第7話 顔

「飯塚の事?前に警察の人にも同じ事話したんだけど……あいつ職場であんまりおしゃべりするようなタイプじゃなくてさ、正直どんな奴だったかって言われても……あぁ、パチンコは好きだったんじゃないかな、休日とかよくパチ屋で見かけたから」

「そうですか……彼と親しい社員はいましたか?」

「う~ん。彼とは同期なんだけどね、たぶん飯塚と仲が良いやつはいないと思うな……飲みに誘っても全然来ないし、話しかけても事務的な受け答えしかしない奴だったから……」

「なるほど……お手数をおかけしました。ご協力いただきありがとうございます」

「あぁ、いえ。これくらい別に。それよりお兄さん、アナタ探偵ってやつなの?」

「あー……そうですね。まあ僕はただの助手なんですが」

「へぇー探偵って本当にこういう事件に関わったりするんだね。ミステリー小説の中だけだと思ってたよ」

「ハハ……僕もそう思ってました」

 2件の猟奇殺人事件。

 被害者の女性の腹を”食い殺す”という異質な事件の容疑者、飯塚聡34歳。小さな会社で事務をしている契約社員で、親しい友人、恋人は無し……会社の同僚ともほとんど接点がなかったようだ。







 飯塚の務めていた会社を後にした僕は、ほとんど成果の得られなかったという徒労感で小さくため息をつく。しかし飯塚の人付き合いの希薄さは徹底的だ。今のところ、飯塚聡という人物について見えてくるのは、人付き合いが嫌いだという事だけだった。

 こんな内容では柳は満足しないだろう。下手したら飯塚の両親に聞き込みをしてこいなんて言い出しそうだ。

 少ない情報を書き出したメモ帳を見る。特段仕事ができるわけでもなく、かといってサボっているわけでもない。人付き合いは極端に少なく、誰からも鮮明に記憶されない。休日はパチンコに入りびたり、死んだ目で日々を過ごしている。

 彼はどんなことを思い、2人の少女を攫い、そして喰らったのだろうか?

 孤独に過ごす日々の中、誰の目にも止まらない透明人間のような人生。

 だが、”透明な人間などいない”。

 ”俺は、ここにいる”

 そんな声が、情報の少ないメモ帳から、腹を喰われた少女たちの無残な死体から聞こえてくるような気がした。

 ジリジリと身を焦がす陽光。少し寝不足気味な40代の体にはこたえる。

 何をしているんだ僕は。首元のネクタイを緩め、胸ポケットから煙草の箱を取り出して……中に100円ライターしか入っていないことを確認してがっくりと項垂れる。とりあえず煙草も吸えないのでは仕事なんてやっていられない。僕は額から滴り落ちる大粒の汗を手の甲で拭いながら、近くのコンビニに入ることにした。

 コンビニの自動ドアが開くと、冷たい空気が心地よく前進を包みこむ。煙草のついでに何か軽く朝飯でも買おうかとコンビニの店内を歩いていると、ドリンクのコーナーが視界の端に映る。

「……あ」

 僕の視線はドリンクのコーナーでキンキンに冷やされた缶ビールに釘付けになる。

 いけない。

 これから仕事なのだ……。いくら雇い主があの奇人とはいえ、仕事中の飲酒が許されるはずがない。

 しかし、猛暑の中歩いていた僕の喉はカラカラに乾いていて、よく冷えた缶ビールが非常に魅力的に見えた。必死にドリンクのコーナーから目をそらし……。








 公園のベンチに一人腰かけている僕。木の枝葉が陽光を遮り、柔らかな影を落としてくれている。

 手元には良く冷えたビールの缶。口元には火のついた煙草。隣にはおかわりのビールが数本とおつまみが入ったビニール袋。

 完全にやってしまった。猛暑に冷えたビールを飲みたいという誘惑に簡単に流されてしまった……だから僕は社会不適合者だというのだ。何度かまともな仕事をしたこともあったが、どれも長続きしない。まともな社会人ってやつが、どうにも僕には荷が重いようで……。

 よく冷えたビールを一気に半分ほど飲み干し、煙草をひと吸い。口の中を芳醇な煙が満たしていく。

 至福の瞬間。そんな時、僕の視界に影がかかった。

「人気のない昼間の公園で一人酒か……随分と良い趣味だね、コータロー」

 見上げると、日傘を差したゴスロリ衣装の女装家の姿。彼は意地の悪い笑みを顔に張り付けて、ニヤニヤと僕を見下ろしている。

「あー……ヤナさん、これはですね……」

 いくつもの言い訳が脳内を駆け巡っている中、柳は僕のビニール袋からビールを一本取り出すと、隣に座ってビールのプルタブを開けた。プシュッという気持ちのいい音が響き渡る。柳は缶ビールを一気に飲み干すと感をクシャリと握りつぶして僕に放り投げてきた。

 反射的にそれをキャッチする僕。

「別に構わないよ。君が勤務中に飲酒をしようがパチンコに行こうが、私は責めるつもりはない。ただ、今度から仕事中にサボるときは私も誘ってほしいな」

「……何を言ってるんですかアナタは」

「君のすべてを許すと言っているんだよコータロー。君がどんなに無能だろうが、どんなにクズであろうが構わない……とね」

 柳は真っすぐに僕の目を見つめてそう言った。

「……何故です?」

「コータロー、私は人を顔で判断することにしているんだ。柳家の跡取りとして生まれた私には、小さなころから腹に黒いものを持った汚い大人たちがすり寄ってきた。中の良かった友達も、愛を誓い合った恋人も金のために私に近づいて、そして裏切っていった。私にとって他人とは”裏切るもの”だからね。だから決めたんだ」

 柳はその端正な顔をぐっと僕に近づけた。

「私は人を顔で判断する。どんなにクズでも、どんなに無能でも、そして最終的に私を裏切って敵になるのだとしても……顔が良ければ許せるだロウ?」

 柳の浮かべた満面の笑みを見て、僕は何も言えずにただ頷くことしかできなかった。

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