乙女をオークションに出品され氷の騎士様に落札されました

森林 浴

episode.1

ギラギラと輝くシャンデリア。

仮面をつけ笑い合う人々。

皆、口元だけが真っ赤にぬらついて、私は喉元に込み上げるものを必死に抑え込んだ。


吐くものなど無い事は分かっている。

それでもむせ返る香水の匂いに嘔吐が込み上げてきた。


ここは、仮面パーティの会場。

美しい装いをした者達が顔に仮面をつけて思い思いに虚楽に耽っている。

そういう類の仮面パーティだからだ。


香水の匂いに混じった香の匂いは合法のものだろうか?

香は会場中を包み込むように焚かれていて、その中で蠢く人々は、とてもでは無いけれど普通の状態とは思えない。


まるで剥き出しにされた欲望そのままのように見えて、私は何度も自分の太腿にまち針を刺した。



この後の事を考えれば、私も理性を手放し香の香りに身を委ねた方が楽なのだろう。

それでも私はそうする気にはなれなかった。

どうしても……。


先程から自分を保つ為に使っているまち針は、大き過ぎる姉のドレスの胸元を止めていたもの。


私は碌なドレスを……そもそもドレスなんて持っていないから、姉が要らなくなったドレスを今日の為にくれたのだ。


こんな日の為とはいえ、お姉様から物を貰ったのは初めての事だったので、本当は涙が出るほど嬉しかった。


その気持ちをお姉様に伝える時間もなかったけれど。


だけどそのドレスはやせ細った私には大き過ぎて、どうしても胸元が隠せなかった為、やむを得ずまち針で胸元を止めていたのだ。

私はそれくらいしか持っていなかったから。


それがこんな事で役に立つなんて……。


意識が朦朧とする度に、まち針で太腿を指しながら、ああ、私の人生はどうしてこうなってしまったのかしら、と思わずにはいられなかった………。









幼少の頃の私は空想好きの少し変わった女の子だった。

現実と空想の境界線が曖昧で、よく空想の話をお母様やメイドに話して、微笑まれていた。


私はエクルース伯爵家の一人娘。

テレーゼ・エクルース。


…………その頃はまだ。



邸の庭園で可愛らしい妖精の姉妹とお友達になった話を、優しいお母様はいつも楽しそうに聞いてくれていた。


その頃、お父様はお仕事で忙しく、殆ど邸に帰って来なかった。

宮廷魔道士だったお母様も、毎日王宮に参じて忙しくされていたけれど、必ず私との時間を設けてくれていた。


たまに会うお父様はいつも私を睨み付け、厳しい方で、甘えた記憶など一つもない。

けれど、お母様は優しく穏やかで、愛情深く私を慈しんでくれた。


忙しい両親の元でも、私は幸せな少女時代を過ごしていたと思う。

大好きなお母様と空想の世界。

優しい侍女やメイド達。

可愛いドレスに囲まれて、フワフワと幸せの中で生きていた。



それが突然に変わり果てたのは、10歳の頃。

お母様が戦地で亡くなり、直ぐにお父様が新しいお継母様とお姉様を邸に連れて来られてから……。


平民であったお継母様とお姉様は、邸の様相を一変させた。


お母様の趣味で美しく清楚に整えられていた邸は、日に日にギラギラと派手に装飾されていき、値段ばかり高い悪趣味な家具で一杯になっていった。


お継母様とお姉様は自分達のドレスや宝石に湯水のようにお金を使い、いくら由緒正しい伯爵家とはいえ、あんなに贅沢していて大丈夫なのだろうか、と幼心に思ったものだ。


きっとお父様の事業で潤っているのだろう、と思っていた。

お父様は私には1ギルも使ったことは無いが、お継母様とお姉様には際限なくお金を遣わせていたから。



私の持っていたドレスや装飾品は全てお姉様に取り上げられ、専属の侍女だけを残し、メイド達は全て解雇されてしまった。


メイドだけでは無く、お母様が信用に足る人間だと雇っていた執事や侍従も全て解雇され、新しく通いの使用人が何人か雇われたけれど、それだけではこの広い邸を維持する事は出来ず、

私は朝から晩まで邸の仕事を命じられ、使用人のように働き続けた。


部屋も以前メイドが使っていた一室を与えられ、邸の事なら何でも出来るようになれ、と命じられた。


最初は何をすればいいのか分からず失敗ばかりで、よくお継母様とお姉様になじられ笑われていたけど、三年もすれば仕事にも慣れ、手際も良くなってきた。



朝はまず、家族の朝食の用意、それから通いの掃除婦達と邸の掃除。

朝の遅いお継母様とお姉様の身支度を手伝い朝食を出すと、直ぐに洗濯、終われば朝食の食器を下げ洗い、昼食の準備、また掃除をして家族に昼食を出し、食後の食器を下げ、繕い物をしたり、また掃除をしたり、洗濯物にアイロンをかけたり……。

