episode.6

翌朝私はノワール様に伝える事を頭の中で整理していた。


まず、邸に戻る、という事。

それから、私を救う為にノワール様が支払った5億ギルを少しづつでもお返しする事。


今日は必ずそれをお伝えしなければ。


自分にそう確認している時、ベッドルームにある扉が開いて、私は目を見開いて固まってしまった。



……え?

それは、続き部屋に続く扉?


ベッドルームにもう一つ扉がある事は知っていたけど、てっきり隣は空き部屋だと思っていた。


だけど、今その扉はあちらから開いて、そこから現れたのはノワール様だったのだ。


あまりの出来事に私の頭はぐるぐると回る。


どうして?

この部屋の隣はノワール様の部屋だったの?

それじゃあここはノワール様の部屋の続き部屋?


それでは私が今使っているこの部屋は、ノワール様の将来のご夫君が使う部屋では……!


そこまで考えて、私は慌ててベッドから飛び降りた。

その私を見て、ノワール様も慌てたように私に駆け寄った。


「どうしたのっ?テレーゼッ!」


腰に手を回され心配そうに覗き込まれて、私は申し訳なさに唇を震わせる。


「あ、あの、この部屋はもしかして……ノ、ノワール様の部屋の続き部屋だったのですか?」


私の震えた声に、ノワール様は不安そうにその瞳に影を落とした。


「そうだけど、テレーゼは嫌だった?

……ごめん、それなら今から違う部屋を用意するから……」


そう言うノワール様の表情があまりに哀しげで、私は咄嗟に頭を横に振った。


「い、いえ、私が嫌だとか、そんな事ではなくて……こ、この部屋はノワール様の将来のご配偶者様のお部屋では?」


そんな部屋を私なんかが使っているなんて、なんて事かしらっ!


慌てて少し早口になった私に、ノワール様は頬を染めて少し照れたように答える。


「そうだね。その、僕の将来の、一生を共にする人の部屋だね。

それで、その……テレーゼはこの部屋が嫌ではないって事でいいのかな?」


今度は逆にそう問われ、私は訳が分からず首を傾げた。


「……それは、私はこの部屋に不満などある訳はありませんが。

でも、私には過分過ぎますし、その……私なんかが使ってもいいのか、と」


そう答えると、今度はノワール様が不思議そうに首を傾げた。


「どうして?この部屋は最初からテレーゼの為に用意したんだよ?

この部屋の主はテレーゼ以外に考えられない。

………駄目だった?」


何だか悪戯を見つかった子供のようにばつの悪そうなノワール様がとても愛らしくて、胸が何かに掴まれたように一瞬苦しくなる。


「あっ……いえ、駄目では、決して、駄目なんかでは、ないのですが……」


パクパクと魚のようにそう言うのが精一杯の私に、ノワール様はパァッと大輪の花を咲かせるように美しく笑った。


「良かった。それではこれからもこの部屋を使ってくれるね?」


その眩しいほどの美しさに、思わず目を細め、反射的に頷く。

それにノワール様はますます嬉しそうに微笑んだ。


「そうだ、テレーゼの体調が良ければ、庭で一緒に散歩でもどうかな?」


その提案に、呆然としたまま、また反射的に頷く。


「ふふ、それじゃあ朝食を食べたら支度して、2人で庭を散策しようね」


私はまた無意識に何度も頷いた。



あ、あれ?

えっと、どういう事かしら?

ノワール様の続き部屋が、私の部屋?

最初から?

な、何故?



