episode.2
翌朝、私はいつものように目覚めると、邸の掃除を始めた。
この邸を綺麗に掃除出来るのも、今日が最後……。
今や通いの使用人さえいないこの邸は、私が居なくなったら誰が掃除するのだろう……。
そう思うと、せめて少しでも綺麗にしておきたくて、いつもより念入りに掃除をしてしまった。
つい掃除に夢中になり、家族に朝食を出すのが少し遅れた。
その事でお父様に頬を打たれてしまったけれど、こんな痛みともお別れ出来るのだと思うと、何処か体が軽く感じるなんて皮肉なものだと思う。
それからまた、出来るだけの仕事を終わらせ、昼食を出して、また仕事に戻る。
いつもと変わらずに過ごしていると、やはり時間はあっという間に過ぎてしまった。
夕方になり、お継母様とお姉様の支度を手伝っていると、お姉様がクローゼットの奥から真っ赤なドレスを引っ張り出してきて私に向かって投げ付けた。
「醜いお前には勿体ないけど、それでも着れば少しはマシになるでしょ。
私達の為にせいぜい値を釣り上げる事ね」
そう言われてそのドレスを眺めたが、どう見ても私には大き過ぎる。
胸元が大きく開いたデザインで、やせ細った私ではどうやっても肩からずり落ちてしまいそうだ。
「ありがとうございます」
私はお姉様にお礼を言って自室に戻り、そのドレスに着替えた。
真っ赤なドレスは貧相な私が着ると、余計に哀れで滑稽に見える。
やはり大きく開いた胸元のせいでずり落ちてきてしまうので、唯一持っている裁縫道具の中からまち針を取り出し、せめて胸元を繋ぎ合わせた。
「いつまでグズグズしてるんだいっ!早くおしよっ!」
扉の向こうからお継母様の怒鳴り声が聞こえ、私は慌てて返事をしながら自室を飛び出た。
「はい、只今」
急ぎ足でエントランスに向かうと、着飾った3人がイライラした様子で私を待っていた。
お姉様は私を見ると、プッと噴き出して笑った。
「せっかく私があげたっていうのに、何なの、その不細工な姿。
それじゃ私の支払額にもならないんじゃない?」
あははっと声を上げて楽しそうに笑うお姉様の隣で、お継母様が呆れたように溜息をついた。
「本当に貴女は何をさせても不恰好なのね。
そんな事でこのエクルース伯爵家の令嬢だなんて、誰が信じるかしら。
それに比べて、フランシーヌ。
貴女は本当に美しいわ。
貴女こそ、本物のエクルース伯爵令嬢よ。
こんな出来損ない、さっさっと金に変えてこの邸から追い出しましょう」
お継母様の汚い物を見る目に、胸の奥がツキリと痛む。
「そうだな、私の娘はフランシーヌただ1人で十分だ。
こんな娘、さっさと始末しておけば良かったものを」
仏頂面でお継母様に答えるお父様も、嫌な物を見る目で私をチラッと見るだけだった。
「……申し訳、ありません……」
私は震える声でそう答えるのが精一杯だった。
パーティ会場に向かう馬車、私は中には座らせて貰えず、寒空の下、ドレス一枚で御者の隣に座らされた。
かじかむ体を抱きしめながら、自害すれば寒さも感じなくなるんだと思うと、痛いくらいに肌を刺す寒ささえ、私がまだ生きているという尊い証に思える。
パーティ会場に着くと、お父様から仮面を手渡され、共に会場の中に向かう。
お父様は私とお姉様をエスコートしてくださったけれど、お姉様には手を差し出し、私は逃げ出さないように腕を掴まれ、物のように引っ張られた。
会場の中には着飾った人達が仮面を着けて、それぞれに虚楽に耽っている。
誰も彼も美しく豪華な装いをしているが、とてもでは無いが紳士淑女と呼べる人間などいない。
人前で平然と睦み合う男女。
女性を沢山侍らせた男性。
………その逆も……。
この世の醜い欲望をこの場所に全て詰め込み閉じ込めたような……ここはそんな場所だった。
独特の香りの香が、会場中を包み込んでいる。
私はその香りに密かに眉をひそめ、胸元をギュッと握りしめた。
そのお陰で掌にまち針の先が刺さり、香のせいでぼんやりしていた頭がスッキリとした。
私はそっとまち針を胸元から抜いて、掌の中に隠した。
反対の手で胸元を掴み、ドレスがずり落ちないように押さえる。
掌に隠したまち針の先でドレスの上から太腿を刺し、正気を保った。
何故お姉様はこんな所の会員証など持っているのだろうか?