そうしているとあっという間に1日が終わる。


夕方になると通いの使用人達は帰ってゆく。

家族は毎晩どこかのパーティに出かけてゆくので、夕食の準備は必要無い。



不思議なもので、お母様が生きていた頃は仕事でほとんど邸にいなかったお父様は、今では毎日邸にいて、仕事に出かける様子も無い。


きっと毎日出掛けなくても良いくらい、事業が安定したのだろう。


3人は毎夜パーティに出掛けられるくらいだから、お父様の事業は大成功しているに違いない。


夕方になると、お継母様とお姉様の出掛ける用意を手伝い、その後深夜まで邸の仕事をして1日が終わる。



それから更に4年くらい経ったころ、いつも家族から私を庇っていてくれた専属の侍女まで解雇されてしまった……。


それからは、食事など摂る時間もないくらいに忙しくなっていった。


通いの使用人の数もどんどんと減っていったからだ。


夕方、お継母様とお姉様の支度の手伝いを終えたら、昼食の残りを急いで食べる。

それさえも無い日もあった。

それから邸の仕事の続きをしても、まったく追いつかない。


翌朝、邸の仕事が終わっていないと家族から激しく責められた。


どうしようもない穀潰し。

養ってもらっている身で仕事をサボる恩知らず。

何をやらせても人並みに出来ない屑。


口々に責め立てられていると、心がどんどん萎んでいって、その内感覚が麻痺していき、何も感じられなくなっていった……。



邸の浴室を使う事を厳しく禁じられていた私は、1日が終わると裏にある井戸の水で身体を拭くだけだった。


冬は歯の根が合わない程震えが止まらなかったけど、幼い頃からの習慣で、少しでも清潔にしていないと落ち着かない。


満点の星空を見上げると、幼い頃の美しい思い出が蘇ってくる。


今はもう誰も手入れをせず、放ったらかしになって荒れ果てた庭園は、昔はそれは美しい場所で、私の1番のお気に入りだった。


色とりどりの花が咲き乱れ、小さな人口の湖があって、そのほとりで沢山の空想に耽った無邪気な日々。


中でも1番のお気に入りの空想は、愛らしい妖精の姉妹と遊ぶ事だった。


2人は、お継母様とお姉様が邸に来て、私の生活が一変してしまった後も、そっと私のベッドに訪ねて来て、お母様を亡くして嘆き悲しむ私を慰めてくれていた。


真紅の髪に、ボトルグリーンの瞳の姉は、ノア。

ピンクローズのふわふわの髪に、エメラルドグリーンの瞳の妹、テティ。


2人ともお人形のように可愛らしかった。

優しいお姉さんのノアはテティをとても大切にしていて、私がテティを誉めると、花が綻ぶように微笑んで、とても嬉しそうだった。

テティはちょっと意地っ張りだけど、砂糖菓子みたいに甘くて可愛い女の子。

ちょっと吊り目の瞳で見つめられると、フニャッと溶けてしまいそうになる。



『テレーゼ、可哀想に……そんなに悲しまないで、いつか必ず、ボクが迎えに来るからね』


『テレーゼお姉様、テティの所にきっと来て下さいね』


お母様を亡くして悲しむ私に、2人はそう言ってくれたの。

だから私は、いつか私も2人の住む妖精の国に連れて行ってもらえるのだと、この辛い日々も耐える事が出来た。



……だけど、私にだけ厳しいこの邸で、いつしか私は空想することすら出来なくなっていった……。


妖精の姉妹は、もういない……。


あるのは山積みの仕事と、醜くやせ細った自分だけ。


朝から晩まで疲れ切っていて、目の前を覆う現実は常に灰色。

色とりどりの夢の庭園には、もう戻れそうになかった……。





気付けばもう19になっていた。

この国では16歳で成人と認められる。

貴族の令嬢は16歳になる年に社交界デビューを王宮でお祝いするのだけど、もちろん私は出席していない。


誰にも気付かれず成人して、気付けばもう結婚適齢期、いえ、このまま直ぐに行き遅れと呼ばれる歳になるだろう。


でも、私には元から結婚など関係の無い話。

きっと一生このまま、この邸で使用人として朝から晩まで働いて、いつか死ぬんだわ。


お母様とは違うけれど、これもこの邸を守っている事になるかしら?


そうならいい。

それなら少しは報われる。


水仕事で荒れてひび割れたこの手も、誇りに思えるから。


そんなほんの少しの希望に縋って、何とか生きていた……。






そんな日々さえ、無残に引き裂かれる時が来る。



その日、お父様は酷く酔っていて、出先から帰るなり、私を怒鳴りつけ髪を引っ張って引き摺っていった。


呂律の回っていない舌で怒鳴られ、何を言われているのか分からなかったけれど、辛うじて、この役立たず、お前の母親のせいで、お前もあの女と同じだ、そんな言葉だけ聞き取れた。


だけど理由が分からない……。

お父様は、ただただ私とお母様を責める言葉を吐き続けるだけで、それが何故私とお母様のせいなのかは理解出来なかった。


応接室に投げ捨てられ、肩をテーブルに酷く打ち付けてしまったけれど、お父様は気にする様子もなく私を怒鳴り続ける。



「また融資を断られたのですか?」


開け放たれた扉の向こうから、お継母様が呆れたような声でそう言い、入ってきた。


「そんなっ!私新しいドレスを注文したのよっ!

