1-2 ブラッド・コード
門が閉まり、息を整える。そういえば駅で声をかけてくれたおばあちゃんがいない。心配になった俺は袴姿の男性に声をかける。
「おばあちゃんは無事かな?」
「案ずるな。交代した」
「交代?どういう意味?」
袴姿の男性は答えるつまりがないのか口を一文字にして無表情で立っている。
「さっきの化け物は一体なんだ?」
「あれは死霊だ。人の肉体を欲する」
「…もし、あのまま捕まっていたら?」
「お前の魂を喰らい、肉体を乗っ取られる」
得体の知れない恐怖を感じた。そして自分が何故こんな所に来てしまったのかと嘆く。
「俺がここにいる理由は?」
「いずれ分かる」
俺は盛大なため息をついて周囲を観察する。外から見た時に見えた塔の中なのか、広い円形の部屋で、床は砂のような細かい粒が撒かれている。見たことの無い文字が壁一面にびっしりと描かれており、天井は高く、白い光で満たされている。俺は壁に寄りかかり息を整えていると、奥の扉が開いた。そして俺の背丈の倍ぐらいありそうな大男がこちらに歩いて来る。白のタンクトップがはち切れそうなほどの筋骨隆々なスキンヘッドの男性。その男の片手には真っ赤な斧が握られていた。
「備えろ」
袴姿の男性が警告する。ゆっくり歩いていたスキンヘッド男の歩速が徐々に上がる。明らかに歓迎ムードではない。
(ふざけんな!ここは安全じゃないのかよ!)
やっとの思いでここまで来たのに早速ピンチがやってきた。俺の初動は遅れた。一歩横に動いた時にはもう既に目の前で斧を振り上げる男がいた。
死を覚悟して目をぎゅと閉じる。
(…あれ?)
いつまで待っても痛みが襲ってこない。薄く目を開けて確認するとあの男は腕を振り上げたまま固まってる。胸から刃物を生やして。
「隙ありっと」
口から血を吹き出してこちらに倒れ込むスキンヘッド男。その男の下敷きになった俺は悲鳴を上げる。
「うん?もう一匹いた?」
「ちょっと待ってくれ!俺は何も知らないんだ!」
スキンヘッド男が重過ぎて身動きがとれない。このままだと次に殺されるであろう俺は弁明を試みる。
「…もしかして新人?」
「そうだ!俺は新人だ!」
新人が何か分からないがとにかく敵意がない事をアピールする。
「マジか。ラッキー」
顔の横に刃物がすっと突き出る。どうやら上で寝転ぶスキンヘッド男の体ごと俺目掛けて刃物を突きさしてきたようだ。
「おっと、外したか」
(くそが!お前もか!)
俺は必死にもがく。このままだと本当にやばい。
「さっきやった新人もそうだけどお前ら雑魚すぎるんだよ。なんで武器の一つも持たずにここにくる?」
「知るかよ!」
力を振り絞りスキンヘッド男の遺体を退ける。すぐ側には血塗られた小剣を片手に口笛を吹く男がいた。パーカーのフードで表情は見えないが口元に讃える笑みは好戦的なものだった。
「同情するよ」
クックックと笑うパーカー男はくるくると片手で小剣を回す。一刻も早く逃げないと殺される。
(…おい、嘘だろ…)
逃げ場を探して辺りを見れば人が皆狂ったように殺し合いをしていた。剣、槍、弓、様々な武器を血で染めていた。
「…どうすればいいんだよ」
俺はキャパを超えた現状に膝から崩れ落ちた。心臓が荒々しく鼓動を打ち付け、呼吸が乱れる。地に着いた手は恐怖で震え、視界が定まらない。
「おいおい、情け無いな」
パーカー男は興醒めだと、呆れていた。
「お前って何もないんだな、まるで空っぽだ」
今の俺には何も言い返す気力がない。ただこの事態が俺を忘れて通り過ぎていくことを祈る。
『誰か助けてくれるとでも?』
俺を助けてくれた人はもういないんだ。だから俺はただじっとしてこの悪夢から覚めるまで待とう。これは夢なんだ。
『諦めたのか?』
パーカー男の足が一歩ずつ近づいてくる。俺は黙ってそれを見ることしかできない。
俺は死ぬんだ。
走馬灯の様に限界まで引き伸ばされた時間の中、幼い頃から変わらず惨めな自分がいた。それは何も成し遂げることができず、誰の記憶にも残らなかった。才能がないと嘆き続け、努力することを怠り、時間だけを無駄に消費した。
そして今、終わろうとしている。
俺は静かに目を閉じ、心を決める。
「…いいや、まだだ。まだ、終われない」
俺を助けてくれた袴姿の男性の声がする。
『やっと気が付いたか』
「俺は何もできないのでは無く、何もしてこなかった」
たったそれだけの事を気がつくのに俺はどれだけの時間を無駄にしたのだろう。
『それで、何を望む?』
俺が望むことは一つだ。
「もう…惨めな思いを…したくない」
生まれて初めて心の底からでた言葉。それは強くなりたいという願望だった。
「だからどうか俺に力を下さい」
『相わかった』
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