episode.12

「ジャン様、お姉様の言っていた事はどういう意味かしら?

ノワールがキティ様にしか立たないって。

そんな事、あり得るのかしら?」


首を捻る私に、ジャン様は何故かワタワタと焦った様子になる。


「あれは、口さがない低俗な唯の噂話で完全に嘘八百だ。

ノワールはそんな奴じゃねーよっ!」


少し怒ったようなジャン様の口調に、私は胸を撫で下ろした。


「そうですわよね?キティ様以外に立たないだなんて、ではどうやって他の方をお迎えするのかしら?って思ってしまいました。

ノワールはそんな失礼な事、致しませんわよね?」


私の言葉に、今度はジャン様が首を捻る。

額を手で押さえ、何事か考えた後、私を手で制した。


「待て、テレーゼ嬢。

アンタの言っている事って……」


そう言ってジャン様は屈むと、すぐに立ち上がった。


「こういう事か?」


不思議な問いに私は戸惑いながらも頷いた。


「ええ、そうですけど……。

でも、椅子に座っている体勢から立ち上がる方が多いのでは?」


私がそう答えると、ジャン様は頭を抱えてしまった。


「分かった、あの女の捨て台詞が1ミリもアンタにダメージを与えていない事が、よく分かった……」


何だか少し疲れた様子のジャン様に、私が心配して声を掛けようとした、その時。

門から白馬に乗ったノワールが現れ、急いだ様子で私達の所に向かってきた。


「テレーゼッ!大丈夫だったかい?」


ノワールはヒラリと白馬から飛び降りると、私を抱きしめる。


「あの女が邸に来て、騒ぎを起こしたと聞いて急いで戻ってきたんだ」


真っ白な顔で心配そうに私の顔を覗き込むノワールの肩を、ジャン様がポンポンと叩く。


「それならテレーゼ嬢が1人で撃退したぜ。

今さっき騎士達が連行して行ったとこだ。

すれ違わなかったか?」


ジャン様の言葉にノワールは呆然とする。


「いや、夢中で駆けてきたから気付かなかった……」


そのノワールに、ジャン様が声を上げて笑う。


「アッハッハッハッ、あのノワールがっ!

気付かなかったとか、マジかよっ!」


ジャン様の楽しそうな笑い声に、ノワールは少し頬を染めた。


「それより、テレーゼがあの女を撃退したって、どういう事?」


理解し難い顔で私とジャン様を交互に見るノワールに、ジャン様がニヤリと笑う。


「まぁまぁ、その辺はこれからゆっくり話して聞かせてやるから、とりあえず中に入ろうぜ。

テレーゼ嬢も疲れたろ?」


ジャン様の気遣いに、私はすぐに頷いた。

正直お姉様に逆らうのは容易な事ではなかったから。

まだ自分でも、あんな風に言い返せた事が信じられない思いだった。



「分かった、邸で詳しく聞かせて」


ノワールは私の手を取り、ジャン様にそう言うと邸に入っていく。







「って訳で、テレーゼ嬢がスカッと撃退した訳よっ!」


ジャン様が身振り手振りを交えてノワールに説明している間、私は膝でギュッと服を握り、恥ずかしさに内心身悶えていた。


顔を真っ赤にして俯く私を、ノワールがうっとりと見つめている気配を感じる。


「テレーゼ、君は何て勇敢なんだ」


感心したようなノワールの声色にますます顔が赤くなる。


「私は、次期エクルース当主として、当たり前の事を……。

それより、お姉様がこの邸で騒ぎを起こし、本当に申し訳ありませんでした」


顔を上げノワールに詫びると、ノワールは緩く首を振った。


「君が気にする事じゃないよ、むしろ不甲斐ないのは今まであの女を捕らえられなかった僕らの方だ。

そのせいで君に不快な思いをさせて、ごめん」


逆に頭を下げられ、私は慌ててノワールの肩に手を置いた。


「そんな……私の家族の事でご迷惑をかけているのに……」


私の言葉に、ジャン様が顔を暗くする。


「家族……ねぇ。アンタがまだアイツらを家族だと思っているなら、この先キツいぜ……」


そのジャン様の言葉に、私は真剣に頷く。


「はい、分かっています。

お姉様は罪を犯して逃げていたのですよね?