靴も宝石もっ!支払いはどうするのよっ!」


金切り声を上げて、お姉様も入ってくる。


「この娘の母親がもっと国から弔慰金を貰える働きをしなかったせいだっ!

あんな雀の涙のような金額っ!

何の役にも立たなかったっ!

その娘も役立たずで、邸の仕事もまともに出来やしないっ!

全てこの母娘のせいだっ!

私の人生を台無しにしやがってっ!」


お父様が持っていたステッキを振り上げ、それで私を激しく打ち付けた。


「キャッ!」


先程テーブルに打ち付けたのと反対の肩をステッキで殴られ、私は反射的に悲鳴を上げた。


鈍い痛みが肩からじわじわと広がってゆく。

痛みと恐ろしさに震える私を見下ろしていたお継母様が、溜息を吐きながら口を開いた。


「この娘をどこぞの好色な金持ちの後妻か妾として売っ払いましょう。

まだ高く売れる歳のうちに。

器量が悪くても若い娘なら良いという好色家はいくらでもいますよ」


お継母様の言葉にお姉様が嬉しそうにその顔を歪めた。


「あ〜あ、アンタ、そんな所に売られたら、どんな目に遭わされるか分からないわね。

初めてが好色爺だなんて、まぁ、醜いアンタにはお似合いかもね。

どうせこのまま使う事もなく腐るだけの処女だったんだから、それでも有難いと思いなさい。

………あっ、ねぇ、ちょっと待って!」


お姉様が良い事を思い付いたかのように、その顔を輝かせた。


「どうせ売るにしても、今から相手を探して婚姻や妾契約なんかしていたら、私の支払いに間に合わないわ。

その間、コイツを遊ばせておくのも無駄な事よ。

ねぇ、売り付け先が見つかるまで、コイツをオークションにかけましょう」


お姉様の言葉に、お父様は難しい顔のまま首を傾げた。


「それは、どういう事だ?」


そう問われたお姉様は、悪戯っぽく片目を瞑る。


「私、会員制の秘密のパーティを知っているの。

そこでは何でも売り買い出来るのよ。

オークションにかけて競りで売る事も出来るの、何でもね。

例えば、伯爵家の令嬢の処女、とか」


そう言って、ニヤニヤと笑いながら私を見下ろすお姉様。


途端に、同じようにニヤニヤと笑い出すお父様とお継母様。


「なるほど、ここまで醜くては使い物にならんと思っていたが、少しは役に立ちそうだ」


ステッキの先で顎を掬われ、私はガタガタと身体を震わせた。


「早速明日そのパーティが開かれるから、コイツをオークションにかけて金に変えましょ。

最初は処女って付加価値があるから、きっとこんなんでも高く売れるわよっ!

次からは……そうね、何とか誤魔化せばいいわ」


ワクワクとしたお姉様の様子とは正反対に、私はこの世の終わりかのように青褪めていた。


「それじゃ、私はこの娘の売り付け先を探しておきますね。

人に言えないような酷い趣味を持った人間なら、大人しく従順で帰る家の無い娘に金の糸目もつけないでしょうよ」


楽しそうに顔を歪めるお継母様をぼんやりと眺めながら、私は本当にあの妖精の姉妹とのお別れが来たのだと、胸の中で哀しみに暮れた。



さようなら、ノア。

さようなら、テティ。


この先貴女達が本当に私を迎えに来てくれても、私は妖精の国には一緒には行けないわ。


穢れた身体では、妖精の国には入れないでしょ?


今まで、ありがとう。

本当はずっと、いつか貴女達が迎えに来てくれるんじゃないかと、淡い淡い期待を持っていたの。


だからこんな生活も、ギリギリのところで耐えてこられたのかもね。



いいえ、まだ希望を捨てては駄目。


……明日はこの身を穢される前に、エクルース伯爵家の令嬢として、誇り高き宮廷魔道士だったお母様の娘として、潔く舌を噛み切って自害しよう。


お父様も、お金さえ受け取れば満足な筈。

そのようないかがわしいパーティで私を競り落とすような人が、後から何処かに訴えるなんて事、きっと出来ないわ。


お金を払う人には申し訳無いけれど。

せめて最後は自分の我儘を通したい。



清い身体のままならば、魂だけでも妖精の国に入れるかしら?


あの2人は再会を喜んでくれるかな?

そうだといいな。


いつかのあの花に溢れた美しい景色に還れるかも知れない。


そう思えば、何も辛い事なんてないわ。


もう少しだけ、待っていてね、ノア、テティ。

私からそちらに行くから。


そしたらまた、沢山一緒に遊びましょう。

幼かったあの頃のように………。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る