混乱したままメイドに手伝ってもらい朝の支度を終わらせ、いつものようにこの部屋でノワール様と朝食をとる。


外に出ると伝えると、メイド達は私に暖かいドレスと毛皮のコートを着せてくれた。

更にフォックスの襟巻きまで巻き付けられ、確かに暖かいけれども、子供の頃に戻ったようで何だかこそばい心持ちになり、落ち着かない。


お母様とうちのメイド達も、冬になるとこうやって私をぬくぬくに着込ませ、動きにくいわと文句を言う私に、楽しそうに笑っていた事を思い出してしまった。




その後庭園に案内された私は、そのあまりの美しさに息を呑んで、溜息をついた。


「……なんて素晴らしいのかしら………」


無意識にそう呟くと、隣でノワール様が嬉しそうに微笑んだ。


ノワール様に手を引かれ、庭園をゆっくりと歩く。


冬の冷たい空気に混じって、冬咲の花々の濃厚な香りが花をくすぐった。

霜に濡れたその姿は可憐で、胸が締めつけられるほどに愛しい。


在りし日の邸の庭園を思い出し、目尻に涙が滲む。


幸せな少女時代を過ごしたあの庭園。

いつも季節の花々が咲き乱れ、綺麗に整えられていた、私の夢の楽園だった。


あの場所で沢山の空想に耽り、どれほどの時間を過ごしただろう。


私の可愛い空想のお友達、妖精の姉妹のノアとテティに出会ったのもあの場所だった。

3人で沢山お喋りをして、庭園を駆け回り、お菓子やお茶を楽しんだ。


今でも胸の中でキラキラと輝くあの頃に戻ったような錯覚を感じて、私は自分でも知らないうちに微笑みを浮かべていた。


隣でハッと息を呑むノワール様の気配で我に返り、私は意識が飛んでいた事に気付き頬を染めた。


私ったら、ノワール様とご一緒にいるのに、何て失礼な……。


チラッとノワール様を見ると、ノワール様は優しい微笑みを浮かべ、私を見つめている。


なんて心の広い方かしら。

私もそんな人間になりたい……。


その美しい微笑みに見惚れていると、庭園の端の人口的に造られた小さな湖に辿り着いた。


その湖を見た瞬間にまた息を呑む。


ああ、なんて懐かしい風景かしら………。


口元を両手で押さえて涙を浮かべる私に、ノワール様はおずおずといった様子で尋ねる。


「あの、懐かしい?テレーゼ」


その問いに、湖から目を離せないまま、私は何度も頷いた。


「はい。私の邸にも昔、ここに似た場所がありました。

私と妖精の姉妹、ノアとテティはそこで出会ったんです……」


「……妖精の、姉妹?」


ノワール様に聞き返されて、私はハッとして我に返る。


「あのっ、いえ、何でも無いんです……」


顔を真っ赤にして、ノワール様から数歩離れる。


きっと驚かせてしまったわ。

妖精だなんて。

いい年をして、すごく幼稚な事を口走ってしまった。


恥ずかしくて俯く私との距離をノワール様はたったの一歩で縮めると、真っ赤になった私の頬に触れる。


「どうかテレーゼ、僕に教えて?その妖精の事を」


改めてノワール様にそう言われると、自分の幼稚さに涙が出そうだった。


私は恥ずかしさに顔を上げられず、俯いたままもじもじと口を開く。


「……あの、幼い頃の私は空想する事が好きで……」


おどおどとする私に、ノワール様は懐かしさの滲んだような声で応える。


「うん……それで?」


その優しい声にホッとして、私は続けた。


「それで、ノアとテティは私の空想のお友達なんです。

2人はとても可愛い妖精の姉妹で、お姉さんのノアに、妹のテティ。

いつも3人で楽しく遊んでいました……。

あの、空想の中で、ですが……その、すみません、私、変ですよね……」


段々と声の細くなっていく私の頬を両手で優しく包んで、ノワール様は上向かせた。


「いいや、まったく変ではないよ。

凄く素敵な話だと思う。

ね、2人の事、もっと話して?」


その真剣な眼差しに、私は心がほんわり暖かくなるのを感じる。


お母様が亡くなり、見知ったメイド達が居なくなって、最後まで残ってくれていた侍女もお父様に追い出されて……。


もうずっと、ノアとテティの事を誰かに話す事なんてなかった。

2人はいつしか私の秘密のお友達になっていった。


それも、あの邸で朝から晩まで働き続ける日々に、いつしか2人の事を考える心の余裕もなくなり……。


私はあの幸福に満ちた少女時代と共に、2人の事も失ってしまったのだと思っていたのに……。


ノワール様に連れられて、湖の側にある東屋に腰掛け、私はノワール様に2人の事を聞いてもらった。


お姉さんのノアは妹想いで凄く優しい、そして花のように微笑む、とても綺麗な子。

妹のテティは小さくて砂糖菓子のように愛らしい、でも人見知りで、ツンとしている顔も抱きしめたくなるくらいに可愛かった。


私にツンツンするテティを、ノアが自分のことのように謝ってくれるんだけど、私にはその2人が微笑ましくて、そしてちょっぴり羨ましかった。


……私にも姉妹がいたら……なんて思ったの。

だけど、願いが叶ってお姉様が出来たのに、私達はノアとテティのようにはなれなかった……。



「2人は私が1番辛い時も側にいてくれたんです」


空想の話なのに、ノワール様は呆れたり馬鹿にしたりもせず、真剣に聞いてくれていた。


「それは、母君の亡くなった時のこと?」


ノワール様の問いに静かに頷く。


「……はい。辛い時は沢山ありましたが、お母様が亡くなった時ほど悲しい事はありませんでした。

あの時、2人がいなかったら、私はとても耐えられなかったでしょう」


あの時の事を思い出すのは今でも辛い。

でも2人がいたから何とか乗り越えられたのだ。


「2人は何と言って君を慰めようと?」


ノワール様の問いかけに、私は少し不思議に思いながらも素直に答えた。


「えっと、ノアは、いつか必ず、ボクが迎えに来るからね、と。

テティも、テティの所にきっと来て下さいね、って。

その頃の私は、2人と一緒にいつか妖精の国に行けるのだと本気で信じていました」


ノワール様は私の返事に嬉しそうに笑った。


「そう……でも、もうテレーゼは妖精の国には行けないね。

だってこれからはずっと、僕といるんだから」


冬の空気は冷たいくらいなのに、フワッと笑ったノワール様の周りにだけ春が訪れたかのような微笑みに、うっかり見惚れていた私はすぐにハッとした。


そうだわ!