それはどんな事か、教えて下さい」


私の返事にジャン様は一瞬息を飲んだ。

ノワールが私の手を握り、神妙な表情で私の顔を覗き込む。


「テレーゼ、君はエクルースの当主として心を決めたんだね。

立派な決断だと思う。我がローズ家が君を完璧にバックアップするから、心配しないで。

君はただエクルース女伯爵として胸を張っていればいいんだ」


誇らしげなノワールに、私は少し微笑んだ。

私がエクルース女伯爵として立つという事は、ノワールとの女性同士の友愛と決別するという事………。


目の前のノワールの、私を誇るような笑顔に、それで良いのだと、自分を納得させる。


胸は少し……いいえ、引き千切られそうに痛むけど、これからは女伯爵と女侯爵として、正常な友情を育んでいこう。


例え、恋人同士のように愛し合えなくても……。



「ノワール、ありがとうございます。

ローズ家のご支援に心から感謝致します。

エクルース女伯爵となり、家を建て直した暁には、必ずこのご恩をお返し致しますので」


真っ直ぐにノワールを見つめる。

泣き出しそうな自分を抑えつけ、何とか微笑んだ。


「テレーゼ、そんな他人行儀な事言わないで。

君の事は全て僕に任せて。

そんなに何もかも背負う必要はないんだよ」


優しいノワールに、寄りかかり甘えてしまいそうになる自分を叱咤しながら、泣きたい気持ちを隠して笑った。



「お前もたいがい重いのな……。

まぁ、いいや、テレーゼ嬢が覚悟を決めてるなら全て話すべきだ。

エクルース女伯爵として立つというなら、いつまでもお前の籠の中に囲っている訳にはいかないぜ。

なぁ、ノワール?」


ジャン様が少しノワールを責めるようにそう言うと、ノワールはバツが悪そうな顔で頷いた。


「……分かっているよ、ジャン」


その横顔がどこか寂しそうで、胸がドキッとする。


ノワール……何かあったのかしら?



「テレーゼ、では君に全てを話す。

聞く覚悟はあるね?」


先程の寂しげな表情を消し去り、ノワールは真剣な顔で私を見つめた。

そのノワールに、私も同じように真剣な顔で頷き返す。


「まず、奴らの罪は君をオークションにかけた事。

奴らは君をエクルース伯爵令嬢としてオークションにかけたが、正式には君はエクルース女伯爵だ。

その君をオークションにかけた罪は非常に重い。

次に、正統なる後継者を長年虐げ、エクルース伯爵の名を騙った罪。

これも非常に重い。

貴族の名を騙る事は御法度でね、何故ならその名で多額の融資を受けたり、特別な便宜を図らせる事も出来る。

実際サンスはその名で色々な所から融資や便宜を受けている。

これは重大な詐欺罪に当たるんだ。

他にも、社交界から相手にされなかった奴らは、夜な夜な怪しげなパーティに顔を出し、不法な行為を繰り返していた。

不法な奴隷売買、一夜の相手をさせていたみたいだけど、王国では奴隷制度は廃され厳しく取り締まっているから、奴らはその相手から訴えられてもおかしくないんだよ。

それから違法薬物の使用、他にも色々、数え上げたらキリがないね」



ノワールの話に、私は頭がクラクラとして目眩を起こしそうだった。

だけど、目眩なんて起こしている場合じゃない。

自分から聞きたいと願ったのだから。


「でも、一体そんなお金をどうやって……」


掠れた声で問うと、ノワールは悲しそうな顔をした。


「さっきも言ったけど、サンスはエクルース伯爵の名を騙り、あちらこちらから融資を受けていた。

それに君の邸の調度品も全て売り払った。

歴史的に貴重な物もあるから、全てローズ侯爵家で買い取ってあるから心配しないで。

それから邸に残っていた現金……と、君の母君への国からの弔慰金5億ギル……だね」


5億ギルッ!

前にソニア様に、お父様がお母様の弔慰金に手を出したとは聞いていたけれど……そんな額だっただなんて……。


驚きに口元を押さえる私に、ノワールは申し訳なさそうに続けた。


「全部合わせると、10億は超えるかな……」


そんなっ!

一体どこからそんなに融資をっ?

いえ、きっと手当たり次第ね。

つまりエクルース家は既に負債を抱えているという事だわ。

それもこの10年に満たない年月で使い切り、通いの使用人さえ雇えなくなったんだわ。

そして最後に私をお金に換えようとした……。


何て事かしら……。

由緒あるエクルース家がそんな事に……。


私にはもう迷っている時間なんて、最初からなかったんだわ。

一刻も早く、正式にエクルース伯爵の名を賜り、家を立て直さなければ。


私が指先が白くなるほど拳を握っていると、ノワールがそっとその手を握ってくれた。


「大丈夫だよ。心配しないで。

僕がついているから、全て僕に任せて。

奴らにはキッチリと犯した罪を償わせる。

君にしてきた事全て、奴らにたっぷり味わってもらうつもりだから……」


ニッコリ微笑むノワールの背後に、何だか吹雪が吹き荒れて見えるのだけど……。

私の空想癖がここのところ加速してきているせいね……きっと。



「あの、でもどうしてお父様達は社交界で相手にされなかったのでしょうか?」


先程の話で感じた疑問を口にすると、ジャン様が急に笑い出した。


「アンタの父親って何だと思う?」


逆に問われて、私は首を捻る。


「えっと、前エクルース伯爵夫君か、エクルース伯爵父君……ですか?