貞淑さを求められる高位貴族の令嬢が出入りするような場所とは、到底思えない。
これからここでオークションにかけられる私が言う事じゃないわよね……。
私はそう思い直し、自嘲的に唇の端だけで笑った。
「ほ〜〜、あの名門エクルース伯爵家のご令嬢ですか……。
これはこれは、これは」
オークションを取り仕切る男が舐めるように私を上から下まで見回して、仮面の下の目をいやらしく歪めた。
「流石はあのエクルース伯爵家のご令嬢。
見窄らしいなりをしていても隠しきれない高貴さが漂っていますね、それに」
男は私の顎を掴むとじっと顔を覗き込んだ。
「痩せこけてはいますが、美しく整った顔、代々エクルース家に受け継がれるというブラックパールの瞳……。
初めてこんな近くで見ましたが、本当に真珠のような輝きですね。
なんて美しい……」
男が舌なめずりするように私に顔を近付けた瞬間、お姉様が男の手を叩き落とし、憎々しそうに男を睨み付けた。
「こんな不吉な色の目っ、美しくとも何ともないわっ!
ただちょっと珍しいだけじゃない。
珍種よ、珍種。
こんな醜い娘がエクルース家の令嬢だなんて恥でしかないわっ!」
男を怒鳴り付けるお姉様を押し退けて、お父様が男に詰め寄る。
「それで、この娘は幾らになりそうなんだっ!」
お父様の問いかけに、男は顎を掴み思案すると、ニヤリとその口の端を吊り上げた。
「そうですね、エクルース伯爵家のご令嬢の乙女を散らす権利ですから……3千万ギルはいくでしょうね」
男の提示した金額に、お父様達は驚愕に目を見開き、直ぐに取り繕うように誤魔化し笑いを浮かべた。
「な、なんだ…そ、そんなものか。
やはりこの娘では大した事ないな」
「そうね、大した事ないわよね、たった、さ、3千万ぽっち…」
「わ、我がエクルース家なら、そんなもの1日で使い切る金額だわ」
口々にそう言いながら、皆ニヤけて頬を緩ましている。
私はそれを見て、内心ホッと胸を撫で下ろした。
どうやら私が競り落とされるであろう金額を気に入ってくれたようだ。
願わくば、ドレスや宝石や贅沢の為ではなく、少しだけでも邸の修繕に使ってくれれば良いのだけれど……。
だけど私は、それは過ぎた願いだと知っていた。
「では、こちらの商品を出品致しますか?」
男の問いに、3人は躊躇無く頷いた。
「では、こちらは大切にお預かり致します」
男はそう言って私の手を取り、奥の部屋に連れて行く。
私が連れて行かれる寸前、お姉様がニヤニヤと笑って小声で耳打ちをしてきた。
「せいぜい気持ちの悪い変態にでも落札されて、忘れられない処女喪失を味わいなさい。
それがアンタにはお似合いよ」
その侮蔑の籠った目に見送られ、私はオークションにかけられる………。
ステージの中央にのみスポットライトの当てられた、薄暗いオークション会場。
次々に様々な物が取引されていく。
中には私のように人が出品されて、落札されていく事もあった。
奴隷として取引されているようだ。
本当にここは違法オークションだったんだ。
落札された人達は、一体この後どんな目に遭うのだろう……。
私は震える両手を組んで、せめて彼らの為に祈った。
……祈る事しか出来ない自分が、とてもちっぽけに思えた……。
「おや?何に祈ってらっしゃるのですか?」
ここに私を連れて来た男が首を傾げながら部屋に入って来た。
「……いえ、何も……」
私は力無く男に答えると、下を向く。
「そうですか、ではエクルース伯爵令嬢様、参りましょう。
いよいよ、貴女の番ですよ」
ニッコリ微笑み差し出された男の手に、震える手を重ねる。
私はその男にエスコートされ、オークション会場のステージに上がった。
スポットライトの中央に立たされた瞬間、オークショニアがよく通る声を張り上げた。
「さぁっ!レディースエンドジェントルマンッ!
