SHOW2 クラスメイト

 その日私は日直で、放課後日誌を職員室へ届けることになっていた。


 もう一人の日直は前の席の人だけどあまり話したことのない男の子で、自分の分を終わらせると走って部活に行ってしまった。


 私は特に部活には入っていないし用事もない。家に帰っても勉強と寝ることくらいしかやることないので、教室に残ってのんびり日誌を書いていた。



 グラウンドから掛け声が三階のここまで届く。


 余談だけど、今この教室には私の他にもう一人いる。窓側の後ろ二番目の席から見える真ん中に座っていた。

 ここからではよく見えないけれど、多分勉強をしているのかなと思う。


 その正体はクラスメイトの八瀬やせくん。四角いメガネをかけていて、学年でも有名なほど成績が良い。噂によればほとんど全てのテストの一位を独占しているみたいだった。

 運動神経も抜群で、周りからは完璧超人と呼ばれている。そして八瀬くんはクラスの学級長を務めていた。


 私自身あまり関わったことはないけれど、よく噂は聞くから不思議と頭にその情報は入っている。



 私は書き終わった日誌を持って、八瀬くんの邪魔にならないように教室を出た。



 今は1学期中間テストが終わった時期で、運動部は夏休みの大会に向けて練習をしているだろうし、文化部は二学期の中間テスト明けにある文化祭に向けて活動している。


 どこからか遠く、僅かなメロディーが聞こえた。きっとそれは音楽室からで、吹奏楽部が練習でもしているのだろう。




 音楽室の近くを通り過ぎ、一階へ降りて戸を開けた。開けた先は渡り廊下になっていてきれいに手入れされた中庭がよく見える。


 私は放課後に人気のないここのベンチでぼーっとするのが楽しかったりする。

 趣味、といえば少し違うかもしれないけど。



 だけど、今日中庭から聞こえたのは気持ちよくて優しい風の音ではなく、人の声だった。



「ってっめえ、ふざけんじゃないぞっ!」



 聞こえたのは、低く怒った男性の声。

 ……生徒だろうか。手前の出っ張った壁で丁度見えないけど、その人が誰かを怒っているのはわかった。


 私は足を止め、耳を傾ける。


 普段は聞かないような怒鳴り声に私は思わず身体を震わせてしまった。

 これが本能で感じる恐怖?

 な、何を言ってるんだろ。本能とかの話じゃなくって。とりあえず、どうにかしなければ。



 多分、学校で喧嘩すると色々まずいのではないだろうか。て、停学処分とか……?

