第2話 Run/逃走

亜空間から出た青年は、今までに感じたことのない快楽に包まれた。

それは覚醒剤メタンフェタミンや、その他青年が接種したどの快楽物質よりも上だった。

青年の頬は紅く煌めき、顔は光悦していた。

それに、さっきまで棒のようだった足の疲労を感じないことに気がつく。

このインプラントには興奮作用があるのか、と自身も興奮に包まれながら青年は考えた。

このまま使い続ければいずれ快楽から抜け出せなくなり、中毒者ジャンキーになってしまうかもしれない。

そう思ったが、彼の思考は押し寄せる快楽の波に飲まれ、頭の奥へと消えていった。


突然彼の頭上を風が吹き抜ける。

最初は大きな鳥が飛んでいったと思ったが違った。

風が吹き抜けると同時にローターの音がして、青年は頭上を見上げる。

ビル群の間を飛行する大きな鳥の正体は、アトラスの攻撃輸送機だった。

青年はどこだったか、それを見たことがあった。

確か「ブラックバード」と呼ばれていて、機体は果てしない宇宙のように黒く塗装されていたのを覚えている。

これはアトラスの正規軍のために開発されたもので、

攻撃能力と高い兵員輸送能力を持った、前時代的な言い方をすれば軍用ヘリコプターのようなものだった。

それが出てきたということは、アトラスの正規軍が出てきたということだ。

治安維持とは訳の違う、外敵と戦うための軍隊が青年を追ってきたのだ。


ブラックバードはネオンのビル群を滞空したままハッチを開き、中から8体の武装した兵士を吐き出した。

兵士たちは青年の周りを取り囲むように着地し、青年へ銃口を向ける。

持っているのはカスタムの揃ったSCARだった。


『武器を地面に置いて、手は頭に。大人しく投降してください』


兵士の一人が機械音声でそう声を発する。

それは女性の声で、治安部隊の兵士ほどの不気味さは感じられなかった。

青年は何も言葉を発さない。

その変わりに発したのは、「フェイズシフト」の緑の光だった。


兵士たちの有機プラスチックの人工眼球の視界から、青年の姿が消える。

次の瞬間、青年は兵士の一人の後ろへ回り込んで姿を表した。

呆気に取られ、動きが遅れた兵士の両手首を青年は左手で掴み、右手で兵士の腰に手を回し、ぶら下げている破片手榴弾のピンを引き抜いた。

そのまま敵の体を前に蹴り上げ、青年はまた亜空間へと姿を消した。


一瞬の出来事だったが、すぐに状況を理解した他の兵士たちは、手で頭を守り地面に飛び込むようにしてできる限り手榴弾の破片を喰らうのを防いだ。

直後に乾いた爆発音が鳴り響き、手榴弾の破片とアンドロイド特有の白い人工血液が路上へ飛び散った。

無事だった兵士はすぐに立ち上がり、青年を追うために走り出した。


青年はまた路地を走っていた。

地面に散らばったゴミを避け、塀を乗り越えて夜のエンジェルシティを駆けた。

「フェイズシフト」を立て続けに発動し、快楽で意識が"向こう側"へ飛びそうだった。

不意に彼は自分の右の鼻の穴に違和感を感じ、それを人差し指で確認した。

夜の街の光に照らされ、人差し指には赤茶色の液体が付着しているのが分かった。


次に青年が路地の角を曲がると、そこに立っている一人の少女が目に入った。

色白で、白いワンピースを来て、髪は地面に着きそうなほど長く、力を入れれば簡単に折れてしまいそうだった。

少女はこちらに向かって右手の掌を向けてきた。

青年はそれが何を意味するのか分からず、そのまま駆け抜けようとし、口を開いた。


「おい、ちょっとそこどいて...」


青年がそう言い終わる前に、青年の体に、とりわけ脊髄に鋭い痛みを感じ、青年の意識は沈んでいった。

少女の後ろから、「ATLAS」と書かれた徽章を肩に着けるアンドロイド兵たちが出てきて、青年を取り囲んだ。

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