいい。

 命令を紙面に残さない。身柄は絶対に渡すな。二つの言葉から匂わせることで、ワダイブははっきり伝えてきた。


 汚れ役が回ってきた。レイビットはそう思った。

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