いよいよ本日の目玉商品っ!
あの、エクルース伯爵家のご令嬢っ!
テレーゼ・エクルース嬢の登場ですっ!
このテレーゼ嬢を一晩自由に出来る権利を得られるチャンスですよっ!
しかもこのテレーゼ嬢っ!
………まだ男を知らない身体!
そう、まっさらの新品なのですっ!
これを聞いて落札しないなど、紳士とはいえませんよっ!
さぁっ、リザーブ価格は500万ギルから、スタートですっ!」
その声を皮切りに、参加者達によってどんどんと私の値段が上がってゆく。
あっという間に1千万ギルを超え、まだまだ上がっていくようだ。
異様な会場の熱とスポットライトの暑さに、私はクラクラと目眩を起こした。
霞んだ目で見える、会場を覆う仮面の人々。
獣のようにギラついた視線が私を品定めするかのように舐め回していた。
思わず吐き気をもよおし、片手で口を押さえるけれど、吐く物など胃の中に残っている訳が無い。
足に力が入らなくなって、私はその場に座り込んでしまった。
価格が3千万を超えた頃、値段は少しずつ吊り上がっていくようになった。
そろそろ頃合いなのだろう。
私の人生も、もう少しで終わる……。
そう思ってゆっくり目を閉じた時、野太い声で5千万のコールが上がった。
ザワッと会場が一瞬ざわつき、やがてシンッと静まり返った。
誰ももうコールを上げない。
息を飲んでオークションの成り行きを見守っている。
「5千っ!5千万が出ましたっ!
さぁっ、他にはいらっしゃいませんか?
いらっしゃいませんね?
テレーゼ・エクルース伯爵令嬢を一晩自由に出来る権利、5千万ギルにてハンマープライスッ!
では、テレーゼ・エクルース嬢の乙女は貴方の物ですっ!
おめでとうございますっ!」
わぁぁぁぁっ!
会場中が歓声と拍手に包まれた。
5千万とコールした、でっぷりとお腹の突き出た男がゆっくりとステージに上がってきて、蹲る私の手を無理やり引っ張り、会場に向かってにこやかに手を振った。
その男は舌舐めずりしながら私を見下ろし、淫猥な目で舐るように眺め回した。
「5千万ギル分、たっぷり楽しませてもらおう。
縄で縛って後ろから乙女を散らしてやるのもいいな」
ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべる男に、私は申し訳なく目線を下げた。
私は貴方の払った対価に見合う事は出来ません。
貴方と2人きりになった瞬間、舌を噛み切り自死するからです。
対価だけを受け取るつもりなのです。
不義理をどうか、お許し下さい……。
自責の念を感じ、申し訳なさに顔を上げられない私に、その男の付き人らしき人が後ろから私に猿轡を噛ませた。
「んんーーーっ!」
突然の事に顔を上げ男を見ると、意地の悪い笑みを浮かべ私を見下ろしている。
「私は煩い女が嫌いでね。
それに、5千万ギルも払ったのに舌でも噛み切られては敵わんからな」
ニヤ〜ッと笑うその顔に、初めて私の頬に涙が伝う……。
神は全て見ておられたのだ……。
私の浅ましい考えなど、全てお見通しだったに違いない。
この人は、私に5千万ギルを払った。
私はその対価に見合う物をこの人に差し出さなければいけない。
それを愚かにも放棄し、死を選ぶ事など、最初から許されていなかったのだ。
私はポロポロと涙を流し、自分の全てを目の前の男に委ねる覚悟をしなければいけなかった。
「ほらっ!さっさっと来いっ!」
グイッと腕を引っ張られ痛みに顔を歪めた、その瞬間ーーーーー。
バキィッ!と扉を蹴破って、仮面を付けた長身の人物が会場に入ってきた。
その人は物凄い速さでステージまで駆け上がると、私の腕を掴む男を突き飛ばし、その背の後ろに私を庇うと、オークショニアに向かって叫んだ。
「5億ギルだっ!私が5億ギルで彼女を貰い受けるっ!」
その人の言葉に会場が再び水を打ったように静まり返る……。
オークショニアはどうすればいいのか分からず、オロオロと辺りを見回していた。
その時、私をここまで連れて来た仲介者の男がオークショニアの耳元で何事か囁き、オークショニアはその男に小さく頷くと、象牙のハンマーを打ち叩いた。
静まり返った会場に、ハンマーの音だけが鳴り響く。
「そちらの紳士がテレーゼ・エクルース嬢を5億ギルで落札なさいましたっ!