もう、後見人……では無いのですよね?」


ノワールを見上げると、しっかりと頷いてくれた。


「つまりだ、奴は社交界で何者でも無いって事さ。

自分の爵位は持っていない、親が王家に返上したからな。

そんな奴がエクルース伯爵を騙り、社交界で我が物顔なんて出来る訳がない。

皆んな、正統なエクルース伯爵はテレーゼだって知っているんだから。

社交界じゃサンスは笑い者だったらしいぜ。

それで、貴族の付き合いから弾かれ、不法なパーティに顔を出すようになった、って訳だ」


ジャン様に説明されて、私は少しホッとした。

あのお父様達が、社交界で他の貴族の方々に迷惑をかける前に相手にされなくて良かった。


エクルース家の名で、名だたる貴族の方の不興を買っていたら、家の再興どころではなかっただろう。



「それも王妃様が社交界でハッキリと奴を否定してくれたからなんだよ。

あの者はエクルース伯爵にあらずってね」


ノワールの言葉に私はハッとした。

そんな、王妃様までエクルース家の事を気にかけて下さっていただなんて……。


皆様のお気持ちに報いるには、早く私が立派にエクルース伯爵として立つしかないわ。


いい年をして、恋慕に身を焼かれている場合では無かったのよ。

早くお婿様を頂き、跡継ぎを作り、エクルース家を再興させなければ。


もう、ノワールへの気持ちに揺れ動いたりしないわ。

私は私の道を生きなければいけないの。

その道にはノワールとの女性同士の友愛に続く道など無い。


無いのよ、テレーゼ。






話が終わると、ノワールとジャン様は王宮に戻って行った。



私はマリサにお願いして、ソニア様とお話が出来るように取り次いでもらうことにした。


王妃様とのお茶会から戻ったばかりだというのに、ソニア様は快く私を自室に招き、部屋の広間で2人で向かい合い、ランチを頂きながお話をする事になった。


ソニア様はニコニコと、私が食べる姿を眺めている。


お母様もそうだった事を思い出して、何だか懐かしくなってしまった。

お母様は忙しい中、何とか私と食事を取ろうとしてくれた。

一緒に食事をしていると、私が食べているのを見ているだけで嬉しそうにニコニコしていたから、だからつい食べすぎちゃって、つい………なんて言い訳ね。


子供の頃太っていた事をお母様のせいにしそうになって、すぐに反省する。


だけどこんな風に穏やかな気持ちでお母様を思い出しながら、誰かと食事が出来るだなんて……。

今でもまだ信じられない。


全てノワールのお陰なんだわ。

そのノワールの気持ちに報いる為にも、私は自分の為すべき事を為さなければ。



「ソニア様、あの、お願いがあります」


私の言葉にソニア様はパァッと顔を一層明るくして笑った。


「何かしら?テレーゼからのお願いなんて嬉しいわ。

何でも言ってちょうだい」


楽しそうなソニア様に、私は恐れ多くも大胆なお願いを口にする。


「私に、お婿様をあつらえて下さい」


そう言って、すぐに頭を下げる。


いつまでも待ってもソニア様から返事はなく、私は恐る恐る顔を上げた。


ソニア様はポカンと口を開けて呆然としている。


私はそのソニア様を見て、慌てて口を開いた。


「こんなにお世話になっている身で、このような厚かましいお願いまでして申し訳ありません。

ですが1日でも早くエクルース家を立て直す為、婚姻をして跡継ぎを作り、周りから信頼を得たいのです。

その為にはお婿様がどうしても必要で……。

私にはアテもありませんし、ソニア様のお力を貸して頂ければ、と……」


言っていて、私のあまりの図々しさにソニア様は呆れていらっしゃるんだわ、と項垂れた。


ややして、震えるソニア様の声が聞こえて、私は再び顔を上げた。


「テ、テレーゼ、貴女……お婿さんを……望むの……?

あの、貴女が嫁ぐのではなく?

授かった子に伯爵位を受け継がせる事も出来るのよ?

それまで、我がローズ家と共同でエクルース家を守っていけばいいじゃない。

なのに、お婿さんが、欲しいの?」


ソニア様のお心遣いは有り難いけれど、流石にそこまでお世話にはなれない。


私はソニア様に向かって深く頷いた。


「はい、お婿様を望みます」


ハッキリと答えると、ソニア様はその瞳に諦めを浮かべ、ハァ〜ッと悩ましげに溜息をついた。


「………分かりました。

私が必ずテレーゼに相応しい男性を見つけてきますからね。

安心してちょうだい」


少し悲しそうなソニア様の声に、私は心が痛んだ。


こんなにお世話になっているのに、ソニア様のお心遣いを拒んだからがっかりされたのね。


私は俯き、涙が出そうになるのを必死で耐えていた。


「それで?テレーゼはどんな殿方が好ましいのかしら?」


先程より明るい声でそう聞かれて、私は顔を上げ、ハッキリと答えた。


「私は、お父様のような方で無ければ、どなたでも」


その私にソニア様はまた呆気にとられてから、困ったように呟く。


「母娘して……選ぶ基準がどうしてそう大雑把なのかしら………」


その呟きにまたしても申し訳なくなり、私はまた俯いた。


ややして、手で口を押さえたような、ソニア様のくぐもった呟きが聞こえた。


「……ノワールったら、何をやっているのかしら、まったく……」



その呟きは不明瞭で、ハッキリとは聞こえなかったけれど………。

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