episode.7

私がポツポツと語る話を、お二人とも真剣な顔で聞いて下さっていた。


幼い頃は、優しいお母様と邸の者達に囲まれて幸せだった事。

お父様は殆ど邸に居らず、偶に会うととても厳しかった事。


お母様が亡くなってから直ぐに、新しいお継母様とお姉様を、お父様が邸に連れてきた事。

お姉様はお父様とお継母様の間に産まれた子供で、2人にとても大切にされていた事。


私は何故かお父様に疎まれ、お父様に邪険に扱われる私を庇った邸の者達は全てお父様に解雇されてしまった事。


それから、通いの使用人達と一緒に、邸の仕事をするように命じられた事。


唯一残って私を最後まで庇ってくれていた侍女も、やがて追い出されてしまった事。


通いの使用人も少しづつ減り、最近では私一人で邸の事を賄っていた事。


邸から、お父様達の部屋以外の家財道具がどんどんと減っていった事。


その頃からお父様のお酒の量が増え、そしてあの日、酔って帰ってきたお父様に責められ、お継母様が私をどこかのお金持ちの後妻か妾に売り払う事を決め、お姉様が私の乙女をオークションにかけると言った事。


それをお父様が快諾した事…………。



私の話を黙って聞いていたレオネル様の顔がどんどん厳しくなり、眉間に何本もの皺が寄っていって、その様子に尻込みして言葉がつっかえる度に、ノワール様が手をギュッと握って、安心させるように肩を抱いてくれた。


全て話終わった時には、レオネル様から明らかな怒りが感じ取られ、私は戸惑いながらノワール様を見上げた。

そんな私を安心させるようにノワール様がニッコリ微笑む。


「レオネル、気持ちは分かるが、テレーゼが怯えている。

抑えてもらえないかな?」


柔らかい口調だけれども、キリッとレオネル様を見つめるノワール様。


「……お前は、よく平気でいられるな……」


怒りを抑えるようなレオネル様の低い声に、透き通ったノワール様の声が重なる。


「平気?この僕が……?」


瞬間、隣から冷気を感じてビクリと身体を震わせノワール様を振り向くと、そこには春の日差しのように暖かいノワール様の微笑みが……。


今のは気のせいかしら……?


