episode.8

私が自分に隠された真実を知ってから、数日が経った。

ノワール様は以前にも増して私の側にいて下さる。


話を聞いて以来、何だかずっと落ち着かなくて、精神的に不安定な私の為だと思うと申し訳なさと嬉しさがごちゃ混ぜになった、複雑な気持ちになる。


だけど今日はどうしても王宮に参じなければいけない用があるとの事で、ノワール様は不在だった。

この邸に来て初めての事で、ノワール様がいないと何だか所在ない心持ちがした。


庭園の散歩はあれ以来ノワール様との日課になっていた。

今日はノワール様は不在だけれど、私は日課の散歩の為、庭園に来ている。


そんな私に1人の侍女が付き従ってくれていた。

あのオークション会場から助け出された日、馬車に一緒に乗っていたあの侍女だ。



「あの、マリサ、ありがとう」


そう声を掛けると、その侍女、マリサはにっこりと笑った。


「いいえ、テレーゼ様の事はノワール様から頼まれていますから」


何だか見ているだけでホッとするその笑顔に、私は自分のかつての侍女を思い出す。


………元気にしているかしら?

苦労ばかりかけて、私は彼女に何も返せなかったけど……。



「メイドに聞いたんだけど、本当はマリサは他の方の侍女なんでしょ?

その方の側から離れて大丈夫なの?」


首を傾げてそう聞くと、マリサは優しく笑う。


「ええ、私はノワール様の妹君の侍女なんですが、主人がどうしてもテレーゼ様の側にいて欲しい、と仰るので。

主人も大変、テレーゼ様の事を気にかけていらっしゃいます。

私もお支え致しますので、1日も早く健康を取り戻して、どうか我が主人にもお会いになって下さいね」


そう言われて、まぁ、と私は驚いてしまった。

ノワール様の妹君にまでご心配をお掛けしていただなんて……。


自分では今までで1番と言っていいくらい調子が良いのだけれど、人から見たら、私はまだ健康的とは言えないのね。


食事と適度な運動で早く健康的な身体を手に入れなければ。

ノワール様がおられなくて寂しいなんて言っていられないわ。

今日もお庭をしっかりお散歩しなきゃ。


掌をギュッと握って拳を作ると、力が湧いてきた。


さぁ、健康を取り戻すわよ、と意気込んでいたその時ーーーー。



「テレーゼッ!本当にテレーゼなのねっ!」


後ろから声が聞こえ、振り返ると同時に誰かに抱きしめられた。


暖かくて、柔らかい。

そしてとても良い匂いのする、女性。


その人はひとしきり私を抱きしめると身体を起こし、ジッとわたしの顔を見つめた。


艶やかなプラチナブロンドに、少し垂れ気味の大きな瞳は鮮やかなグリーン。

透き通るような白い肌。

淑やかな雰囲気の、ノワール様にそっくりな女性………。


「もう、覚えていないわよね……。

昔はよくお互いの邸でお茶をしたりしたのよ。

私はノワールの母のソニア。

テレーゼ、会いたかったわ」


目に涙を浮かべ、その女性、ノワール様のお母様は再び私をギュッと抱きしめた。


耳元でソニア様の啜り泣く声を聞きながら、どうすればいいか迷っていると、マリサが大きく咳払いをしてくれた。


「んんっ、奥様。テレーゼ様も困ってらっしゃいます。

お茶でも飲みながら、ゆっくりお話しされてはいかがでしょう?」


マリサの声にソニア様はパッと顔を上げた。

その美しい顔が涙で濡れていて、私は何だか言いようのない罪悪感に襲われる。


「そうね、マリサの言う通りだわ。

ごめんなさいね、テレーゼ。

さっ、お茶を飲みながらゆっくりお話ししましょう」


ノワール様そっくりのソニア様に、にっこりと優雅に微笑まれ、私はポゥッと見惚れたまま反射的に頷いていた。





「テレーゼ、本当に、無事で良かったわ」


庭園の端にある温室で、むせ返る花の香りに包まれ、ソニア様は瞳を潤ませそう言った。


「あの、ありがとうございます。

危ないところを助けて頂き、その上こんなに良くして頂いているのに、ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした」


