episode.13
その日の夜、いつものようにマリサの淹れてくれた就寝前のお茶を飲んでいると、続き部屋の扉がバキィッ!と派手な音を立てて開き、私は椅子に座ったまま硬直してしまった。
「テレーゼッ!」
そこから随分焦った様子のノワールが飛び込んできて、私は驚いて目を見開いた。
扉………。
扉が………。
続き部屋の扉が壊れてしまっている。
そんなに焦って開けるほどの何かがあったに違いない。
顔面蒼白のノワールの様子を見れば、それは一目瞭然だった。
一体何があったのかしら⁉︎
お父様やお姉様がまた何かっ⁉︎
慌てて立ち上がる私の肩をノワールが痛いくらいに掴むので、更にびっくりしてしまった。
ノワールがこんなに動揺するなんて。
どんな大変な事が起きたと言うの?
「テレーゼッ!母上に婿を紹介して欲しいと言ったって、本当っ⁉︎」
思っていた事とまったく違うノワールの問いに、私はついポカンとしてしまった。
ノワールはそんな私に焦れたように再び問いかける。
「ねぇ、正直に答えて。
本当に、母上に婿を探して欲しいと頼んだの?」
私の顔を覗き込み、真剣な表情のノワールに、私は呆然としながらもハッキリと頷いた。
「え、ええ。昼間、ソニア様にそうお願いしたわ」
素直にそう答えると、ノワールは衝撃を受けた表情で、私の肩を掴んでいた手を力無く放し、フラフラと椅子に腰掛けた。
真っ青な顔で頭を抱えるノワールに、私は何て声を掛ければ良いのか分からずに、オロオロと様子を見守る。
やがて、今まで聞いた事もないような、低く酷く掠れたノワールの声が聞こえた。
「……どうして?テレーゼ……。
君は僕を慕ってくれていると、言ってくれたじゃないか……。
それに、僕の気持ちも知っているのに……。
何故、他の男を望むの……?」
ゾクリとするような低い声に、私は息を呑みながら、何とか言葉を絞り出す。
「え、ええ……私が慕っているのは、誓ってノワール1人だけよ……。
でも私達、いつまでもこんな事をしていられないわ。
お互い伴侶を得て、跡継ぎの事を考えなければ……。
特に私は、ボロボロになったエクルース家を一刻も早く立て直さなければいけないのよ。
その為にはお婿様が必要なの。
お願い、分かって、ノワール……」
諭すようにそう言うと、ノワールは指の隙間から刺すように鋭い目でこちらを見つめ、私はゴクリと唾を飲み込んだ。
こんな、心まで凍りつきそうな目、見た事ないわ。
ノワール、本当にどうしてしまったの?
私との女性同士の友愛を大事にしてくれていたのは嬉しい。
でも私の立場を考えれば、いずれこうなることは分かっていた筈よ。
ノワールだって、私がエクルース女伯爵として立つ事を誇らしいと言ってくれたじゃない………。
やがてノワールはゆらりと立ち上がり、その凍りつくような目で私を捕らえた。
今度は私がヨロヨロと後ろに下がる。
その私を逃がさないとでも言うかのように、ノワールの腕が捕らえた。
「伴侶……跡継ぎ……?
それなら、僕とでいいでしょ?
婿にはなれないけど、テレーゼは僕と結婚すれば良い……違う?」
急に荒唐無稽な話を始めたノワールに、私は呆然とその顔を見つめた……。
何を言っているのかしら?ノワールは。
女性同士で結婚……?
そんな話……。
そこまで考えて、私はハッとした。
そういえば、この前授業で習ったわ。
隣にある帝国では同姓同士の婚姻が認められているって……。
ノワールはまさか帝国で私と婚姻関係を結ぶつもりかしら?