不思議に思って首を傾げていると、レオネル様の深い溜息が聞こえた。


「そうだな、すまない」


そう言って深呼吸なさったレオネル様は、通常通りに戻っていた。


私はそれにホッと胸を撫で下ろす。


「辛い話をよく話してくれた、テレーゼ嬢。

そんな目に遭いながらも、よく生きていてくれたな。

エクルース伯爵家は歴史ある由緒正しき家門。

そしてこの国に無くてはならない存在だ。

君が居ればエクルース家を守れる。

本当にありがとう」


穏やかなレオネル様の表情に、私は訳も分からず頭を下げたけれど、一体何の事を言ってらっしゃるのかしら……。


エクルース家はお父様が家長として守って下さっているし、お姉様という後継ぎもいる。

私など居なくとも、エクルース家は守られているというのに……。


不思議そうにキョトンと首を傾げる私に、レオネル様は少し目を見開き、ノワール様を見た。


「お前、まだテレーゼ嬢に何も話していないのか?」


驚きを隠せないレオネル様に、ノワール様は穏やかに答える。


「レオネル、テレーゼは助け出されてからまだ1ヶ月と少しなんだ。

……テレーゼはね、この邸に来た時、恐らく30キロほどしか無かったんだよ。

それ程衰弱していたんだ。

やっと通常の体型に少しだけ近付いてきて、ベッドから起き上がれるようになり、今日初めて外を散歩したんだ。

はやる気持ちも分かるが、まずはテレーゼが健康を取り戻す方が先だったんだよ」


ノワール様の言葉にレオネル様は驚愕した顔で口元を片手で覆った。


「……まさか、それ程だったとは……。

やはり、例の魔道具も関係しているのか?」


レオネル様の問いにノワール様は直ぐに頷く。


「間違いないね。あんな物を9年以上付けられていたんだ。

生命力を吸い取られていたのと同じだよ」


ノワール様とレオネル様は真剣な顔で見つめ合い、その瞳の奥に怒りの炎を宿らせていた。


「なる程、手加減は要らない、という訳だな」


冷たいレオネル様の声に、ノワール様は長い足を組んで、その上で両手を組むと悠然と微笑んだ。


「嫌だな、レオネル。手加減なんて最初から加えるつもりはサラサラ無いさ」


「だろうな。あの男は触れてはいけない人間の逆鱗に触れたのだから……。

なぁ?ノワール?」


そう言って顔を見合わせくっくっと黒く笑うお二人の目だけがギラギラと光っていて、私は思わず後ずさってしまった。


ノワール様の背後に黒薔薇が咲き誇っているように見える……。


嫌だわ、私ったら。

身体が健康になったから、お得意の空想癖も戻ってきたのね。

そんな幻覚が見えるだなんて………。






レオネル様がお帰りになった後、私とノワール様は私に与えられた部屋に戻り、ソファーに座りお茶を飲んでいた。


「先程は急な話で戸惑ったよね?

ごめん。レオネルは忙しい奴で、なかなか時間が取れなくてね」


申し訳無さそうに眉を下げるノワール様に、私は両手をブンブン振って答える。


「い、いえ、公爵家の方にお時間を頂いただけで、身に余る光栄ですから」


そんな私にノワール様はふふっと微笑んだ。


「レオネルにそんなに畏まる必要は無いよ。

僕の友なんだから、君の友でもある。

家格など気にしないで気軽に接してやって欲しい」


そう言うノワール様に、私は恐れ多くてとてもではないが、そんな事出来ないと思った。


「それでね、レオネルも言っていたけど、君に真実を知ってもらう必要があるんだ。

辛い思いをしてきて、その上こんな話を、まだ体調が万全ではない君に聞かせるのは酷だとは思うけど……」


こちらを気遣うように見つめるノワール様の方がよっぽど辛そうだった。


体調は今までで1番良いくらいなのに、まだご心配をお掛けするような見た目なのかしら……?

随分体型も一般的な見た目に近付いてきたのだけれど。


「あの、私はもう大丈夫ですから。

私に関係のある話なら、遠慮なくお聞かせ下さい」


ジッとノワール様を見つめて言うと、隣に座るノワール様がギュッと手を握ってくれた。


「……分かった。それじゃあ、話させてもらうけど、気分が悪くなったらすぐに言うんだよ?

いいね?決して無理はしないで」


ノワール様のあまりに気遣う様子に少し構えながら、私は慎重に頷いた。


「は、はい、無理はしません。

どうぞお話し下さい」


一体どんな話なのか、胸の鼓動が激しく脈打つ。


そしてノワール様はゆっくりと、でもハッキリとこう言った。


「テレーゼ、君の父親はエクルース伯爵ではない」



頭をハンマーで殴られたような衝撃だった。


お父様が、私のお父様では……ない?


そんな……まさか………。


では……私は、お母様が不義を犯して産まれた子供なのっ?


そんなっ!あのお母様がっ!


クラクラと目眩を起こし、座っている事も出来ない私の身体を、ノワール様がしっかりと抱きとめ、そのまま胸の中に抱きしめてくれた。


信じられない思いで胸の鼓動が早鐘を打つ。

だけど、何故か頭はスーッと冷めてゆき、今までのお父様の私への態度がやっと腑に落ちる思いだった。


お父様は、私が自分の子供ではないと、知ってらっしゃったんだわ。


だから私をいつも憎々しげに見てらっしゃった。

そうよね、私はお母様と他の男性との不貞の子だもの。

最初から、お父様に愛される訳なんて無かったんだわ……。


お父様の子供は、本当にお姉様お一人だったのね………。


ショックを飲み込むと、次に深い悲しみが胸を押し潰してくる。


私はまだクラクラする頭を持ち上げ、ノワール様をジッと見つめて尋ねた。


「……では、私の本当の父親は、今どこにいらっしゃるのですか?」


私の問いにノワール様は驚いたように目を開き、すぐにハッとして慌てた口調で口を開く。


「あっ、ごめんっ!そうだよね、今の言い方ではそう誤解してしまうよね。

本当にごめんっ!