緊張しながら何とかお礼を伝えると、ソニア様はそっと私の手を握った。


「何を言っているの、当たり前のことをしたまでよ。

貴女は私の親友、セレンの娘ですもの。

こちらこそ、もっと早く貴女を助けてあげられなくてごめんなさい。

何度も貴女の事をエクルース家に尋ねてきたけれど、貴女は他国に遊学して戻っていない、とそればかりで………。

まさか、こんな事になっていたなんて……。

テレーゼ、貴女が受けてきた酷い扱いを思うと胸が潰れそうだわ」


その瞳からポロッと涙が溢れ、私は慌ててハンカチを差し出した。

それを受け取ると、ソニア様は目を押さえながら続ける。


「貴女のお母様、セレンスティア・エクルースは、私の学園からの親友なの。

彼女は魔法の天才で、少し変わっていたけど、真っ直ぐで責任感の強い人だったわ。

人間関係の気薄な人でね、あまり多くの友を望まなかったけれど、私と二歳年上の王妃様、そしてセレンの3人は学園時代、いつも一緒だったのよ」


ソニア様の口から語られるお母様の話に、私は目を瞬いた。


今はもう、幼い頃の思い出の中にしかいないお母様……。

私が知っているのは母親であるお母様だけだから、ソニア様の話はとても興味深かった。


「そうね、どこから話せばいいかしら……。

貴女が現エクルース当主である事は、もう聞いたかしら?」


ソニア様の問い掛けに、私は静かに頷いた。

ソニア様はその私に微笑みを浮かべる。


「……そう。大変なお役目よね………。

女の身でセレンもよく頑張っていたわ。

エクルース家は代々宮廷魔道士を務めてきた、魔法に優れた由緒正しく格式の高い家門なの。

産まれる子は総じて、魔力量が高いわ。

そして、魔法の何かに飛び抜けた才能を見せる。

セレンは攻撃魔法の正に天才だった。

昔から魔法の事になると周りが見えなくなるくらい没頭して、他の事など後回しでね」


お母様の事を思い出しているのだろう、ソニア様は楽しそうにクスクスと笑った。


「でも、そんな風だったから自分の身を固める事にも無関心で。

セレンのお父様、貴女のお祖父様が不治の病であると分かった時に、伯爵位を継承する為、慌てて相手を探し始めたの。

その時丁度、伯爵様の古い友人であるバルリング子爵が、爵位を王家に返還して破産宣告をしたいとご相談に来られたの。

ただ、1人息子の行く末だけが心配だから、彼の後見人になってくれないかとお願いにね。

そしたらセレンがね、丁度良いからその息子をうちに貰おうって言い出して。

それが、貴女の父親、サンス・バルリングだったのよ……」


美しい顔の眉間に皺を寄せ、本当に困った顔をするソニア様。



……お母様、丁度良いからって、そんな理由でお父様を………。


口をあんぐり開けて聞いている私を、ソニア様は思い遣るように眉を下げた。


「当然、皆んな反対したわ。

バルリング子爵家が破産に追いやられたのも、その息子のせいだもの。

彼は無計画に家のお金を湯水のように浪費し、至る所に借金して、贅沢と見栄ばかりの生活を送っていたの。

バルリング子爵はその息子に爵位を譲っては、いつか金に替えてしまいその名を悪用されると分かっていたのね。

そうなる前に、王家に返還して、自分達は息子の借金を全て背負い破産するつもりだったの。

そんな男性を選ばなくてもセレンならもっと良い話がごまんとあったわ。

だけど彼女は頑として考えを変えなかった」


ソニア様の話は、聞けば聞くほど理解出来ない事ばかりだった。

どうしてお母様は、そんなお父様を選び、譲らなかったのだろう?


