第5話 Work/仕事 その1

朝のエンジェルシティも、夜と遜色ないほどに混沌としていた。

ネオンの看板とビルに貼り付けられたモニターから流れる電子広告がひしめき合っていた。

ビル群の間には、何世帯もの鳥が巣を作った木のようにモノレールが張り巡らされ、縦横無尽に交わっていた。

こんな昼間でも、一歩間違えばブラックマーケットで犯罪に巻き込まれてしまう。



フランツは商業ビルの誰でも使える立体駐車場に車を停め、ドアを開けて降りた。

ジェスもそれに続く。


「あなた、駐車料金は払えるの?」


「いや、どうせこの車はもう使わない。もし駐車料金を請求されたとして、ソイツを支払うのはアトラスだろうよ」


それを聞いたジェスは「フフッ」と笑った。


「君は笑ってばかりだな」


様子を見ていたフランツが疑問に思ったように口を動かす。


「だってあなたといると楽しいんだもの。アトラスにいた頃は、こんな体験も、あなたみたいに面白い人もいなかったから」


「君のいたところはたいそうつまらなかったんだな」


「そうね」


そう話しながらジェスが立体駐車場から出ようとしたとき、フランツが「ちょっと待て」と声を上げた。


「どうしたの?」


ジェスが振り向いて声を掛ける。

見ると、フランツは駐車場の隅の排水溝に手を突っ込んで何かを探していた。


「何をしているの?」


「ああ、ちょっと待っててくれ...お、あったぞ」


そう言ってフランツは、排水溝から汚れた手を出し、得意げにジェスに手に持ったものを見せた。

それは綺麗な円形の、電子通貨の入ったコインだった。


「どこでそんなものを?」


「ああ、いざという時のためのへそくりみたいなもんだ。アンディーに捕まった時に、1クレジットも残らずとられたからな」


そう言ってコインをポケットにしまった。


「中に入ってるのは、ざっと10クレジットくらいかな」


「結構少ないのね」


「君も今一文無しだろ?」


ジェスは「そうね」と言って歩き出した。

立体駐車場を出ると、朝日が照りつけ、急に眩しくなって、つい二人とも手で陽を防いでしまう。

そうして表の人間が慌ただしく経済活動を始めたエンジェルシティを歩き出した。


ビルの電子広告では、アトラスのプロパガンダが流れていた。

それはアトラスでのやりがいや高待遇などを宣伝するものだったが、少なくともフランツにはプロパガンダに見えた。

表の人間はきっといつもこんなものを見ているから、アトラスをいい企業だと思ってるんだろう。

フランツはそんなことを思った。

裏の人間、つまりは暗黒街やブラックマーケットに出入りする犯罪者の大半は、足し算のやり方を知っているように、アトラスがどす黒い企業であることを知っている。



フランツは孤児だった。

親は行方不明で、健全に暮らしていたのか、犯罪者だったのか、それとも野垂れ死んだのかさえ分からなかった。

生まれてすぐに捨てられてから、孤児院に拾われた。

企業の独裁と汚い犯罪が全てのこの街にも、ときたまこのような良心が現れる。

この世に生を受けてすぐ、絶望へと弧を描いて向かっていたと思われた人生は、エンジェルシティの少ない良心によって救われた。

それからは、それなりに楽しく同じ孤児たちと過ごしていたが、フランツが他人を思いやる行動を取ったことはなかった。


10歳の頃、フランツは孤児院の先生とともに心理カウンセリングを受けた。

そこでいくつかの質問に答える心理テストをやった。

フランツは、わざわざ金を払ってこんなものを受けるのは馬鹿げている、と思っていたが、結果はもっと馬鹿げたものだった。

全ての質問のうち、幾つ当てはまったかはもう忘れてしまったが、その心理テストの担当者に、「反社会性パーソナリティ障害」、つまりはサイコパスの可能性が高いと言われた。

フランツは馬鹿げている、と思ったが、それとは別でどこか納得もしていた。

それがいなくなった親のせいなのか、それとも自分の生まれつきなのかはどうでもよかった。

ただ一つ分かるのは、フランツの心は冷え切って、まるでコールドスリープのような状態にあり、心がそれから目覚めることはきっとないだろうということだけだった。

フランツは自分を欠けた人間だと自覚していた。



14歳になって、フランツは数人の仲間とともに孤児院を出た。

特に行くあても無く、仲間とともにひったくりやこそ泥、空き巣などをして生きてきた。

そんな生活を1年ほど続けていたとき、仲間の一人がブラックマーケットで仕事をしようと言い出した。

それに反対する者はいなかった。

そこからは、主に下っ端として運び屋の仕事をしていた。

指定のものを、指定の場所で受けとり、指定の場所まで届ける。

これだけで金がもらえた。

しかし自分の体を改造できるほど裕福ではなかった。

エンジェルシティのブラックマーケットでは、生身の人間の方が珍しい。

少なく見積もってブラックマーケットの犯罪者やハッカーの9割が義体や神経チップを埋め込んでいた。

自らの体を改造するということは、自分の単純な戦闘力や、財力、権力などを誇示することにつながるからだった。

生身の肉体の人間は肉の牢獄に囚われているとさえ揶揄させるブラックマーケットで、フランツは生身のまま、一切の義体やインプラント入れず、馬鹿にされながら生き延びてきた。


一時期はハッカーになりたいとも思っていたが、それは一時の気の迷いだった。

ハッカーは、企業の情報を狙う命知らずに雇われる。

特注のデバイスと接続して、電脳空間サイバースペースへドライヴし、サーバーへ入り込んで情報を盗む。

コンピューターからコンピューターへとアクセスして情報を抜き取る旧時代のハッキングは終わりを告げ、今やテクノ犯罪はハッカー自身がドライヴする時代へと変わったのだった。



立体駐車場を出てしばらく、ジェスは行き先も知らずにフランツへついて行き、歩くうちに人気のない路地へと足を踏み入れて行った。

行き先を疑問に思ったジェスが声を掛ける。


「どこに向かってるの?」


それを聞いたフランツは、立ち止まってジェスの見てから、こう言った。


「ブラックマーケット」

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