これにて、ハンマープライスッ!」
オークショニアの叩くハンマーの音に、我に返ったように会場が一気に沸き立った。
熱気をはらんだ歓声が上がり、会場中から割れんばかりの拍手が巻き起こる。
高額取引に観客は興奮してその場に立ち上がった。
私を背に庇っていたその人はホッとしたように肩を落とすと、こちらに振り返り、私の口にキツく噛まされた猿轡を外してくれた。
スポットライトの光が逆光して、その人の顔はよく見えない。
だけど、私を気遣うような、優しい雰囲気を感じた。
「テレーゼ嬢、失礼」
そう言って、その人はふわりと私を抱き上げた。
「こんな所にいつまでも貴女を居させたくない。
失礼ですが、このまま移動しても?」
気遣うような声色に、私はコクッと小さく頷いた。
何が何だか分からない。
でも、私を抱き抱えるその腕の温もりが心地よくて、抗う気になどなれなかった。
「待てっ!その女は私が先に落札したんだっ!
後からどんな値を付けようと、絶対に渡さんぞっ!」
私に5千万ギルの値を付けた男が荒々しい怒鳴り声を上げた。
私を抱いたままその人がその男を一瞥すると、男はヒュッと息を飲み込み、静かになった。
キツく抱きしめられて、その人の胸に顔を埋める形になっていた私には、その時その男が、その人のどんな表情に黙り込んだのかまでは分からなかった。
ただ、急に空気がヒヤリと冷たくなって、私はブルっと体を震わせた。
「申し訳ありません、そんなドレス一枚では寒かったでしょう」
その人がそう言うと同時に、黒髪黒目の女性が音もなく現れ、私に上等な毛皮をかけてくれた。
「あ……あの、このような……私などに……」
カラカラに乾いた喉からやっと声を絞り出すと、その女性は無表情のまま下がってしまった。
私を抱いたまま舞台の袖に入っていったその人は、私をここに連れて来た男に気付くと、スタスタとその男に近付き、優しく私を肩に担ぎ直して、無言のままその男を拳で殴り飛ばした!
派手な音を立てて男が吹っ飛ぶと、すぐに私を両手で抱き直して、壊れ物のように優しく抱きしめる。
「あんな物を口に噛まさせられる前に連絡下さればいいものをっ!
どんな思いで待っていたと思うんですかっ!」
その人が低く険しい声色で男を怒鳴りつけると、男は殴られた頬をさすりながら情けない声を出す。
「確実に取引された証拠が必要だって言っておいたじゃないか〜。
君だって取引後に5億ギルの交渉をする筈だったのに、ステージに上がっちゃうしさぁ。
この後どうすんのよ?まぁ、何とかするけどぉ」
男は口の端が切れたようで、唇から血を流し、恨みがましそうにそう言った。
その男を凍てつくような目で睨み、その人は無言で踵を返す。
「先程は失礼致しました。さぁ、行きましょう」
優しく私にそう語りかけ、その人は長い足で颯爽と会場を後にする。
その肩越しにステージ上がチラッと見え、そこには私を最初に落札した男が呆然と座り込んでいた。
その男に、先程の女性そっくりの黒目黒髪の男性が耳元で何事かを囁き、男が驚愕に目を見開いた後、青白い顔でその場に静かに崩れる姿が見えた………。
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