深い溜息をつきながら、ソニア様が話を続ける。


「もちろん、セレンが彼を恋い慕っていた訳ではないわ。

バルリング子爵が来るまで、その存在も知らなかったし、婚約もしないで婚姻を結ぶまで、彼の顔も知らなかったのよ……」


ソニア様が頭を抱えてそう言った時、私も頭を抱えたかった。


お母様……なんて型破りなのかしら……。


ややしてソニア様が顔を上げると、何故か穏やかな表情に戻っていた。


「でもね、昔からセレンには不思議な力があって……。

誰にも理解出来ない、予言のような事をたまに言うの。

結婚式の当日、花婿の顔を初めて見たセレンは、やっぱりな、と言って笑ったのよ……。

私はどうしても彼との結婚が納得いかなくて、その日もセレンに、今からでもやめて欲しいとお願いしたの。

だけどセレンは少し笑って、大丈夫、ソニアの子供がなんとかするさ、って言ったのよ。

私はその時、旦那様と結婚して2年だったけど、まだ子供はいなかったのに……」


当時を思い返してか、ソニア様は不思議そうに首を捻った。



「……とにかく、そうと決めてから、婚約期間もなく、2ヶ月でセレンは結婚してしまったのよ。

19歳の時だったわ。今の貴女と一緒ね。

それからすぐに懐妊して、偶然にも、セレンと私が初めての子供を、それから王妃様が2人目の王子を同じ年に出産したの。

貴女とノワール、それから第二王子のクラウス殿下よ」



私はその時初めてノワール様が同い年なのだと知った。

落ち着いてらっしゃるから、少し年上かと……。

見た目も美し過ぎて、年齢など超越してらっしゃるし……。


「でもね、やっぱりセレンの選んだ相手は結婚しても何も変わらなかった。

貴女が産まれてすぐに、セレンのお父様が亡くなり、セレンが王宮の仕事に忙しい事を良い事に、エクルース伯爵家のお金を使って遊び放題、放蕩に耽るばかりで……。

私が心配して彼女に聞くと、セレンったら、そんな奴いたっけ?って………。

あれは惚けていた訳じゃないと、断言出来るわ。

本当に存在自体、忘れていたのよ……」


再び頭を抱えるソニア様。

流石に私も同じように頭を抱えた。


「セレンは貴女を授かる為だけに、彼と結婚したんじゃないかと……不思議とそんな気がするの。

彼がいくらエクルース家の名で遊び回っても、エクルース家には揺るがない数々の功績と、潤沢な資金があったから、気にもならなかったのね。

セレンは貴女を目に入れても痛くないほどに溺愛していたわ。

見ているこっちが心配になるくらいに。

それに、貴女が空想好きだからって、あれだけ攻撃魔法ひと筋だった彼女が、空想魔法を研究し始めた時は皆んな驚いたものよ。

貴女の空想の中の妖精さんを具現化するんだ、ってね」


そう言ってソニア様が片目を瞑り、私は知らずに口元を両手で覆った。


お母様が……私の為に……ノアとテティを魔法で具現化する研究をなさっていたなんて………。


お母様………。

いつもとても優しかった。

私と一緒にいる時は、たくさん笑っていた。

今思えば、あんな風に大口を開けて笑うお母様は淑女らしくなかったかもしれない。


だけど私には、そのお母様が世界で1番美しく見えたの………。



私の瞳から、ポロポロと涙が流れる。

次から次に……。

お母様の顔を思い出し、とめどない涙が……。


お母様……。

会いたい……。

せめて一目だけでも、もう一度、会いたい……。


どれだけ願っても、もう二度と会えないお母様を想って涙が止まらない私の肩を、ソニア様が優しく抱いてくれた。


私はその胸に縋って、子供のように泣きじゃくった……。



やっぱり、親子だわ。

ソニア様の暖かさは、ノワール様によく似ている。



「……お母様は、どのようにして亡くなったのですか?」


ややして落ち着いてきた私がそう聞くと、ソニア様は目を見開き、辛そうにその顔を曇らせた。


「……あれは、いつものように北の大国が国境である我がローズ領を攻撃してきた時よ。

