第8話 挑発

窓から柔らかな朝日が差し込んでくる。

誰もいない早朝の事務所、僕は一人で今までに調べた飯塚の情報をまとめていた。

古いドラマにでも出てきそうなボロボロの探偵事務所は、別に歴史があるわけでもなく、ただ家主の柳隆一によって人為的に作られたレトロな空間である。

故に僕はこの時代にわざわざ情報を紙媒体にまとめてファイリングするという、時代錯誤も甚だしい作業を強いられているのだ。

柳は別に効率化を求めてはいない。

彼が求めているのは所謂 ”ドラマに出てくるような探偵っぽさ” だ。

だから情報はファイリングして本棚にまとめてあるし、部屋の真ん中にはめったに来ない来客用に年季の入ったソファーと古びたテーブルが鎮座しているし、美味いコーヒーを入れるために助手である僕はコーヒーの勉強をしなくてはならない。

依頼人なんてほとんど来ないし、来たとしても浮気調査や猫探しなんて現実的な依頼は柳の意向によりお断りしている。

彼が求めているのは、金で買えない刺激とワクワクするような探偵ごっこだ。

そもそも、今回に限っては依頼を受けていない完全に柳の趣味であるため、事件を解決する気すらないだろう。

全く、金持ちの考えることはわからない。夜通しの作業で疲れ切った目をこすりながら胸ポケットから取り出した煙草を一本咥え、火をつける。芳醇な煙を吸い込みながら、何気なくテレビの電源をONにした。

早朝のニュース番組。顔の良い女性アナウンサーが、何やら真剣な表情で原稿を読み上げている。

やかんに水を入れ、火にかける。眠気覚ましに濃いコーヒーが欲しい。

「……で殺人事件です…………犯人は…………これまでも同様の事件が」

ぼーっと聞き流していたアナウンサーの声に、いくつか気になるワードがあった。僕は意識をテレビに向ける。

どうやら新たに腹が食い破られた死体が発見されたらしい。今度は室内でなく、裏路地に死体が放置されていたという事だ。

「これまでの同様の事件も同一犯のものと見られ、世間ではこの連続殺人犯を”ハラワタ喰い”と呼称しているそうで……」

”ハラワタ喰い”

なんとも捻りのない名前だ。しかし新たな死体が出たとなると、どうにも今日も忙しくなりそうだ。

「”ハラワタ喰い”ね。コータローは気に入らないみたいだけど、私は好きだよ。わかりやすさっていうのは重要さ」

 背後からかけられる聞き覚えのある甘ったるい声。振り返ると、可愛らしい寝間着姿の柳が事務所の奥にある彼の寝室からやってきた。どうにも柳は実家が嫌いらしく、もっぱらこの事務所の奥にある寝室で寝泊まりしているようなのだ。

 ちらりとコンロに視線を向けた柳は「私のコーヒーも頼むよハニー」と流し目で僕に頼んできたので、僕は寝不足の目をこすりながら無感情で首を縦に振った。

 しかしこれが寝起きの顔か?

 ソファーにどっかりと腰をかけた柳は、服装こそ気の抜けた寝間着ではあるものの、その横顔を写真に収めただけでアートと呼ばれそうなほどに整っている。小さくため息をつく。どうにも神様というのは不平等に人間を作ったらしい。僕のように何のとりえもない、凡人にすらなれないクズもいれば、柳のように見た目だけでなくあらゆる金もコネも持ち合わせた超人もいる。世の中ってのはなんとも理不尽だ。

 適当にインスタントのコーヒーで済まそうと思っていたが、柳が起きてきた以上それは許されない。僕は専用の棚から、わざわざ専門店から購入したコーヒー豆を取り出し、手動のミルで豆を挽く。ミルが電動じゃないのも柳のこだわりだ。

「あらたな事件か……今度はどんな趣向を凝らしてくれるのだろうね?」

 不謹慎にもワクワクとした声を出す柳に、僕は眉をひそめる。

「趣向もなにも、また腹を喰われた女の死体が一つ増えただけでは?」

「かもしれないね。でも、それじゃあ面白くないだろう?犯人に腹を喰われた死体は確かに珍しいが、それも4体目ともなるともう一変化欲しいところだ」

「……別に犯人はヤナさんを楽しませるためにやってるわけじゃないと思いますよ」

 コーヒーの良い香りが事務所に漂う。柳は目を閉じてその香りを思い切り吸い込み、恍惚の表情を浮かべた。

「コータローが私のために淹れてくれるコーヒーはいつも素敵だね」

「……そんな大したもんじゃありませんよ。多分ヤナさんの方が美味く淹れられるでしょ?」

 そう言って柳の前にコーヒーを注いだカップを置く。

「君が淹れてくれるから意味があるのさ」

 柳はニコリと微笑みと、カップに顔を近づけてゆっくりと香りを楽しんだ。

 しばらく事務所には気だるげな朝の空気が流れる。僕たちは互いにコーヒーをすすりながら、何をするでもなくボーっと過ごしていた。

「……おや、これはこれは」

 やがて柳が何やら嬉しそうな声を上げる。

 嫌な予感がする。

 僕はカップに三分の一ほど残ったコーヒーを一気に飲み干して、柳のもとへ近づく。

「どうかしたんですか?」

 彼は嬉しそうにソファーに座りながらスマホを眺めていた。

「見てごらんコータロー…………どうやら”ハラワタ喰い”は私の事をまだ楽しませてくれるみたいだ」

 スマホの画面に映っていたのは、今回の被害者の写真。おそらく警察の関係者から柳に送られたであろう写真を見て、僕は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。

「今回の被害者は……ゴスロリ衣装を着せられた……男性のようですね」

 偶然かもしれない。しかしそれは明らかに柳に対する挑発に見えた。

 柳はその美しく整った唇をニヤリと歪めて笑う。

「せっかくのラブコールだ。この一杯を飲み終えたら早速向かうとしよう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る