そんな、私達は王国の貴族なのよ。
特にローズ家はこの国の国防の要。
それにどちらの家も歴史の古い、由緒正しき家柄なのに。
婚姻だって国の規則に則るべきだわ。
いくらなんでもそんな勝手な事は許されない。
このままでは、私の為にノワールが破滅する事になってしまう。
私は慌てて首を振り、ノワールに目を覚ましてもらおうと、ハッキリと告げた。
「そんな事、出来ないわ。
私と貴女は結婚出来ない」
その目を真っ直ぐに見つめ、明確に短く伝える。
きっとこれならノワールに伝わる。
そう思った時、ノワールは見えない刃物で貫かれたような、ひどく傷ついた表情になり、その顔を見た私も、何かに傷付けられたかのように胸に鈍い痛みが走った。
ノワール……。
ごめんなさい……。
貴女の気持ちに応えられない私など忘れて。
貴女に準ずる事の出来る殿方と、どうか幸せになって……。
これできっと私達、永遠にお別れになるわ。
最後の最後に貴女をこんな風に傷付けてしまうなんて……。
私、最低ね……。
溢れそうになる涙を堪えていると、ノワールにグイッと抱き上げられ、私は目を瞬いた。
何が起こったのか理解出来ないまま、乱暴にベッドに放り投げられる。
「きゃっ、ノ、ノワール………?」
不思議に思って見上げると、ノワールは周りを凍て尽くすような冷たい目で私を見下ろしていた。
「ノ、ノワール………?」
呼びかけてみても、何の反応もないまま、ノワールはギシッと音を立ててベッドに上がってくる。
言いようのない恐怖を感じて、私はズリズリとベッドの上で後ずさるけれど、直ぐに背もたれに阻まれ、もう下がりようも無いところまで追い詰められた。
ノワールはゆっくりと、まるで獣が獲物を追い詰めるように私に近づいてくる。
気がつくと、私はガタガタと身体を震わせていた。
「ノワール、一体、どうしたの……?」
ガチガチと歯の根が合わず、震えた声で問いかけると、ノワールは無言で私に向かって腕を伸ばし、寝着の首元を掴むと、一気に引き裂いた。
ビリビリィィィッと布の裂ける音と私の悲鳴が重なる。
「キャァッ!」
悲鳴を上げながら、咄嗟に胸の前を両腕で庇った。
寝着は臍の下まで無惨に破り裂かれ、私の身体を隠すものはこの両腕だけしかなかったからだ。
だけどそれもノワールに無理やり暴かれ、両腕を拘束された私は、ベッドに縫い付けられるようにノワールに組み敷かれる。
「ノ、ノワールッ!やめてっ!」
懇願しながら恐る恐る見上げたノワールの瞳に、獰猛な光が揺らめいていて、恐怖に身を縮めた。
「テレーゼ……君がどうしても他の男の物になると言うなら……。
君を今すぐ穢して、僕だけの物にしてあげる。
君はそんな身体で他の男のところに行ける人じゃないよね?」
狂ったように静かに笑うノワールを、私はガタガタと震えながら見上げていた。
一体、何をするつもりかしら……?
私の身体に一生消えないような傷をつけるとか、そんな事を言っているの?