北の大国はそれまで誰も見た事のないような魔獣を大量に戦地に放ったの。

王宮から派遣されていた宮廷魔道士軍がその魔物の相手をする事になったのだけれど、いつものようにいかず、手こずってしまって……。

セレンがその魔獣達には核が一つ以上ある事にいち早く気付いたから、あの戦いで王国を守りきる事が出来たのよ。

だけど、セレンが相手をしていた大型の魔獣には核が10以上もあって、流石のセレンもその魔獣の最後の核を壊した時には満身創痍だった……。

その時、その魔獣の腹から別の魔獣が現れたの。

腹を食い破って出てきたのよ。

セレンは、その魔獣への対処が一瞬遅れて……。

相打ちになったと、聞いたわ………」



そんな………。

お母様の壮絶な最後に、身が引き裂かれるほどの衝撃を受けた。


腹を食い破って出てきた……魔獣の子供……。

お母様が一瞬対処が遅れたのは……まさか…。

子供という、存在に……?


ソニア様は何も仰らないけれど、その沈黙で私は全てを悟った。


私に対して愛情深かったお母様。

咄嗟に、魔獣とはいえ子供を攻撃出来なかったんだわ……。


「お母様を殺したのは、私という存在でしょうか………」


ポツリと呟いた私の言葉に、ソニア様は激しく首を振り、私の肩を掴んでジッと目を見つめる。


「それは違うわ、テレーゼ。

貴女がセレンを生かしていたのよ。

あの人ったら、責任感が強くて、ひとたび戦地に赴くと人の何倍も戦って、無茶ばかりしていたわ。

それこそ、いつ死んでも不思議じゃない戦いぶりだったの。

それが貴女が産まれてから変わったのよ。

前ほど無茶な戦い方をしなくなったの。

必ず貴女のところに帰ると、いつもそう言っていたわ。

テレーゼ、貴女がいたからセレンはいつも幸せそうだった。

貴女が彼女を生かし続けていたのよ」



ソニア様の真剣な眼差しに、また私の頬に涙が伝う。


「………はい」


そう答えるのが、精一杯だった。



「私はこれから……どうすればいいのでしょうか?」


迷い子のような気持ちになってソニア様を見つめると、ソニア様は優しく微笑えんでくれた。


「貴女の後見人はこのローズ家なのよ、何も心配いらないわ。

エクルース家の資産はセレンが亡くなってすぐに凍結されているから、実はほとんど全て残っているの。

事前にセレンがそう用意をしていたみたい。

サンスはセレンの弔慰金と邸の金庫にあった現金で遊び呆ける事に夢中で、その事に気付かなかった事は幸いだったわ。

凍結の解除は貴女にしか出来ない仕掛けになっているから。

あの男がその事に気付いていたら、貴女にどんな無理をしいたか……。

サンスが放ったらかしにしていた領地は王家とローズ家で守ってきたし、これからも協力を惜しまないわ。

だから貴女は、貴女のしたいようになさい。

結婚して、産んだ子供に伯爵位を譲ってもいいのよ。

それからね、この邸で今までの分、学んでくれて構わないわ。

家庭教師を雇うから、色々な事を学びなさい。

それからゆっくり考えても、遅くはないのよ?」


ソニア様の提案は、私には願ってもいない事だった。

10歳までは家庭教師について学べていたけれど、お母様が亡くなってから、それはもちろん叶わなくなった。


私は勉学がとても好きだった。

夢中で学んでいたあの頃、家庭教師の先生に、王立学園であれば中等部相当の進み具合です、と褒められた事もある。


もうずっと諦めていたけれど。

また学ぶ事が出来るだなんて!


「ソニア様、ありがとうございます。

ぜひ、お願い致します」


少し声が上ずってしまった私に、ソニア様は目を細めて仰った。


「好きな事にそんなに目をキラキラさせて……本当にセレンによく似ているわ……」


ソニア様の懐かしそうなその表情に、私の中にお母様の面影が存在しているのかと思うと、胸がじんわりと暖かくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る