魔術師がいる世界の物語
しめさばジョー
第1話 (クロックドーン)伝令
寒冷雲が南下しているという報告は、間違いのないものらしい。
魔術師ギルドが正式に通達を出したという。クロックドーンは幕舎の中で、火急の命令書を携えた伝令から余談としてそれを聞いた。王都を出発する時点では人々の口の端に上る噂のひとつにすぎなかった。
寒冷雲が来ると戦が起こる。そう言われている。
「斥候を出せ。歩哨以外の兵も全て起こせ。速やかに移動を開始する」
「夜間行軍の訓練が追加されましたか?」
たまたま幕舎にいて、そのまま同席していたフルーレが訊いてくる。
黒髪を短く切り揃え、化粧もしていない。女性の兵や将校に対して特に身形に細かいルールは設けられていない。度を越さなければそれでいいのだ。髪を伸ばしている兵もいる。だが、フルーレには自分の思う軍人の姿があるらしい。クロックドーンはいつも、少しだけ勿体ないと思っていた。
フルーレは、通常ならばクロックドーンと対等の上級将校だが、今回の行軍では副官として従っている。部隊の指揮権はクロックドーンに与えられた。
暫定的にでも自分が上の立場になったのは、単なる年功序列だと思っていた。フルーレの実力が自分より劣るとクロックドーンは思っていなかった。自分の方が二年、軍歴が長いだけだ。
「ゼブド軍による国境侵犯だ。実戦だと、全員に伝えろ」
フルーレの顔に緊張が走る。リーパーク軍の将校として、行軍訓練の指揮をしている最中だった。訓練の目的は地形調査と斥候の運用、部隊展開の習熟である。戦闘訓練の予定はなく、兵は軽武装だ。
「王都への第一報は四日前。その時点で北西部の盆地まで侵入されている。敵兵力はおよそ二万」
「今までと同じでしょうか」
「わからない。後続の部隊の有無についても不明だ。とにかく、王都から迎撃の部隊が出る。それまでの足止めと、情報収集をせよとの命令だ」
隣国であるゼブドの国境侵犯は、今年に入ってこれで三度目だ。ゼブド軍が北から国境を越えて盆地に部隊を展開する。そこは周辺に村や拠点の無い原野で、リーパークに具体的な被害は出ていない。
だからといって放置もできなかった。対処しなければその土地を放棄したと見なされてしまう。
過去の二度は、迎撃の軍が王都より出撃し、接近するとゼブド軍は自国内へ撤退した。交戦には至っていないが、リーパークとゼブドの関係は急速に悪化していた。外交での抗議は適当にあしらわれているらしい。軍事演習の際に誤って国境を越えてしまった、というのがゼブドからの回答だった。
今までと同じなら干戈を交えることにはならない。しかし、今までと同じという保証はない。兵力差も大きい。まともに対峙するのは危険だった。
フルーレがこちらを見ている。指示を待っているのだ。
「まずは、敵軍を補足する。斥候は三人一組、北西部の平地を中心に出せ。情報は四日前だ。移動していることも考慮しろ。その間に俺達は北上し、国境の砦から補給を受ける。斥候の報告は国境砦で受ける」
幕舎の中にいた下級将校が二人、復唱して出て行った。一人は若い。もう一人は経験を積んだ教育係だ。経歴の浅い将校の教育も兼ねた行軍訓練だった。
こちらの兵力は五千。調練は積んでいるが、将校の質は経験の観点からみると高くない。指揮を執っているクロックドーン自身、上級将校の中で見れば軍歴は下から数えた方が早い。騎馬もない、歩兵のみの編成だった。ゼブド軍の構成は分からないが、兵力は四倍である。
とにかく、最初の指示は出した。間違ってはいない。
しかし敵を補足してその後、どうするのか。五千の兵を自分の責任において戦場で動かす。そんな経験をクロックドーンはまだ持っていなかった。
砦で補給を受けるという名目で考える時間を稼いだ。それが正直なところだった。
フルーレがまだこちらを見ている。
喉のあたりが、じっとりと染み出た汗で湿った。
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