ノワールはそんな人では無いと思うのに、今のノワールの異常な様子に、絶対に無いとは言い難く、私は恐怖に支配される頭で懸命に考えた。
大丈夫よ、落ち着いて、テレーゼ。
私は綺麗な身体でいる必要は無いわ。
醜い傷を負っても、お婿様となる方に事前に説明して、了承を頂ければ良いのよ。
事に及ぶ時は服を着たままでも、きっと大丈夫。
跡継ぎさえ出来れば、お婿様には好きにして頂いて構わないのだから。
傷物の私を愛せとまでは言わないわ。
お父様のようになって頂いては困るから、お金はこちらで管理して、信頼出来る侍従もつけさせてもらうけど、要望は出来るだけ叶えるし、不自由の無い生活も約束する。
それできっと、何とかなる。
何とかするわ。
今は、ノワールの事よ。
自分を裏切った私を、ノワールが許せず傷付けたいと言うなら、甘んじて受け止めなくては。
そうよ、どんな傷跡をつけられたとしても、それがそのままノワールの心の傷の深さなんだわ。
私はそれをちゃんと受け止めて、一生抱えて生きていくのよ。
私は覚悟を決めて、ゆっくりと目を瞑った。
「いいわ、この身体で良ければ、貴女の好きになさって下さい」
再びゆっくりと目を開くと、ノワールを真っ直ぐに見つめてそう言った。
ノワールの瞳が一瞬、困惑に揺れたけれど、直ぐに獰猛な獣のような光を取り戻す。
ノワールは何故か自分の服に手をかけ、それを一気に脱ぎ捨てた。
何が起こったのか分からない私の目の前に、息を呑むほど美しい、その裸体が晒された。
白く滑らかな肌には、よく見ると小さな傷が沢山ある。
騎士としてノワールが研鑽を重ねてきた証だろう。
そして細身だと思っていたその身体は、筋肉がしっかりとついていて、逞しく、割れた腹筋がまるで男性のようで……。
そう、男性のように逞しく厚い胸板も………。
む、胸板………?
「…….ひっ….い、い、い、いやぁぁぁぁぁぁぁっ!」
狂ったように甲高い悲鳴を上げる私を、ノワールは目を見開いて固まって見つめていた。
何が起きたのか、頭がついていかないようだ。
「ノ、ノ、ノ、ノワールッ!貴女っ………!」
そこまで言って、言葉を失くした私に、ノワールは自嘲的な笑みを浮かべ、首を傾げてふっと笑った。
「どうしたの?今更やっぱり怖くなった?
僕に乙女を散らされる事は、そんな悲鳴を上げるほど嫌かい?」
皮肉げな笑いを浮かべながらも、その瞳が泣きそうに揺れている。
それを呆然と眺めながら、私はクラクラと目眩を起こした。
穢すって……そういう意味だったのね……?
回らない頭でやっとそこだけ理解して、私は震える指でノワールを指差した。
ノワールは不思議そうに首を傾げている。
「ノ、ノワール、貴女……いえ、貴方?
貴方、男性だったの………?」
何を言っているの?テレーゼ。
騎士団で鍛えてこんな身体をしているけれど、僕は女性だよ。
どこかで、そんな返事が返ってくると思いながら、私は震える声でそう聞いた。
「何を言っているの?テレーゼ。
僕は男だよ?どうしたの?そんな当たり前の事を………」
そこまで言って、ノワールは言葉を切った。
私が顔面蒼白になっている事に気づいたのだろう。
ノワールは私の顔をまじまじと見つめ、ややしてハッとしたように、押さえつけていた私の腕からゆっくりと手を離し、身体を起こした。
反射的に胸の前を腕で隠しながら、私もふらふらと起き上がる。
頭がショックから立ち直れない。
何が起きたのか、まだ理解出来ずにいる。
ノワールもショックを受けた顔をしている。
自分の口元を手で覆い、少し震えた声で私に聞いた。
「……テレーゼ、君、僕の事を女性だと、思っていたの?」
嘘だと言って欲しいと、その目が語っている。
私はその目に途端に居た堪れなくなって、思わず俯き、静かに頷いた。
「えっ……?い、いつから?いつから僕を女性、だと?」
ショックを隠しきれない様子のノワールに、申し訳のない気持ちでいっぱいになりながら、私は小さな震える声で答える。
「……あの、最初、から。
この邸に連れて来てもらって、灯りの下で貴女
……いえ、貴方の顔を初めて見た時から、ずっと……」
私の言葉に目眩を起こしたのはノワールの方だった。
ふらふらとベッドに片手をつき、もう片方の手で目を押さえている。
「あ、あの、ノワール、大丈夫?」
無神経な質問だったかもしれないけれど、それ以外に言葉が思い浮かばなかった。
「ああ、いや、ごめん、テレーゼ……。
今、今までの君との会話を整理しているから、ちょっと待って……」
力無くそう言われて、私は言う通りにするしか無かった。
でもノワール、今までの私との会話を全て覚えているのかしら?