 学校外での喧嘩のほうがもっと危ないだろうけど、学校内での喧嘩も処分は重いだろう。

 見つかったらきっと大変なことになってしまう。


「ほら、土下座して謝れよ!」


 今まで怒鳴り声がひっきりなしに聞こえていたのに、静かになったとたん耳に入ってきたのは謝罪を促す言葉だった。


「いやですね。土下座なんてめんどくさい」


 返答するようにそんな声が聞こえる。怒鳴られていた相手だろうか。

 いや、なんて言ったらまた怒鳴られることが分かっているはずなのに……めんどくさいって。


 私は何もできずに、その会話をただ聞くことしかできない。

 そんな自分が、怒鳴っている人より醜く思えてしまった。


 そのとき。


「だーかーらー、お前が土下座してごめんなさいって謝れば全て解決なんだよっ!!」


 どんっ、と鈍くいやな音が響く。


 恐怖から、私はきゃあっと小さく情けない声を発する。

 ……きっと殴られたんだ。

 周りには誰もいない。


 ……私が、私がどうにかしないと。


「あ、あのぉ……っ!」


 考え抜いた結果出てきた声は、それだった。

 自分にとっての精一杯の大きな声が、お腹の底から出る。


 足はすくんで一歩も動かなかったけど、目をぎゅっとつむって胸の日誌を抱きしめた。



 すぐにバタバタと、複数名いたことを示すたくさんの足音が聞こえた

 私は渡り廊下の段差を降り、壁の向こうへ行く。


 ……その先には、座っている男子生徒がいた。

 あれ、全員逃げたんじゃなかったんだ。


 多分残っているのは殴られた方で、さっき逃げてしまったのが殴ったほうだと勝手に推測する。


 しかも、思ったより近づいてしまった。男子生徒との距離は、約5mほど。


 ……に、逃げないと。


 だって見つかって、この知らない人だったらどうしよう。

 昔から知らない人と話すのは苦手で、私は初対面の人と話が弾むほどコミュニケーション力もない。

 遠ざけてきたから、高校生になっても仲のいい人が一人もいないのだけれど。



 殴られた人が殴った人とどんな関係があるのかはわからないけど、仲が悪いってことは多分合ってる。

 それにもしこの人を私が知っていたとしてもそれは一方的なもので、彼は私を知らない可能性のほうが圧倒的に高い。


 逃げたいのに足が固まったように動かない。怖い。だけどそのまま、立ち尽くしていた。



「誰ですか」


 しばらくいると、男子生徒の声が耳をかすった。低いけどその中に甘さが少しだけふくまれているような柔らかい声。

 土下座を拒否した人のだ、多分……。



「わ、わたっ、私は、一年三組四番、宇野うのほのみですっ」



 つっかえる声が震える。


 家族以外の人と話すのは、いつぶりだろう。

 つくづく私はほんとにだめだなあと思ってしまう。


 その人は、私の方へゆっくりと身体を向けた。


 ……あっ。


 その瞬間、ふわりと風が舞って男子生徒の髪がなびく。

 形の整った顔立ちにきれいな肌。目にかかる前髪、その姿に見覚えがあった。



「そ、染原そめらはくん……?」



 そっとクラスメイトの名前を口にするけど、彼は答えてくれなかった。

“染原くん”。それは確かに私のクラスメイト。


 スクールカースト底辺の私とは違い所謂“リア充”の染原くんは、私なんかとはまったく関わりのない人。

 だから、私が染原くんを知っていても、染原くんは私の存在を知らない可能性がある。


 ……その染原くんに、さっきの間いったい何があったんだろうか。


 染原くんは明らかに怪我をしていて痛そうなのに何事もなく立ち上がった。

 それが私は心配になって、いつもなら絶対しないのに手を少し伸ばしてしまう。


 しかしそれはすんなりと払われてしまった。



「大丈夫だから、そんな心配しなくても」



 視線は逸らされたけど、質問には答えてくれなかったけど。

 拒絶されたはずなのに、私を認識していて話してくれたことが何故か胸が熱くなるほど嬉しい。


 理由は分からないけど、なんだか涙が出てきそうだった。

 そのとたんふっと足から力が抜け、その場に座り込んでしまう。


「……なんだよ」

「う、うれしいなって……」


「はあっ?」



 呆れながら私の口から出たわけのわからない言葉を拾ってくれるように、目の前に手が差し出された。

 だけどしばらく立つ気にはなれないみたいで、首をふってありがとうございますとお礼を伝える。


 差し出された手はなくなり、ぶらりともとに戻るように力が抜けるのが分かる。

 今更気づいたけど、ここは人工芝だといってもほこりや靴についた土などで地面は薄汚れているから、きっとスカートも汚れているだろう。



 すると染原くんも私の近くへ腰を下ろした。

 何も話しかけては来なかったけど、何も聞かれないことが私にとって大きかった。

 本当は触れてほしいなんて、ほぼ初対面みたいな染原くんには言えないし私自身気づきたくなんかない。


 ふと見上げた空は眩しいくらいに青くて、それでいて夕陽の赤が見えるような気もする。

 空をちゃんと見たのは久しぶりで、いつも下ばっかり眺めていたから不思議なことに新鮮な感じがした。

 ぎゅっと日誌と同時に膝を抱える。



 ……あ、大切なことを忘れていた。


 日誌を、日誌を届けなければ。染原くんと無事に話せたことも良かったけど、本来の目的を忘れるところだった。

 日誌は4時半までに届けないと、担任の先生に怒られる。


 私は勢いよく立ち上がって、そのまま歩き出そうとする。

 がいつもと違い、無情にも何者かの手によって制止されてしまった。



「待て」

「わっ」



 立っている私の手首を座っている染原くんがサラッと掴んだ。


 握った手は力を入れているようには見えないはずなのに、振りほどけなさそうだ。

 だけどそうじゃなかったとしても、人の反応が怖い私にとって相手に構わず振りほどくなんてできない。



「どこに行くの」



 斜め後ろの下の方を向くとこちらを睨む染原くんの視線をバッチリ感じてしまって、光の速さで目を逸らす。


 触れられた場所が極度に熱い。



「え、えっと、日誌を届けに職員室へ……」

「お前、俺の存在絶対忘れてただろ」



 うっ。


 完全に一人じゃなかったことをこの一瞬で忘れたなんて言えない。

 その通り過ぎて返す言葉もないです、ごめんなさい……。


 染原くんは何も言わずに答えを求めるわけでもなく、私の手首を掴んだまま立ち上がった。


「待ってるから、行ってこいよ」

「……え?」


 逸していた視線を無意識に染原くんに向ける。

 今、待ってるって言った、言いました。

 その真意は……分からない。


「……待ってるとは」

「そのまんまの意味だけど」


 ……そりゃそうだよね。待つという言葉に何個も全く違う意味はないような。多分。

 その瞬間私の手首は染原くんの手から開放され、あてもなくちゅうぶらりんになった。

 まだ左手の手首は熱を持っていて、そこだけ感覚が麻痺しているみたいに思える。


「分かったなら、さっさと行け」

「う、はいっ」

「あと、余計なことは言うな」


 こちらに向ける視線が怖くて、もう一度返事をして逃げるように早足でその場を立ち去った。




 染原くんはマイペースというか、悪く言えば自分勝手に見えるかもしれない、そんな人だった。


 一応戻ってきて染原くんがいなかったら教室に帰ればいいかな。

 いない確率のほうが高い気もしてくる。


 私は少し駆け足で職員室へ向かった。

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