違うんだ、君の父親は間違いなくあの男だよ」


えっ………?

では、さっきの言葉は一体……?


完全に混乱してしまった私は、様々な感情が一瞬で押し寄せ、目尻に涙が浮かんだ。


それに気付いたノワール様は、慌てて滲んだ涙を親指で拭い、申し訳なさそうに眉を下げた。


「ごめんね……そうだよね、何も事情を知らない君が聞けば、そう思うよね。

配慮が足りず、本当にごめん……。

そうじゃないんだ、テレーゼ。

君の父親は、間違いなくあの男で、そしてあの男はエクルース伯爵ではない。

エクルース伯爵位はあの男に引き継がれたんじゃないんだ。

前エクルース伯爵は君の母君、そして彼女が亡くなった今は、テレーゼ、君がエクルース伯爵だ」


「……………えっ……?」



頭が真っ白だった。

ノワール様の言っている事が理解出来ない。


……お母様がエクルース伯爵だった……?

そして、今は、私がエクルース伯爵……?


混乱のため、真っ白になった私の頬をノワール様の両手が包む。

そこからじんわりと暖かさが伝わってきて、少しずつ脳に血が通いはじめ、靄が晴れてゆく……。


「急にこんな事を言われて混乱しているよね?

まずはエクルース家について、整理していこう」


優しく言い含めるようなノワール様に、私は静かに頷いた。

その私の目に、先程までの混乱が浮かんでいない事を確かめてから、ノワール様は口を開く。


「エクルース家は代々魔力量が高く、魔道士を多く輩出している家柄なんだ。

君の母上も、祖父も宮廷魔道士だったんだよ。

しかも、とても優秀だった。

君の母上に兄弟はいなかったから、当時のエクルース伯爵、君の祖父だね、伯爵は母上に伯爵位を譲り、婿を取るように命じたんだ。

そして母上はあの男を婿に取り、伯爵位を受け継いだ」


私は自分が今までしていた勘違いに驚愕する思いだった。

私は今までお父様こそがエクルース家の人間なのだと信じて疑わなかったから。


お母様は、そのお父様に嫁いできたのだと、当たり前のように思っていた。


「やっぱり、知らなかったんだね?

君の祖父君は君が産まれてすぐに亡くなったし、母君も幼い君を残して戦火に散った……。

だけど2人とも、決めていた事があるんだ。

万が一母君に何かあった時は、君に伯爵位を継承させるとね。

だから、母君がいない今、テレーゼ、君がエクルース女伯爵なんだよ」


ノワール様にそう言われた瞬間、目の前が真っ白になり、ノワール様の胸に顔を埋めた。

私をずっと抱きしめてくれていたノワール様は、そんな私をギュッと抱きしめる。



……全て突然すぎて、頭が追いつかない。

私が、エクルース女伯爵……。

あの邸の、本来の主……。


では、今までは何だったの?

何故お父様は私にあんな事を?

お父様は外でもエクルース伯爵と名乗っていたわ。

それは何故?

何の為に?


混乱した頭で、同じ事をぐるぐる考える私を、ノワール様は心配そうに覗き込む。


「テレーゼ、ショックだよね。

果実水を飲むかい?少し落ち着くかもしれない」


喉がカラカラに乾いていた私は、夢中で頷いた。


ノワール様がテーブルに置かれた果実水を手ずからコップに注いで手渡してくれる。

それを一気に飲み干して、私はホッと息を吐いた。


「あ、あの……」


掠れた声が出た。

うまく言葉が出てこない……。


ノワール様は私が喋れるようになるまで、辛抱強く待っていてくれた。



「あの、ではお父様は、一体何になるんでしょう?」


恐る恐る聞いてみると、ノワール様は溜息をつきながら答えた。


「あの男は何者でもないさ。

ただの、サンス・エクルース。

しいて言えば、前エクルース伯爵夫君、または、現エクルース伯爵の前後見人、かな?」


ノワール様の言葉に、私は首を傾げた。


「前、後見人、ですか?」


お父様が私の後見人なのは分かるけど、今は違うのかしら?