私、ノワール様に言わなきゃいけない事があるじゃないっ!


やっとその事を思い出した私は、意を決して口を開く。


「あ、あの、ノワール様」


その私と同時に、一羽の小鳥がどこからか飛んで来て、ノワール様の肩に止まった。


その小鳥から誰かの魔力を感じる。

たぶん、本物の鳥ではなく、これは伝達魔法だ。


何故かその鳥の魔法術式が読める気がして、私は瞬時にそう思った。


ノワール様は小鳥の頭を撫でると、ふっと笑う。


「どうやらお客人が来たようだ。

テレーゼ、今から僕の友人に会って欲しいんだけど、いいかな?」


ノワール様のご友人に?

私は急に気恥ずかしくなってしまったけれど、小さく頷いた。


ノワール様のご友人に私なんかを紹介して大丈夫なのかしら。

ノワール様に恥をかかせないようにしなくちゃ。






邸の応接室で1人の男性が私達を待っていた。


金の瞳に長い漆黒の髪。

ノワール様より少し高い背。

整った顔立ちだけれども眉間に皺がよっている。

気難しげな顔をした方だった。


「テレーゼ、こちらはレオネル・フォン・アロンテン。

アロンテン公爵家の嫡子にあたる人だよ」


こ、公爵家っ!


私は咄嗟に深々と頭を下げた。


「テレーゼ嬢、そんなに畏まらないでくれ。

ノワールとは旧知の仲でね。

私とも以後お見知り頂ければありがたい」


レオネル様は一切表情を崩さずそう仰るけれども、私はとてもではないが恐れ多くてなかなか頭を上げられなかった。


「ほら、君は顔が怖いんだよ。

テレーゼを虐めるのはやめて欲しいな。

少しは笑ったり出来ないの?」


気安いノワール様の言葉に、レオネル様は溜息をついた。


「私はそんなつもりは無いんだが……。

テレーゼ嬢、すまなかった。

これは決して気分を害している訳ではなく、私の通常の顔なんだ」


真剣な顔でそう言われて、レオネル様の誠実なお人柄が伝わってくる。


「人に理解を求める前に、自分から変わる努力をしようね」


「う、うむ………」


ノワール様にニッコリ微笑まれてレオネル様は困ったようにたじろいでいる。


私は下げていた頭をやっと上げて、改めてお二人が並んでいる姿をまじまじと見つめた。


……とてもお似合いのお二人だった。

並び立つと、美神と女神のようで。


旧知の仲という事は、幼い頃から仲が良いのだろう。

気心の知れた雰囲気がこちらにまで伝わってくる。


ノワール様とこれほど仲の良い方だもの、雰囲気は少し怖いけれど、悪い方では無いわ。


私はホッと息を吐いた。


駄目ね。

お父様に似た厳しい雰囲気の男性を前にすると、どうしても緊張してしまう。

これではノワール様のご友人に失礼だわ。


私は震える手をギュッと握りしめ、お二人に私の不甲斐なさがバレないように、顔に笑みを張り付けた。


「さ、テレーゼ、こちらに」


ノワール様に促され、私はレオネル様と向かい合う形でソファーに腰掛ける。

隣にノワール様が座ってくれて、肩の力が少し抜ける思いがした。


「テレーゼ嬢、大変な思いをしたばかりだというのに申し訳ないが、君にこれまでの暮らしぶりを聞きたい。

主にお母上が亡くなった後、君がどこでどうやって生きてきたかを」


レオネル様にそう言われ、私は思わずノワール様を見てしまった。

ノワール様は心配無いというように微笑んでいる。


「僕と2人で話しても良いんだけどね、第三者がいた方が確実なんだ。

テレーゼが辛いようならやめておくけど、どうかな?」


心配そうに私の顔を覗き込むノワール様に、私は緩く首を振った。


「いえ、大丈夫です。

その……あまり楽しい話では無いかも知れませんが、宜しいのでしょうか?」


首を傾げると、ノワール様は私の手をギュッと握って頷いた。


「もちろん、君があの邸で経験した全てをあるがままに話して欲しい」


ノワール様のその真剣な眼差しに、私はコクンと頷いた。


「分かりました、ではお話します」


私が改めてレオネル様に向き直ると、レオネル様は懐から小さな水晶を取り出した。


「これは記録魔法の為の魔道具だ。

これで今から君の話を記録させてもらうが、いいかな?」


レオネル様が口の端を無理やりに上げて、努めて柔らかい口調でそう言って下さる。

先程ノワール様に言われた事を気にしてらっしゃるんだわ。

真摯で真面目なその態度に、レオネル様を少し怖いと思ってしまった自分を恥じた。


私も、真摯にお応えしなきゃ。


真剣な顔でレオネル様に向かって頷き、私は自分の今まで生きてきた全てを、お二人に語る事にした……。

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