思考力を失った頭で、そんな事を考えていると、やがてノワールはゆっくりと顔から手を離し、私に真っ直ぐと向き直ると、真剣な顔をした。
「ごめんね、テレーゼ。君がそんな勘違いをしているとは知らず、今まで困らせてきたよね。
僕は男女の愛情のつもりで君に接してきたんだけど……君にとっては女性同士だったんだから、随分悩ませてしまったよね。
……さっきの事も……君にとっては当たり前の決断だったと思う。
それなのに、僕は君にこんな酷い事を……」
そう言って言葉を詰まらせ、泣きそうな顔をしているノワールに、私は居ても立っても居られなくなって、その手をギュッと握った。
「そんな、ノワールが謝らないで下さい。
勝手に勘違いして、貴方を傷付けたのは私の方です。
ノワール、ごめんなさい。
お願いだから、この事で自分を責めたりしないで……」
そう言っている内に、私の目から抑えきれない涙がポロポロと溢れてきた。
色んな感情が混ざり合って、何に涙が溢れているのかもう分からない。
でも、一つだけ、今の私の中にハッキリと確認出来る感情………それは、安堵だと思う。
女性同士だから、決して報われない想いだと思っていた。
私がただの伯爵令嬢であれば、ノワールの侍女になってでも側にいようとしただろう。
だけど、私にはそれさえ許されなかったから。
でも、ノワールが男性であれば、私達の道はまた繋がる事が出来る。
ソニア様の仰っていたように、私はノワールに嫁いでも、エクルース家を守れるのだから。
その思いが胸を甘く締め付けて、涙が後から後から溢れて止まらない。
私達、結ばれる事が出来るかもしれない……。
急に開けた希望に縋るように、私は涙で霞む瞳でノワールを見つめた。
ノワールは愛しそうに、その私の涙を人差し指で拭う。
「テレーゼ、ありがとう……。
こんな僕を許してくれるんだね。
本当にごめんね、テレーゼ……」
やっぱり泣きそうな顔をするノワールに、私は愛しさが込み上げて、我慢が出来なくなった。
腕を伸ばし、その頭を胸に抱き締める。
「ノワール、謝らないで。
今まで私の方こそ、ごめんなさい。
もう貴方を悲しませたりしないと誓うわ。
不安にさせないと誓う。
だから、そんな泣きそうな顔しないで」
ギュっと胸に抱き締めると、ノワールの身体がビクッと揺れた。
ノワールの腕が私の背中に回り、縋るように抱きしめてくる。
私はその温かくて心地いいノワールの体温を胸に感じながら、そっと瞳を閉じた。
「テ、テレーゼ……あの……」
ノワールの吐く息を熱いくらいに感じる。
何だか呼吸も荒いみたいだ。
どうしたのかしら?
まさか具合が悪いの?
私が慌ててその顔を確認しようとした時、ノワールが苦しそうな声を上げた。
「こんな時に、もうそれどころじゃないって分かってはいるんだけど………」
私はノワールの顔を覗き込み、私の素肌の胸の間から顔を上げるノワールと目が合った………。
あ、あ、あ………。
そ、そうだったわ………。
わ、私、寝着を引き裂かれて……胸を隠す物が、何も……。
だから、私、私は、ノワールを裸の胸に抱きしめていたん……だわ………。
やっとその事に気付いた途端、私は目眩を起こし、フーッと後ろに倒れた。
その私の身体を素早く支えながら、ノワールがそっとベッドに優しく下ろす。
その瞳は既に情欲に甘く揺らめいていた……。
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