不思議に思っていると、ノワール様は腹立たしげに空を睨む。


「本来なら、君の社交界デビューをもって後見人は不要となり、君が正式に伯爵位を受け継ぐ筈だったんだ。

……それをあの男……。

君はずっと他国に遊学している事になっていて、伯爵家については後見人に任せると言っていると嘘をついていた。

偽の書類まで用意してね。

だから今回、あのオークションを利用して、君の後見人を我がローズ家に譲り渡す、という書類にサインさせた。

今の君の後見人は、このローズ家の当主である僕の父だよ。

だから、あの男はもう本当に何者でもない」


ノワール様の説明に、私はゴクリと唾を飲み込んだ。


お父様が何者でもない……。

あの、お父様が………。



「でも、そんな書類によくサインしましたね」


お父様は何故そんな書類にサインしたのかしら?

自分が何者でもなくなってしまう書類に。


首を捻っていると、ノワール様の背後にブワッと無数の黒薔薇が咲き乱れた。


……あら……また、幻覚が………。


「さぁね、勝手にオークションの売買契約書類とでも間違えたんじゃないかな?」


ふふっと黒く笑うノワール様に、私はそれっていいのかしら?っと冷や汗を流した。


「心配しなくても、こちらの書類は王家の発行した正式な公的書類だからね。

あとからよく見ていなかったなどと喚いても無駄だよ。

君は正式に我が家の庇護下にあるから、もうあんな人間の元に帰る必要はないんだ」


それを聞いて、私の目からポロポロと涙が溢れた。

とめどなく後から後から溢れる涙に、ノワール様は慌てたようで、私の頬を両手で包む。


「テレーゼ、どうしたの?

具合が悪くなった?それとも僕が何か不快な事を?」


気遣わしげなノワール様に、私は首を振る。


「わ、私……本当は今日、ノワール様に、邸に戻ると、伝える……つもりで、いました」


何度もつっかえながらそう伝えると、ノワール様が顔を青くする。


「それはどうして?何か嫌な事があった?

僕が何か気に入らない?

それなら、なるべく君に関わらないようにするから……。

お願いだからあんな所に戻りたいなんて言わないで。

危険なんだ。君にはもう、酷い目に合ってほしくないんだよ」


懇願するようなノワール様に、私は何度も首を振り、頬を包むその両手に上から自分の手を重ねた。


「ち、違います、ノワール様を気に入らないなんて、あり得ません。

私は、これ以上ノワール様の重荷になりたくなかったんです……。

ここにいると、どうしてもノワール様に甘えてしまうから……だから……」


涙を流しながらノワール様を見つめると、ノワール様は眉を下げて、困ったように微笑んだ。


「ああ、テレーゼ!君を重荷だなんて……。

それこそあり得ないよ。

いいかい?テレーゼ。

僕は君に甘えてもらいたいんだ、もっと、もっと。

それを僕が望んでいるんだよ。

だから、そんな風に悩まないで。

僕に気を使う必要はないんだ。

お願い、テレーゼ、もっと僕に甘えてほしい」


そう言ってギュッと抱きしめられ、私は甘い幸福に胸が満ちるのを感じた。


帰らなくていい、あの邸に。

ノワール様のお側にいられるんだわ。



その言葉に甘く酔いしれ、胸がいっぱいだった私は、その時、ノワール様の小さな呟きを聞き漏らしてしまっていた。




「テレーゼ……ドロドロに甘やかして、僕から離れられなくしてあげるから、ね」

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